山内優斗と初めて会ったのは同じ会社の新人研修のときだった。
つまり、同期だ。
彼とは配属先が違ったけれど、最初から意気投合し、友だちとして関係が始まった。
そうしていると、やがて恋人関係になり一緒に暮らすようになった。
23歳から付き合い始めて5年。
同棲して3年になる。
家賃を折半しているのに、家事と料理はなぜか私がやることになっている。
何度か優斗に分担しようと提案したが、最初こそ彼も渋々やっていたものの、だんだんやらなくなった。
で、今はもう優斗は完全に王さま状態である。
「それって紗那に問題があるんじゃない? やらせないから」
「うーん、だって私がやったほうが早いんだもん」
「それよ。男って女がしてあげるとそれが当たり前になって何もしなくなるのよ。私の元彼がそうだったもん。だから別れたの」
「そういうもん?」
昼休憩に別の部署にいる同僚とカフェスペースでお弁当を食べる。
運がよければ窓際の景色が見える場所に座れる。
この日はふたりで並んで座り、外の景色を眺めながらのランチだった。
同僚の林田美玲は私と優斗のことをよく知る人物である。
「特に山内くんはどこかふわっとしてるじゃん。紗那がしっかりしてるから甘えているのよ。ここは厳しく言わないと!」
美玲の言うことも確かに一理あるなと思った。
私は性格のせいか、何でも優斗のお世話をしてしまう。
美玲はサンドイッチをかじりながらため息まじりに話す。
「結婚したら夫育てをしろって聞くじゃん。あれ、何なんだろうね。夫育てなんて姑がしておけよって思うわ」
「……うん、まあ」
私は今朝作ったお弁当のハンバーグを箸でカットして口に入れる。
「私さ、もし生まれた子どもが男だったら、家事と料理はしっかり仕込んでおくつもりよ!」
やけに強い口調で言うものだから、紗那は怪訝に思い訊ねた。
「美玲、何かあったの?」
「はあ……弟が離婚されそうなのよ」
「え?」
紗那は箸を止めて、周囲に視線を配る。
誰もこちらを見てはいないようだが、シビアな内容であるためひっそりと話す。
「何があったの?」
「義妹が妊娠してるの。もうすぐ生まれるんだけどさ。弟が何もしないから奥さん怒ってね。ただいま実家に出戻り中」
「妊娠中の奥さんを残して?」
「追い出されたのよ。あんたみたいな役立たずはいらないって。まあね、うちの母は弟を溺愛していたから何もできない子になっちゃったのよね」
「でも、それだけが理由なの?」
美玲は食べ終えたサンドイッチの袋を丁寧に畳みながらうーんと唸った。
「奥さんが切迫流産のとき、弟は妊娠は病気じゃないから家事くらいしろって言ったらしくて」
「それ絶対言っちゃダメなやつ!」
美玲は頭を抱えてため息をつく。
「そういうのが積もり積もって、奥さんがついにキレて……弟が飲み会から酔って帰宅したときに離婚しようって言われたらしいの」
「あー……なるほど」
うちも似たようなことがあったなあと思い出す。
優斗もたまに飲みに行っては相当酔って帰ってくる。
帰宅すると玄関に寝転んだり、靴のままリビングに上がったり、トイレで寝ていたり、そんなことも何度かあった。
紗那が激怒すると優斗はしばらくおとなしくなるが、それもずっとは続かない。
結局また酔って帰っては靴を履いたまま部屋に上がろうとするし、トイレで寝たりする。
もう、諦めていた。
「一応、私は義妹の味方。うちの母が弟大好きだからさ。奥さんに非があるんじゃないかって言うわけよ。そんなの夫婦にしかわからないでしょ。一方の意見だけ聞いてどちらかを悪にするなんてどうかしてるわ」
「そうだね。美玲のお母さんは息子の離婚危機を心配じゃないのかな?」
「ぜーんぜん。せっせとお世話してるわ」
「うわっ……」
どこも似たようなものだなと思う。
母親にとって息子は特別。恋人に似たような気持ちがあると聞くけれど、実は私の兄もそんなふうに育ったのだ。
兄は三十路過ぎても結婚せず、実家に居座ってすべての世話を母がしている。
「こんなリアルを見ていたら結婚なんてしたくないって思っちゃうんだよね」
美玲はそう言ったあとすぐ、慌てて付け加えた。
「紗那たちのことを否定しているわけじゃないのよ」
「わかってるよ。でも、美玲の言っていることはなんとなくわかる」
「紗那……?」
正直、まったく家事しないどころか母親の言いなりの優斗と結婚して、果たして幸せになれるのだろうかと思う自分もいる。
多くは望まないけれど、せめてストレスだらけの生活は避けたい。
「まあ、話し合ったほうがいいね。入籍する前に」
「そうだよね」
考えるとため息が出る。
けれど、別れたいとは思わないのだ。
5年も付き合ってきて、いい意味で自然体でいられるというのが大きい。
優斗は面倒なことから逃げるタイプだけど、上手く付き合えば穏やかに過ごせるし、束縛もないし、何より仕事しててもいいと言ってくれるから。
「落としましたよ」
いきなり背後から声をかけられて、紗那は顔を傾ける。
視界に入ったのは男性の手と自分のタオルハンカチだ。
ふわっと柑橘系の香りがした。
少し重めだが爽やかさもある大人の香水だと思った。
「あ、ありがとうございます」
礼を言って慌てて立ち上がるも、顔を見る前にその人は立ち去ってしまった。
「誰だろ? すっごいビジュアルよくない? あんな人いたっけ?」
「さあ……?」
私と美玲は歩いて去っていく男性のうしろ姿を目で追った。
すらりと長身でさっぱりした短髪に、細身のスーツが足の長さをこれでもかと強調する。
「ああーっ、惜しい! 顔見たかったあ。絶対かっこいいと思う」
「……そうかな? 外見が綺麗だから顔も綺麗とは限らないよ」
「紗那って男を顔で選ばないタイプだよね?」
「それって優斗がかっこよくないって言いたいわけ?」
「いやまあ、すっごいイケメンではないよね。フツー?」
「それでいいよ。イケメンの人って性格悪いイメージ」
「あんた、過去に何かあったの?」
「……別に」
実は大学時代に少しだけ付き合った男性が顔立ちの整った人だった。
付き合い始めた頃は周囲から羨望の目で見られていたので、私自身もまんざらでもなかったのだけれど。
彼は同時に3人の女と付き合っていた。
結局3ヶ月で別れた。
そのときから、顔のいい男には必ず裏があると思っている。