一月。
新年を迎えてまだ数日。
世間はまだ年明けの慌ただしさの中、ここ桜の宮家は別の忙しさに追われていた。
「萌夏さま、無理してでも何か召し上がってください」
付き添ってくれる女性が声をかけてくれる。
「はい」
食べないといけないのはわかっている。
今日は分刻みのスケジュールが組まれているから、少しでもおなかに入れた方がいいんだけれど・・・
「萌夏さま、失礼いたします」
お盆を手に入ってきたのは、お屋敷に一番長く勤めている徳子さん。
桜の宮家の奥向きを誰よりも知っている人で、おじいさまもおじさまも信頼している人。
私も日々の生活の決まり事から、宮家のしきたりまで困ったことがあれば徳子さんに聞いている。
「おにぎりをお持ちしましたので、時間がある時に召し上がってください」
とテーブルに置かれたのは本当に小さな一口大のおにぎり。
「着付けをしてしまったらまともに食事なんてできませんから、隙を見つけて召し上がってくださいね」
こういう気づかいができるのが徳子さん。
ありがたいなあと思いながら、私はおにぎりを一つ口に放り込んだ。
***
「萌夏さま、どこか痛いところはございませんか?」
支度をしてくれる女性が心配そうに顔を覗き込む。
「ええ、今のところは大丈夫です」
鏡に映る自分を見ながら不思議な気分でいた。
今日、私は桜の宮の娘として平石家に嫁ぐ。
娘とはっても創士おじさまの養女の扱いで、桜の宮萌夏として平石の家にお嫁に行く。
おばあさまが亡くなってからおじさまが色々と手配してくださって、やっと今日の日を迎えられた。
本当ならまだ喪が明けたばかりで祝事を行うのはよくないらしいけれど、そこもおじさまがうまく収めてくださった。
「髪も、時間があれば伸びるのを待ってご自分の髪で結えたらよかったのですが」
かつらをつけた私を見て、徳子さんが「葉月さまの時は地毛だったんですよ」と教えてくれる。
今日の婚礼は桜ノ宮の作法で行われる。
もちろん大々的な式にするつもりはないけれど、神式で、桜の宮縁の神社で、家族親族が集まった結婚式。
私は白無垢を着せてもらい、桜の宮の家で支度をしてお嫁に行く。
「お化粧が終わったら着付けをいたしますね」
普段はしないような真っ白な白粉を塗ってもらい、真っ赤な紅を唇に置いて首から上が出来上がった。
そのタイミングを見計らって着付け担当の女性が数人部屋に入ってきた。
さあ、これから着物を着る。
白無垢は重くて動きにくいし、着てしまえば自由は効かない。
少しずづ出来上がっていく自分の姿に、私は緊張していった。
***
「さあ、できましたよ」
着物を着せられ、帯をギュッと締められ、白無垢を羽織らせてもらい、綿帽子をかぶって私の支度が出来上がった。
朝の入浴を含めると、4時から起きて11時過ぎにやっと支度が整った。
「萌夏さま、大丈夫ですか?」
「はい」
少し苦しいけれど、大丈夫。ちゃんと自分で動ける。
「では、参りましょうか?」
徳子さんが手を差し出し、私は立ち上がった。
こうやって桜の宮の養女として嫁ぐのは面倒なことも多い。
それでもおじさまが手を尽くしてくださったのは、おじいさまのため。
桜の宮の縁戚となれば私はいつでもこの家に来れるようになるし、おじいさまともすぐに会える。
高齢のおじいさまのことを思った創士おじさまなりの配慮だ。
***
向かった先はご先祖の祀られた部屋。
今からこの家を出る私はご先祖に手を合わせてお別れをするものらしい。
「大丈夫ですか?」
徳子さんの手を借りながら私は座布団に座る。
さすがに椅子に座るわけにはいかないけれど、着物を着て立ったり座ったりはかなりきつい。
昔の人はこんなものを着て暮らしていたなんて、本当にすごい。
ご先祖に手を合わせ体を起こすと、おじいさまとおじさまもやって来た。
「失礼するよ」
「はい」
私は短く返事だけ。
「おお、これは綺麗に支度ができたなあ」
おじいさまは満面の笑顔で褒めてくださる。
「本当に、萌夏ちゃん綺麗だよ」
創士おじさまもとてもうれしそう。
「萌夏さま」
徳子さんに促され、私は床に両手をついた。
「おじいさま、おじさま、短い間でしたけれどお世話になりました。そして、今日こうやって嫁がせていただけることを感謝しております」
溢れそうになる涙を必死にこらえて、深く頭を下げた。
「萌夏ちゃん、おめでとう。またいつでも顔を見せに来てくれ」
「はい、おじさま」
「萌夏、今までありがとう。おかげで月子を安らかに送り出せた。これからはお前が幸せになりなさい」
「おじいさま、また遊びに参ります」
自宅で支度をして、親せきや親しい人たちに見送られて家を出るのは昔からの風習。
この後は平石家からの使者が迎えに来て、式の行われる神社に向かう。
随分めんどくさい行事に見えるけれど、これが正式な嫁入りらしい。
「旦那様、平石家からのお迎えが参られました」
「はい」
「さあ萌夏、行こうか」
おじいさまに手を引かれ、私は立ち上がった。
***
玄関ではなく縁側から家を出た私。
宮邸の門の前には迎えの車が来ていて、そこまでの道を使用人やここ数ヶ月で親しくなった人達が並んで待っていた。
「まあ萌夏さん、素敵ですよ」
いたるところから上がる声。
ゆっくりと歩きながら一人ずつに会釈をし、車まで行ったところで振り向いておじいさまとおじさまにもう一度頭を下げた。
結婚なんて個人のこと。
当人同士がよければそれでいいと思っていたけれど、こうしてみんなから祝福してもらうのはやはりうれしい。これだけの人に祝ってもらったからには幸せにならないといけないとも思う。
「幸せになります」
誰に言うでもなく、私は口にしていた。
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