テラーノベル
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一瞬、思考回路が停止する。
それがつい先日撮影されたものであることは、見まがうはずもなかった。 偶然か、あるいは最初から狙われていたのか。
どちらにせよ、こんなものを突きつけてくる男の意図は一つしかない。
動揺を押し殺し、理人は静かに、深く息を吐いた。険しい表情のまま、逃げようとする朝倉の瞳を真っ向から見据える。
「……それで? お前はこれを俺に見せて、どうしたいんだ」
理人の低い問いに、朝倉は押し黙った。まるで獲物を前にした小動物のように、その視線は僅かに泳いでいる。だが、彼は震える喉から絞り出すように言った。
「――僕は、部長が嫌いです」
「ほう? だから?」
だから何だと言うのか。 そんなこと、わざわざ言われるまでもなく知っている。入社当時から反りが合わず、嫌われていることくらい自覚していた。
「だから――あなたには、その椅子を降りてもらいたい。部長職を辞してください」
「あ?」
理人は眉間に深い皺を刻むと、刃のような視線で朝倉を射抜いた。
「冗談にしては、笑えねぇな……」
「冗談なもんか! 本来なら、僕がそこに座るべきなんだ。なのに、後から入ってきた分際であっという間に部長に上り詰めやがって……!」
恨みのこもった声色に、理人は心底くだらないと吐き気がした。 自分が部長職に就けたのは、血の滲むような努力を積み重ね、結果を出してきたからだ。
入社以来、どの部署でも成績は常にトップ。数々のプロジェクトを成功させ、大きなトラブルを自力で解決し、会社に多大な利益をもたらしてきた。それらすべてを会社が正当に評価してくれた結果、今の地位がある。
それを、ただ長く居座っているだけのお飾り係長にとやかく言われる筋合いなど、一ミリもなかった。
「……ハッ。くだらねぇ。あんた、自分の実力を客観視できていないのか?」
「なっ……!」
理人が嘲笑を浮かべると、朝倉の顔が怒りで歪んだ。
「……俺を推薦してくれた岩隈専務もあんなザマだ。あんたがその写真をばら撒いて上層部に訴えれば、確かに俺の降格は免れないだろうな」
「そうだ。この写真さえあれば、あんたを引きずり下ろせる。……最初から気に入らなかったんだよ。仕事ができるからって調子に乗りやがって。どうやって上層部を取り込んだのかと思ってたら……《《こういう事》》だったとはね。気持ち悪い」
「…………」
汚いものでも見るような蔑みの視線。 吐き捨てられた卑劣な言葉に、理人の胸の内でどす黒い怒りが渦巻いた。 自分の努力を、瀬名との間に芽生えた感情を、こんな男に土足で踏みにじられる筋合いはない。
朝倉はどうやら、理人がお偉いさん達と枕を並べて上り詰めたと思い込んでいるようだが、全くのお門違いだ。 努力を全否定された怒りで、腸が煮えくり返りそうになるのを必死に堪え、理人は吐き捨てるように呟いた。
「……ほんっと、小せぇ男だな、あんた」
「な……っ!?」
「ふざけるな。俺が一度でもてめぇに迷惑をかけたことがあったか? 別にどう思われようが勝手だが、俺の積み上げてきた努力を侮辱されるのは気に入らねぇ。……それに」
理人は一歩、朝倉に歩み寄った。
「この俺が、たかがキス写真一枚で怯むとでも思ったのか? 折角の牽制ネタだったようだが、残念だったな。俺はその程度じゃ動じねぇんだよ」
――嘘だ。ハッタリだ。 隠していた性癖を公衆の面前に晒されるなど、考えただけでも反吐が出る。だが、格下の相手に弱みを見せるわけにはいかない。
理人は精一杯の虚勢で朝倉を嘲笑うと、同時に浮かんだ名案を形にするべく、ニヤリとほくそ笑んだ。
「まぁ、ちょうどいい。俺もあんたの秘密を握ってるんだ。……岩隈専務がパパ活してた相手――。あんたの一人娘だろ?」
「――……っ!!」
理人が胸倉を掴んで囁くと、朝倉の顔は瞬く間に土気色へと変わった。
「な、んで……それを……」
今にも泣き出しそうなその顔に、歪んだ嗜虐心が疼く。理人はクスリと意地の悪い笑みを浮かべ、さらに距離を詰めた。
「なぁ、取引しようじゃねぇか。今すぐ、持っているデータをすべて消せ。一つでも残してたり、どこかから流出するようなことがあれば……その先はわかるよな?」
脅しを込めて耳元で告げると、朝倉は目を白黒させて怯えきった。 自分が脅される側になるなど、微塵も考えていなかったのだろう。
娘の醜聞が知れ渡れば、彼の立場は終わる。しかもその相手が失脚した専務であれば、目も当てられない。
意味ありげに口角を上げ、有無を言わさぬ眼光で朝倉を射抜く。逃げ場のない理人の圧力に、朝倉はごくりと喉を鳴らした。
「し、証拠は……ッ」
「あ?」
「専務の相手が……ウチの娘だって証拠があるのか?」
「……あるぜ? 残念な事にな。俺の話が 信じられないならそれでもいいが……。あんたのつまらねぇ出世欲で家庭が壊れるのも時間の問題だろうな」
理人は鼻でふっと嘲笑うと、 意味ありげに笑みを浮かべ、どうするんだと朝倉に迫る。
全く怯まないどころか、鋭い眼光で見下ろしてくる理人に朝倉はゴクリと喉を鳴らした。
「……わ、わかった。データは消す。だから――娘のことは誰にも言わないでくれ……っ」
思ったよりも簡単に朝倉が折れた。 震える声で懇願する男を見下ろし、理人は無機質な声を放つ。
「じゃぁ、今すぐそのスマホを俺に寄越せ」
「――ッ」
「出来ねぇなら、交渉決裂だ」
朝倉は悔しそうに歯噛みすると、震える手でスマホを差し出した。
画面を操作し問題の写真を削除した。他にも無いかざっとチェックし、顔を上げて朝倉を見る。
相変わらず貧相な顔をしている。こんな奴に弱みを握られそうになっていたのかと苛立ちが募る。
「もういいだろ? 写真を消したのなら私のスマホを返してくれ!」
「あぁ。そうだな」
理人は小さくため息を吐くと、空に向かって思いっきりそれを投げた。
放物線を描いて飛んでいくスマホが、どんよりとした曇天に吸い込まれていく。 背後で朝倉が息を呑む音が聞こえた。
「――な……っ」
振り返ると、彼は呆然と立ち尽くし、理人を凝視していた。その顔は驚愕で引き攣っている。
「あぁ、悪い。手が滑った。……スマホが必要なら弁償してやるよ。いくらでも、な」
理人がニッコリと、この上なく残酷な笑みを向けると、朝倉はその場に力なく崩れ落ちた。
「今度から、喧嘩を売るなら相手を選んで売るんだな。……いいか、二度と俺に歯向かおうなんて思うな」
吐き捨てるように言い捨て、理人は屋上を後にした。 背中に向けられる、どす黒いオーラと恨みがましい視線。それをあえて無視し、理人は冷徹な上司の顔を取り戻してオフィスへと戻っていった。
コメント
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すごい神作