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こよい
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第5話:震える手で市役所へ〜魔王、第61号様式に散る〜
翌朝。俺の足取りは、死地へ向かう敗残兵よりも重かった。
「……胃が痛え。マジで吐きそう」
役場へ向かう道すがら、何度ため息をついたか分からない。
見上げれば抜けるような十勝の青空だが、俺の心はどんよりとした暗雲に覆われている。無理もない。数日後には、俺の四畳半に「米30kg」「就活スーツ」「ゲーミングチェア」をはじめとする大量の物資が届くことが確定しているのだ。
生活保護受給者が、ケースワーカー(CW)に黙って高価な物資を受け取るのはご法度だ。もし黙っていて後からバレたら「資産隠し」や「不正受給」とみなされ、最悪の場合は保護費打ち切りとなる。
荷物が届いて大家に不審がられる前に、自首するしかない。
市役所・一階。生活支援課の窓口。
整理券を引き、ガチガチと歯の根を鳴らしながら待合パイプ椅子に座る。
「ピンポーン。番号札、38番でお待ちの方ー」
無機質な機械音が、俺の死刑宣告に聞こえた。
重い足を引きずり、一番奥の面談ブースへと向かう。アクリル板の向こう側で、パリッとしたスーツを着こなす冷徹な若手CW、鈴木さんがパソコンのキーボードを叩いていた。
「あ、おはようございます、鈴木さん……」
「おはようございます。……どうされましたか? 次の定期面談は来週のはずですが」
鈴木さんは眼鏡の位置をスッと押し上げ、怪訝そうな目を向けてきた。当然だ。普段は市役所から逃げ回っている俺が、自らノコノコと出向いてきたのだから。
「あ、いや、その……実はですね。大変申し上げにくいことなんですが……」
俺はパイプ椅子に座り、膝の上でギュッと両手を握りしめた。手汗がすごい。
「収入、というか……その、物資を……『支援』していただくことになりまして」
「支援物資、ですか? 親族の方から?」
「い、いえ。赤の他人から、です」
鈴木さんのタイピングの手がピタリと止まった。
その冷たい視線が、俺の全身をレントゲンのように貫く。
「……赤の他人から? 詳しく説明してください。どういう経緯で、何を受け取る予定なのですか?」
「えーっとですね……その、インターネットでですね。ブイ、チューバーというものを……やりまして」
「VTuber。動画配信のことですね」
さすがは現代の若手公務員。その程度の単語は知っているらしい。
「はい。その、動画で俺が……いや、私が『魔王』としてですね、底辺生活の愚痴をこぼしたところ、なぜかそれがバズ……大勢の目に留まりまして。その結果、リスナーと呼ばれるネットの人々が、Amazonのほしい物リストという機能を使って、大量の品物を送りつけてきたんです」
「……なるほど? つまり、動画配信の視聴者から『現物支給』による投げ銭を受けた、という解釈でよろしいですか」
鈴木さんは淡々とバインダーにメモを取り始めた。
その冷静さが逆に怖い。怒鳴られるよりよっぽど怖い。
「す、すみません! 決して隠そうとしたわけじゃないんです! 収益化の申請もしてないし、まさかこんな見ず知らずのオタク……いや、方々から物が届くなんて思ってなくて!」
必死に弁明する俺をよそに、鈴木さんはボールペンの尻をカチカチと鳴らした。
「慌てないでください。それで、具体的に何が届くのですか? 食料品程度であれば、生活必需品の範囲内として収入認定から除外できるケースもありますが」
「えっと……米30キロと、特売のみそラーメンが10箱。それから……」
俺は目をギュッとつむり、最も言いたくないワードを口にした。
「……就活用のスーツ一式と、革靴。あと、3万円のゲーミングチェアです」
ブース内に、沈黙が降りた。
隣の窓口で高齢者が怒鳴っている声だけが、遠くの方で聞こえる。
恐る恐る薄目を開けると、鈴木さんはペンを持ったまま、完全に固まっていた。
「……もう一度お願いします。何が届くのですか?」
「す、スーツと、ゲーミングチェア、です……」
「ネットの視聴者から、就活用スーツをもらったと?」
「はい……」
「なんでですか?」
「俺が一番聞きたいです!!」
俺は思わずアクリル板に身を乗り出して叫んだ。
「あいつらおかしいんですよ! 俺が『収入申告が面倒だから物を送るな!』ってキレたら、『じゃあ就労意欲の証明になるものを送ってやる』って、勝手にスーツと革靴をポチりやがったんです! 俺は一言も面接に行くなんて言ってないのに!」
俺の悲痛な叫びを聞いた鈴木さんは、ゆっくりとバインダーに視線を落とし……そして、その口角を、ほんのわずかに、しかし確実に吊り上げた。
(……えっ、今、笑った?)
俺の担当になってから一度も笑顔を見せたことのない鉄面皮の鈴木さんが、明確な「笑み」を浮かべたのだ。だがそれは、天使の微笑みなどではなく、獲物を追い詰めたハンターのそれだった。
「素晴らしいですね」
「……はい?」
「素晴らしい支援者たちではありませんか。あなたの『就労意欲』を後押しするために、見ず知らずの方々がスーツと革靴をプレゼントしてくれた。さらには、在宅ワークにも耐えうる立派なゲーミングチェアまで」
鈴木さんは、パタン、とバインダーを閉じた。
その瞳の奥には、絶対に逃さないという公務員としての執念が燃え滾っていた。
「食料品に関しては、当面の生活維持のための善意として、今回は収入認定(保護費の減額)を見送る方向で上に掛け合ってみましょう」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
「ええ。その代わり――」
鈴木さんは机の下から、分厚いパンフレットの束を取り出し、ドサリと俺の目の前に置いた。
「これだけ立派な『就活ツール』が揃ったのです。言い訳はもうできませんね? このゲーミングチェアを使ってパソコンで履歴書を作り、いただいたスーツを着て、来週から本格的にハローワークに通っていただきます。よろしいですね?」
「あああああ……ッ!!!」
俺は役場の天井を仰ぎ見て、声にならない悲鳴を上げた。
リスナーの悪ノリが、最悪の形で俺の「逃げ道」を塞いだのだ。
保護費は減額されずに済んだ。
しかし、俺は「就労意欲ゼロの怠惰なニート生活」という最大の既得権益を、たった一晩のバズとスーツ一着によって、見事に奪い取られてしまったのだ。
「……分かり、ました。行きます。ハロワ、行きます……」
「はい、期待していますよ、秋谷(あきや)さん」
鈴木さんのトドメの皮肉に、俺はガックリと肩を落とすしかなかった。
こうして、原価ゼロの錬金術は、俺に金をもたらす代わりに、この世で最も恐ろしい『労働へのプレッシャー』をプレゼントしてくれたのだった。
……お前ら、今日の配信で絶対覚えとけよ。
コメント
1件
あきやさん、お疲れさまです😌 第5話、めっちゃ面白かったです…!鈴木さんの笑み、あれ完全に狩人の目だったよね(笑)。でも「就労意欲の証明」って発想がリスナー側も斜め上すぎて、もう笑うしかなかったです。あの場面で「スーツとゲーミングチェア」って、どっちも実用的だけど就活に直結しすぎてて草。 魔王の「逃げ道が塞がれていく感」が文章からひしひし伝わってきて、読んでてこっちまでソワソワしちゃいました。ダークなのにどこか温かい、この塩梅が本当に絶妙です。 次も楽しみにしてますね🌙