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#独占欲
本来なら、このあと予約していた隠れ家風のイタリアンレストランに行く予定だった。ネットで席を予約し、メニューも調べ、道順までシミュレーションした。
――完璧なはずだった。
受付で名前を告げると、店員さんが申し訳なさそうに首を傾げた。
「大変申し訳ありません。本日は貸し切り営業の予定が入りまして……昨日、ご連絡を差し上げたはずなのですが……」
「え?」
慌ててスマホを確認する。
『仮予約受付』という通知のずっと下に、一通の未読メールが埋もれていた。
『【重要】貸し切り営業による予約キャンセルのご案内』
(……嘘だろ……)
「すみません……完全に、僕のミスです」
情けなさで俯いた。失望されたに違いないと思った。けれど、白石さんはきょとんとしたあと、ふっと笑った。
「え、いいじゃないですか。嫌いじゃないですよ、こういうの」
「……え?」
「むしろ“デートっぽい”っていうか。予定通りにいかないのが、思い出になりますし」
失敗が、デートっぽい。世界が、優しすぎる。その時、彼女が広場の方を指差して目を輝かせた。
「あっ! 北海道フェアの屋台!あっち行きましょう!」
指差した先の商業施設の広場には、湯気の上がる屋台が並んでいた。ジンギスカン、ザンギ、ホタテ焼き。
「食べ歩きしましょ! 私、北海道出身なのでおすすめ教えますね~」
白石さんは、自然に僕のコートの袖を引いた。その動作が自然で、凍りついていた心がじんわりと溶けていく。
僕らは屋台をはしごし、ホタテ串を分け合った。
「はい。あーん、してください」
彼女の指が、僕の口元に触れるほど近くまで串を運んでくる。気恥ずかしさを感じつつ、けれど逆らうことなど許さないと言わんばかりの彼女の真っ直ぐな視線に射抜かれ、僕は口を開けた。
「……うまい」
「ふふっ、良かったです。亜鉛もたっぷりですよ♡」
彼女の笑顔が、失敗続きの絶望を、思い出へと塗り替えていった。
***
屋台の広場を抜け、気づけば僕たちは川沿いの静かな遊歩道を歩いていた。人通りが少なくなると、急に自分の足音と、彼女のヒールの音がやけに大きく響く。
白石さんは、建物の照明できらきらと光る川面を見ながら呟いた。
「春川さんって、デート慣れてないですよね? でもこうやって一生懸命準備してくれるの、嬉しかったです」
「……僕は、さっきの事故で心が折れました」
「事故?」
「映画と、予約です」
白石さんは声を立てて笑った。
「ふふっ、本当まじめですね」
その笑い声が、夜風の寒さを少しだけ和らげた気がした。彼女はぽつりと話し始めた。
「……昔、夜景の見えるレストランで、大きなバラの花束をもらったことがあるんです」
夜風が、彼女の髪を揺らす。
「綺麗だなって思ったけど……なんかうまく笑えなくて。そしたら『女の子はこういうの喜ぶだろ』って言われたんです」
彼女は足を止めた。川の方を見ながら、遠い目をしていた。
「……ずっと、普通の、可愛い女の子を演じるのがしんどかった。自分の好きなものを隠して、相手が望む姿でいなきゃいけないのが」
彼女は僕を見て、少し照れたように笑った。
「でも春川さんは、私がちょっと変なところで興奮してても引かないし。話をちゃんと聞いてくれる。……一緒にいると、すごくラクなんです」
ドクン、と鼓動が跳ねた。
手を伸ばせば、彼女の手に触れられる距離だった。でも、僕は動けなかった。
『優しいけど物足りないんだよね』とかつて僕をフッた元カノの言葉が、呪いのように頭をよぎる。
拒絶されるのが怖くて、ただ並んで歩くことしかできなかった。たとえ「いい人」止まりだとしても、この平和な距離感を壊したくない。
「また、デートしてくれますか?」
その声は、少しだけ不安そうだった。
「……もちろん。次はもっと頑張ります」
「ふふっ、期待してますね」
夜の川辺で手を繋ぎたい気持ちをポケットに押し込んだ。夜風の中で、僕たちの指先が触れ合うことのないまま、ただもどかしい願いだけが、いつまでも残っていた。
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