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第8話「エルフとの初デートは監視です」
翌朝。
午前八時五十二分。
相沢直人が営業企画部へ入ると、森野リリカはすでに席にいた。
「おはよう」
「おはようございます」
それだけ。
森野はパソコンを見る。
相沢も自分の席へ向かう。
昨日。
手をつないだ。
百メートル以上。
夜には、
『またつなぐ?』
『監視に必要なら』
というやり取りまでした。
なのに。
会社では何もなかったような顔をしている。
相沢は席に座った。
森野を見る。
森野もこちらを見ていた。
目が合う。
すぐそらす。
耳が動く。
ぴく。
相沢は笑った。
森野が睨む。
そこへ神崎レオンが出社してきた。
「おはようございます」
「おはようございます」
神崎は自分の席へ座る。
そして森野を見る。
次に相沢を見る。
また森野を見る。
「何ですか?」
森野が聞いた。
「いや」
神崎が笑う。
「何かあった?」
「ありません」
ぴく。
「そう」
神崎はそれ以上聞かなかった。
相沢は思った。
エルフ同士。
便利すぎる。
午前十時。
三人で企画会議。
相沢が説明する。
「来週までに市場調査をまとめて――」
森野がメモを取る。
神崎が資料を見る。
仕事は順調だった。
問題は。
机の下だった。
相沢の靴に何かが当たった。
森野の足だった。
「あ」
森野が小さく言う。
「ごめんなさい」
「大丈夫」
森野が足を引く。
その瞬間。
耳が動く。
ぴく。
相沢は笑う。
「何ですか?」
「何でもない」
「耳見ました?」
「見てない」
「見ましたね」
神崎が顔を上げる。
「仕事してください」
二人同時に言われた。
「はい」
「はい」
午前十一時。
部長が三人のところへ来た。
「今度の土曜日なんだけど」
嫌な予感がする。
「競合店の視察をお願いしたい」
「土曜日ですか?」
相沢が聞く。
「代休取っていいから」
「どこです?」
部長が資料を渡す。
郊外にできた大型商業施設。
「二人でいいよ」
三人が資料を見る。
部長が言った。
「相沢君と森野さん、お願いできる?」
相沢と森野が同時に顔を上げる。
「はい」
相沢が答える。
「はい」
森野も答える。
部長は去った。
神崎が二人を見る。
「土曜日」
「仕事です」
森野が言った。
「まだ何も言ってないけど」
「仕事です」
「二人で」
「仕事です」
ぴく。
「楽しみ?」
「仕事です!」
ぴくぴく。
神崎が笑う。
「分かりやすいな」
「レオン」
「はいはい」
相沢は資料を見る。
土曜日。
二人。
商業施設。
どう考えても仕事だ。
しかし。
少し楽しみだった。
昼休み。
森野と社員食堂へ行く。
神崎は別の社員たちと食べていた。
二人で向かい合う。
「土曜日」
相沢が言う。
「はい」
「何時にする?」
「十時でどうですか?」
「現地?」
「はい」
「分かった」
森野が日替わり定食を食べる。
相沢はカレー。
「服どうする?」
森野の箸が止まる。
「服?」
「仕事だからスーツ?」
「休日の商業施設ですよ」
「じゃあ私服?」
「普通そうでしょう」
「そうだね」
森野が相沢を見る。
「何ですか?」
「いや」
「何ですか」
「森野さんの私服、ちゃんと見たことないなと思って」
耳が動いた。
ぴく。
「集会の日に見たでしょう」
「あの日は耳ばっかり見てた」
「最低です」
「だって初めてだったし」
「耳じゃなくて服を見てください」
「今度は見る」
ぴく。
森野が味噌汁を飲む。
「別に見なくていいです」
ぴく。
「どっち?」
「知りません」
土曜日。
午前九時五十五分。
相沢は商業施設の入口前にいた。
待ち合わせは十時。
五分前。
森野はまだ来ていない。
スマートフォンを見る。
九時五十六分。
九時五十七分。
「相沢さん」
声がした。
振り返る。
相沢は。
三秒ほど黙った。
森野だった。
白いワンピース。
薄いカーディガン。
小さなバッグ。
髪はいつも通り巻かれている。
耳も隠れている。
会社とはまるで違う。
「……」
「何ですか?」
「いや」
「変ですか?」
「違う」
「じゃあ何ですか」
「かわいい」
森野が固まった。
耳が。
ぴくん。
「開始三秒でそれ言います?」
「思ったから」
「言わなくていいです」
「でも本当に」
「もういいです!」
森野は先に歩き始めた。
相沢が追う。
「待って」
「仕事しますよ」
「はい」
「今日は視察です」
「分かってる」
「デートじゃありません」
「誰も言ってない」
森野が止まる。
「……そうですね」
なぜか少し不満そうだった。
相沢は笑う。
「何ですか?」
「デートにしたいの?」
「違います!」
ぴく。
「耳」
「今日は絶対に耳で判定しないでください!」
二人は商業施設へ入った。
最初の一時間。
本当に仕事をした。
店舗配置。
客層。
商品の価格。
広告。
導線。
相沢が写真を撮る。
森野がメモする。
「ここの展示うまいね」
「そうですね」
「会社で使えそう」
「写真撮っておきます」
真面目だった。
午前十一時半。
視察予定の半分が終わる。
「休憩する?」
相沢が聞く。
「そうですね」
カフェへ入った。
相沢はコーヒー。
森野は。
「森のベリーパフェ」
相沢はメニューを見る。
「頼むの?」
「何ですか」
「前に森の木の実パフェ気にしてたよね」
森野の顔が赤くなる。
「覚えてたんですか」
「覚えてるよ」
「じゃあ頼みます」
「エルフだから?」
「違います」
ぴく。
「絶対ちょっと名前で選んだだろ」
「違います!」
パフェが来る。
森野の目が少し輝いた。
「嬉しそう」
「普通です」
「写真撮る?」
「食べ物の写真は撮りません」
三十秒後。
森野はスマートフォンを出した。
相沢は黙って見る。
「何ですか?」
「いや」
「記録です」
「何の?」
「パフェの」
「写真撮ってるじゃん」
「資料です」
「仕事関係ないよね」
「うるさいです」
午後零時。
カフェを出る。
残りの視察を続ける。
雑貨店。
家電量販店。
書店。
そして。
衣料品店。
森野が女性用の帽子を見る。
「これいいな」
「買うの?」
「少し気になって」
大きめの帽子だった。
相沢はすぐ分かった。
耳を隠せる。
「試してみれば?」
「でも」
「似合うと思う」
森野は帽子をかぶった。
鏡を見る。
耳は完全に隠れる。
「どうですか?」
「かわいい」
森野の耳が帽子の中で動いたらしい。
帽子が少し揺れた。
相沢は笑った。
「帽子動いた」
「見ないでください!」
「耳見えてないよ」
「感じてるでしょう!」
森野は結局その帽子を買った。
午後二時。
予定していた視察が終わった。
「終了」
相沢が言う。
「お疲れさまでした」
森野が答える。
「じゃあ帰る?」
「……」
森野は時計を見る。
「まだ二時ですね」
「そうだね」
「せっかくここまで来ましたし」
「うん」
「少しくらいなら」
森野が周囲を見る。
「見て回ってもいいと思います」
相沢は笑う。
「仕事じゃなく?」
「視察の延長です」
ぴく。
「はいはい」
「何ですか」
「視察ね」
「視察です」
そこから二人は。
仕事をしなかった。
雑貨店を見る。
本屋へ行く。
ゲームセンターに入る。
森野がクレーンゲームの前で止まった。
「やりたい?」
「別に」
ぴく。
「やりたいんだ」
「少しだけ」
景品は白いウサギのぬいぐるみだった。
森野が百円を入れる。
失敗。
もう百円。
失敗。
五百円。
千円。
「森野さん」
「何ですか」
「熱くなってない?」
「なってません」
千五百円。
取れない。
「代わろうか?」
「自分で取ります」
「百四十三歳がクレーンゲームに本気になってる」
「年齢関係ありません!」
二千円。
取れない。
相沢が横から見る。
「ちょっと貸して」
「無理ですよ」
相沢が百円を入れる。
アームを動かす。
落とす。
ぬいぐるみが転がる。
出口へ落ちた。
「え」
森野が固まる。
相沢がぬいぐるみを取る。
「はい」
森野に渡す。
「……」
「どうぞ」
「いいんですか?」
「森野さんが二千円使った景品だから」
「相沢さんは百円です」
「結果がすべてです」
「腹立つ」
そう言いながら。
森野はぬいぐるみを抱いた。
ものすごく嬉しそうだった。
午後四時。
二人は施設を出た。
「楽しかった」
森野が言う。
「あ」
自分で言ってから止まる。
相沢が笑う。
「視察?」
「視察です」
「楽しい視察だったね」
「はい」
駅へ向かう。
森野はウサギのぬいぐるみを抱えている。
途中。
相沢が手を差し出した。
森野が見る。
「何ですか?」
「監視」
「意味が分かりません」
「昨日必要って言っただろ」
森野の顔が赤くなる。
「昨日じゃなくて一昨日です」
「細かい」
森野は少し迷う。
そして。
相沢の手を握った。
今度は。
最初から。
自分から。
「監視です」
「はい」
二人で歩く。
手をつないだまま。
森野は片手にウサギ。
もう片方の手は相沢。
「森野さん」
「はい」
「これ、デートじゃない?」
「違います」
ぴく。
「耳」
「知りません」
「仕事終わってるよ」
「視察の延長です」
「クレーンゲームも?」
「市場調査です」
「手つなぐのも?」
森野が黙る。
耳が動く。
ぴく。
「何の調査?」
「……人間行動の」
相沢は笑った。
「百四十三年も人間観察してるのに?」
「うるさいです」
駅に着く。
しかし。
森野が改札前で立ち止まった。
「相沢さん」
「何?」
「今日」
「うん」
「ありがとうございました」
「仕事だから」
「それだけじゃなくて」
森野がウサギを見る。
「これも」
「二千百円のウサギ」
「私が二千円です」
「俺の百円が決定打」
「もう返します」
「嘘」
ぴく。
森野はウサギを抱きしめる。
「返しません」
「だろうね」
二人は笑った。
そのとき。
「あれ?」
声がした。
二人が振り返る。
営業企画部の同僚。
田中美咲だった。
買い物袋を持っている。
「相沢さん?」
「田中さん」
「森野さんも?」
田中が二人を見る。
そして。
つないでいる手を見る。
相沢も見る。
森野も見る。
まだ。
手をつないでいた。
「……」
「……」
田中の目が大きくなる。
「あ」
森野が慌てて手を離す。
遅かった。
田中が笑う。
「へえ」
「違います!」
森野が言う。
「何も聞いてないけど」
「仕事です!」
「手つなぐのが?」
「これは」
森野が詰まる。
耳が激しく動く。
ぴくぴくぴく。
相沢が言った。
「視察です」
田中が笑う。
「へえ。最近の市場調査って手つなぐんですね」
「違うんです」
「ウサギまで持って」
「これは景品で」
「デート?」
「違います!」
田中は完全に楽しんでいる。
「分かった分かった」
絶対分かっていない。
「会社では言わないでください」
森野が頼む。
「もちろん」
田中は笑った。
「じゃあ月曜日」
去っていった。
沈黙。
相沢と森野は顔を見合わせる。
「……終わった」
森野が言う。
「何が?」
「会社生活です」
「大げさだよ」
「絶対広まります」
「田中さん言わないって」
「人間の『言わない』ほど信用できないものはありません」
「エルフが言うと重いな」
森野は頭を抱えた。
月曜日。
午前八時五十分。
相沢が出社する。
営業企画部へ入る。
妙に静かだった。
「おはようございます」
「おはよう」
みんな普通。
相沢は安心した。
田中も普通に仕事をしている。
言っていないらしい。
森野も出社する。
「おはようございます」
「おはよう」
何も起きない。
午前九時十分。
部長が言った。
「そういえば」
相沢と森野が顔を上げる。
「相沢君」
「はい」
「土曜の視察どうだった?」
「問題なく終わりました」
「森野さんも?」
「はい」
「そう」
部長が笑った。
「手をつなぐくらい順調だったらしいな」
営業企画部が静まり返った。
相沢が田中を見る。
田中はパソコンの陰に隠れた。
「田中さん!」
森野が立ち上がる。
「ごめん!」
田中が笑う。
「部長にだけ!」
「一番駄目な人です!」
社員たちが笑い始める。
「付き合ってるの?」
「いつから?」
「土曜デートだったの?」
「違います!」
森野の耳が。
髪の中で。
猛烈に動いている。
相沢は笑いをこらえる。
森野がこちらを見る。
「相沢さんも何か言ってください!」
「えっと」
相沢は考える。
全員が見る。
そして言った。
「まだ付き合ってません」
森野が固まった。
営業企画部がさらにざわつく。
「まだ?」
「まだって言った?」
「じゃあこれから?」
森野の顔が真っ赤になる。
「相沢さん!」
「だって嘘じゃないし」
「そういう問題じゃありません!」
そのとき。
神崎が小さく笑った。
「頑張ってください」
「レオンまで!」
営業企画部に笑い声が広がった。
森野は両手で髪を押さえた。
秘密にしなければならないのは。
エルフであることだけではなくなったらしい。
コメント
1件
「まだ付き合ってません」って言っちゃう相沢さん、ずるすぎる〜〜〜!! でもそのあとの森野さんの真っ赤な顔とぴくぴく耳、完璧に可愛かったです。 白いワンピのシーンからもうドキドキが止まらなくて、クレーンゲームの二千円vs百円のくだりも思わず笑っちゃいました。挙げ句の果てに田中さん→部長ルートで一気に暴露されるとか……これはもう会社全体が恋愛応援団になる未来しか見えないですよ🥀