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トロン内のすべての税を撤廃する?
令嬢の言葉を聞いて、市参議会の面々は一瞬怪訝な顔になったが、その表情はすぐに穏やかなものになった。
令嬢はまだ10歳、しかも女だ。
本来、議会に女子供が出席し、発言するなどということはありえない。
この世界の一般常識として、女や子供が政治についてまともなことが話せるとは考えられていなかった。
令嬢がここに立っているのは、単なる顔見せ。アベル王子の結婚相手がこうしてやってきましたよという事実の証明のためであって、政治的な意見を聞くためではないはずだ。
そう考えれば、いかにも子供らしい。無税だなんて、夢物語のように聞える。きっと自分自身の食事や服がどうやってできているかすら想像がつかないのだ。
大方、市参議会の顔色を窺って、都合の良いことを口にしただけだろう。本当にそんなことをしたらどうなるかなんて、ろくに考えていないに違いない。
商会長が幼い子供に諭すように告げる。
「しかし、すべての税を撤廃してしまったら。トロンを守る兵は何も食べていくことができませんね」
わざと簡単な言葉を使われたことに令嬢はカチンときたが、黙っている。それでも少しムキになってこう言い返した。
「ええ、なので兵は解散です。だって、必要ないのでしょう?」
うんうん、と。市参議会の面々がにこやかに笑う。
荒んだ戦場に咲いた一輪の花を愛でるように。しかしそれが仮初めのもので、戦争の役になんて立たない、ただの路傍の花でしかないことを知っているように。
アベルが何か諭しそうなものだが、何も言わないのが少し気がかりだった。アベルに代わって、司教が口を開く。
「兵を完全に解散してしまえばトロンはランバルドへの対抗手段を失います。仮定の話ですが、もし攻め込まれたらトロンはおしまいです」
令嬢は言葉に詰まる。
市参議会の面々はそれは短慮が招いたものだと考えたが、実際には違った。
ここを踏み越えたら、もう子供扱いしてもらえなくなる。
そのラインが令嬢には見えていたのだ。
このままずっとずっと甘やかされて、何も考えずに生きていけたなら、どれだけ楽だろう。年齢を考えればまだまだ大人に甘えていていいはずだった。
でも、そんなことは時が許さない。
そんなことをしている時間は残されていない。
令嬢は不機嫌そうに息を吐き、そして言った。
「フリージアはランバルドを疑うのですか?」
その言葉は市参議会が思い描いた。愚かな少女の物語にひびを入れる。
「いえ、そういうわけではありません」「どうやら何か誤解があるようですな」
取り繕う司教と商会長に、令嬢が食い下がった。
「真に我々を信じてもらえるのなら、兵の配備は不要のはず。このことは本国に報告させてもらいます。敵対の意思があるわけですから」
停戦後でもある程度の兵の配備は必然だ。
そんなことはランバルド側だって理解しているだろう。
だが、令嬢が今日の出来事を歪曲して伝えた場合どうなる?
たとえば、単に「敵対の意思があり、警戒が必要」とだけ伝えられたら誤解が誤解を呼ぶ。そんなことになれば、のんきに税を元に戻してなどいられはしない。
そもそも、最初からそのつもりでランバルドは令嬢を送り込んできたのかもしれない。
商会長は己の判断を後悔した。
この妖精のような子供は、子供であると同時にランバルドなのだ。
気軽に発言権など与えるべきではなかった。
ふと、令嬢の弟切草を模した髪飾りが目に映る。
花言葉は裏切りだ。
まさか。この女(・)、辺境城塞都市トロンを、ひいてはフリージアを裏切るつもりなのか? そのために嫁いで来たと?
国力の要である税を停止し、兵を撤退させられては、トロンは丸腰になる。この女は内部からトロンを破壊するつもりなのか?
そう考えると、あの髪飾りは挑発的だ。
事前に「お前達を裏切りますよ」と警告しているようなものだからだ。
舐められたものである。
市参議会の面々の物語が書き換えられる。目の前にいるのは小さくてかわいらしい令嬢ではない、敵国の悪役令嬢だ。
どうにかしてあの女を排除し、トロンを守らなければならない。
「アベル王子、あなたは兵を維持するべきという主張だったはずだ」
このじゃじゃ馬の手綱をしっかり握っておけよ。という意味でギルドマスターが詰める寄ると、アベルは笑って言った。
「いや、存外悪くないんじゃないか? みんなも税を減らしてほしいと言っていたし」
冗談めかして王子と令嬢が微笑みあう。
商会長とギルドマスターの背筋がぞっとした。
さっきまで兵を下げるように仕向けなければならなかったのに、今は兵を維持するように仕向けなければならなくなっている。これではあべこべだ。
「我々は元に戻して欲しいと言ったわけであって、税を撤廃してほしいと頼んだ覚えはありません」
発言しながら、商会長は考える。
なぜ、私は頼むから税を徴収してくれと願っているのだろう。昨日までは税なんて払いたくないと思っていたのに。
「トロンの守りは城主のつとめではないのか」
発言しながら、ギルドマスターは考える。
内心ではアベルを不在卿と認めていないはずなのに、まるで認めているかのような言葉になってしまった。
何もかもあの邪悪な令嬢のせいだ。
もはやこの物語はトロンの税に関するいざこざではなかった。これは強大な敵国と戦争が起こる一歩手前の分水嶺。
戦場が荒野から会議室に移っただけで、戦争はまだ続いている。
令嬢という悪役の登場により、物語はより大きな物語に組み込まれていく。
女子供の言う事だと笑ってしまいたかったが、もう笑えない。
その内心を見透かした令嬢は即座に釘を刺す。
「冗談ではなく、本当に現実的な問題なのよ?」
「だって、戦争が終わったのに兵を下げてくれないなんて、和平にケチがつくでしょう? 税を元に戻したっていくらか兵は配備される。それを理由にランバルドが言いがかりをつけてこないとは限らないじゃない? 交渉が決裂したら、武力をちらつかせてくることだって、十分にありえるわ」
「今、わたしがしたみたいに」
ランバルドの令嬢がそう言うのなら、そうなのかもしれない。
極論なのかもしれないが、この場では誰もそれを証明できない。
無茶な要求だが、あの悪辣なランバルドならば仕掛けてきてもおかしくなかった。
だが、武装解除などしては守りが。
「だから、兵を下げたように見せつつ。警戒線を維持する必要があるのです」
「見せかけであっても、ポーズは大切です。税の方もね」
ざぁっと、頭の中のもやをさらわれたような気分だった。
なんだ、この令嬢は。何をする気だ。
「それにしても、言いがかりをつけられないようにするって、大変ね」
「でも、めんどうだけどちゃんとしないといけないわ。そうでしょう?」
令嬢は子供っぽく笑ってみせる。
小さく、かわいらしかった令嬢が、今では千年を生きる氷の妖精のように見えた。
髪飾りが光る。
どっちだ?
この令嬢はどちらにとっての悪役なのだ?