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収録当日の朝、浅草の空はやけに高かった。
「忘れ物なーい? 台本、衣装、靴、あと……心臓」
運転席から猫田が振り返り、軽口を叩く。
ワンボックスカーの後部座席で、リコはすでにアイドル衣装の上着を羽織り、鏡を覗き込んでいた。
「あいにく心臓は一個しか持ってきてへんわ。予備あったら貸してほしいわ!」
「貸しても、返ってこないでしょ」
猫田が笑う。
寿司子は、その会話に入れず、膝の上で手を握りしめていた。
テレビ局。
六本木。
初めての収録。
頭の中で、何度もネタの入りを反芻する。
ツッコミから次のボケの間、間違えやすい言い回し、呼吸のタイミング。
それにダンスの振り付け、歌詞に合わせた口パク。
覚えているはずなのに、不安だけが増えていく。
「寿司子、気持ち悪いんか?」
リコが声をかける。
「……大丈夫です」
上の空で返事をする。
言葉遣いが妙に固くなる。それが、余計に自分を固くしていることに、寿司子自身が一番気づいていた。
──
車はテレビ局の地下駐車場に滑り込み、三人は無言でエレベーターに乗った。
ドアが開いた瞬間、世界の色が変わった気がした。
長い廊下。
忙しそうに行き交うスタッフ。
貼り出された番組表、出演者の名前。
「……うわ」
リコが足を止めた。
壁一面に貼られた、大きなポスター。
年に一度開催される、日本最大の漫才トーナメント──
『OWARAI-TOP』
ポスターの中で、笑顔の芸人たちが並んでいる。
「これ……OWARAI-TOP……」
「そう、オワT……毎年、うちから何組もエントリーしてるけど、誰も本戦まで行けたことないのよね」
猫田がぽつりと言う。
寿司子は、何も言えなかった。
ただ、そのポスターを見つめる。
遠い世界のようだ。
ここに立ちたい、なんて言葉にしたら、夢見がちすぎる気がして。
それでも、胸の奥が静かに熱くなるのを止められなかった。
「なぁ、寿司子」
リコが横に並ぶ。
「いつか、ここにバーンと載ろなぁ!イナリズシで!」
「……」
「ほな、まずは今日の仕事からや。
待っとれや、オワT!」
寿司子は、ほんの一瞬だけうなずいた。
そうだ。私たちだって、あのポスターの向こう側にきっと行ける。
──続く