彼女が身を置く場所
ウォール・ローゼの街の外れで見知らぬ服を着て座り込んでいた彼女は、「カンザキアンナ」と名乗った。
彼女の話だと、屋台の爆発事故で死んだはずの自分が再び肉体を持って、あの場所にいたという。
にわかには信じ難い。
でも嘘をついているようには見えない。
それさえ彼女の演技かもしれない。
だけど、本当だとしたら?
見知らぬ服に、この島では聞かないラストネーム→ファーストネームの順の名前。
着ている「ユカタ」も見たことも聞いたこともない服だった。
あの服がどうなってるかも詳しく知りたい。
身体に纏わりつく色とりどりの模様の布。
我々が普段履くものとは異なり、親指とそれ以外の指に分かれる紐のようなものがついた「ゲタ」という靴を素足に直接履いていた。
ちょっと痛そうだし動きにくそうだ。
でも興味深い。
自分が巨人以外のものに関心を抱くなんて。
ハンジは口元を緩ませて、杏菜の待つ客間へと戻っていった。
コンコンコン
「アンナ〜!入るよ」
『あ、ハンジさん』
「遅えぞクソメガネ」
「待っていたぞ」
客間の中には、エルヴィン、リヴァイ、杏菜と、それを壁沿いにぐるりと囲む兵士たち。
「ちょっとちょっと。か弱い女の子を大勢のオッサンで取り囲んで何の尋問??」
「つい先日エレンの巨人化能力のことが明らかになったばかりで、更に素性の知れない人物を連れてきたんだから仕方ない、というところだ」
小さくため息をつきながら、この状況をエルヴィンが説明する。
「アンナと言ったね。無礼を許してほしい。君の言うことが本当だとしても、それをすぐに信用してやることは難しいんだ」
『はい、平気です』
ここまで大勢の男たちに囲まれても怯えることすらない杏菜に、ハンジはますます興味が湧く。
「そこでだ。保護と監察の名のもとに君の身柄は私たち調査兵団が預かることになった。君には調査兵団内で働いてもらうことになるが、こことは違う世界から来たという君に、巨人と戦えとは言わない。何か別の形で貢献してもらおうと思っているが、得意なことはあるか?」
エルヴィンの問いかけに、少し迷ったような表情を見せた杏菜だが、何かを思いついたのかパッと顔を上げた。
『あの、得意とか、上手かどうかは別問題なんですけど…』
「ああ、言ってみなさい」
『高校で特別成績がよかったわけではないんですけど、家政科だったので料理とお裁縫なら少しはできます!』
コウコウ?カセイカ?何だ??
兵士たちがざわつく。
「そうか」
『…あ、でも、得体の知れない奴の作るごはんなんて毒見しないと食べられないですよね。料理が難しいなら、お裁縫だけでもいいです』
杏菜が続ける。
『あの、どこから現れたかも分からない私のことを保護してくださって、ほんとに感謝してます!調査兵団でしっかり働きますから、ここに置いてください…!』
彼女の言うことが本当なら、それはそれは心細く不安な状況だろう。
エルヴィン、リヴァイ、ハンジは、少し前のエレンの裁判を思い出した。
彼のように「いいから黙って全部俺に投資しろ!」なんて叫んだりしない。
むしろ、自分を保護してもらったことへの感謝と、調査兵団に身を置く覚悟を訴えている。
杏菜は真っ直ぐに、目の前のエルヴィンを見つめている。
「分かった。じゃあ、しっかり頼むぞ。料理は君が言う通り、暫くは警戒せざるを得ないだろう。君が食事を作る時は他の兵士に見守らせるが、それでいいか?」
『はい!』
エルヴィンの問いに、表情を明るくして返事をする杏菜。
「裁縫ができると言ったな。訓練で服が破けたり穴が空いたりなんて日常茶飯事だ。それを修繕してもらえるととても助かる」
『分かりました!』
嬉しそうに笑った杏菜に、その場にいた兵士の大半が心臓を撃ち抜かれた。
「いや~よかったよかった!アンナ、これからよろしくね! 」
ハンジが満面の笑みで杏菜を抱き締める。
『ハンジさん、ありがとうございます!よろしくお願いします』
嫌そうな素振りも見せず照れたように笑う杏菜。
「おい、アンナ。そいつといると目が悪くなるから気をつけろよ」
「も〜リヴァイったら。私の目の悪さは伝染らないから!変なこと言わないでよね!」
リヴァイとハンジのやり取りを笑いながら見ていた杏菜に、エルヴィンが話しかける。
「早速だが、アンナには仕事に取り掛かってもらいたいんだ。部屋はちゃんと用意する。まずはその服を着替えてもらわないといけないな」
そうだった。まだ浴衣のままだ。
「はいはい!男どもは退室退室!うら若き乙女の着替えなんて見るもんじゃないよ!アンナ、兵団の服持ってきたからこれに着替えな!」
『ありがとうございます』
ハンジに追い出されたリヴァイとエルヴィン、今の一連のやり取りを見守っていた兵士たち。
「…さ!アンナ、着替え手伝うよ!ずっと気になってたんだけど、そのユカタどうなってるの?」
初めて見る服に興味津々のハンジ。
『この浴衣も含めた“和服”は、“着物”とも言って、最終的に帯で固定されてるんですよ』
そう言いながら帯をぐるりと前に回して解いていく。
すごい。このリボンの形をした塊も、「オビ」で作られてたなんて。
それから何本もの紐や布が浴衣の内外から出てくる。
「え、まだあるの??」
困惑するハンジ。
その顔を見て可笑しそうに笑う杏菜。
やっと杏菜の華奢な身体が薄い肌着に包まれて姿を現した。
細いな……。
でも痩せすぎてるってわけでもない。
たったの17歳で突然死んでしまうなんて。
可哀想に……。
柄にもなく1人でしんみりとしてしまったハンジ。
杏菜はというと、
『わあ!持ってきてくださった制服、サイズピッタリです!』
と喜んでいた。
それを見て、少し心が救われた気になる。
杏菜は浴衣を脱いで兵団の制服に身を包み、とても動きやすそうだ。
今脱いだものを、手際よく畳んでいく。
ハンジは興味津々でその様子を見ている。
「わあ〜!それそんなに綺麗に真っ直ぐ畳めるようになってるんだね!」
『はい。着物はこの糸をほどけばそれぞれのパーツに分かれはしますけど、縫い合わせたら1枚の反物に戻るんですよ』
「えっ!?これ元々1枚の布なの!?」
知らないことを知るというのはなんて面白いんだろうか。
ハンジは目を輝かせながら、今畳んだ浴衣を見ている。
『もしよかったら、いつかハンジさんの着物縫わせてください』
「え!?いいの!?」
『はい、もちろんです!』
杏菜の言葉に、ハンジは更に目を輝かせる。
「あ、でも着方が分からないや」
『それは私が着付けしますから大丈夫ですよ』
自分の心配も一瞬で解消されてしまった。
ああ、なんて素晴らしい日だろう。
とんでもなく面白い仲間に出会えた。
こことは別の世界から来たという彼女。
もし嘘をついているなら、それはその時に対処を考えよう。
でも今はとてもそうは思えない。
この子はきっと、私たちにとってかけがえのない存在になるはずだ。
「さ、アンナ。畳んだユカタは後から君の部屋に運んでおくから、とりあえず兵団の建物内を案内するよ。厨房の中も見せておかないとね」
『はい!よろしくお願いします』
杏菜はハンジに連れられて、調査兵団の建物を見て回ることになった。
つづく
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