徹の付き添いのお陰か、意識を取り戻した後の私は周囲が驚くほどの回復を見せた。
何の後遺症も残っていないのはもちろん、1週間ほどで歩行も可能になり、10日後には産科病棟に顔を出しに行けるまでになった。
さすがにここまで大きな発作を起こしたからにはすぐに職場復帰というわけにはいかず、私は来年春までの休職扱い。
研修医である以上休職すればそれだけ研修期間は伸びるわけで、多少の焦りを感じないと言えば嘘になる。
でも今の私は、それも仕方がないことと穏やかに受け入れる気持ちになれる。
それはきっと、徹がいてくれるから。
「なあ、他に準備するものは本当にないのか?」
1人窓の外を眺めていた私に、徹が声をかける。
「うん。大丈夫。もし必要になればその時言うから」
もう、どうして徹はこんなに心配性なんだろう。
後で私がするといっても一切聞かず、一人で荷物の整理を始めているし。
検査結果も体調もすこぶる良好な私は、目覚めてから2週間後の明日退院の日を迎える。
あまりにも急な展開で帰る家の準備をどうしようかと慌てたお兄ちゃんに、
「僕の家に連れて帰ります」と、徹が宣言。
当然反対するんだろうと持っていたお兄ちゃんは何も言わず、私は徹のマンションへ帰ることになった。
****
「じゃあ、行ってきます」
「うん、気を付けて」
一緒に朝食を食べてから仕事に向かう徹を見送る私。
退院して徹のマンションに帰ってきて以来、専業主婦のような生活を送っている。
「今日は病院だったよな?」
「うん。せっかくだから雪菜ちゃんとランチをして医局にも顔を出してくるわ」
「ああ。俺は、今夜は会食の予定が入っているから遅くなりそうだな。待たなくていいから先に寝てろよ」
「わかった」
結局3か月休職した後仕事に復帰した徹。
最初は私を心配して30分おきに電話をくれていたけれど、しばらくすれば慣れてやっと日常生活に戻ってきた。
「無理はするなよ。行き帰りは電車なんて使わずにタクシーにして、間違っても仕事なんてするんじゃないぞ」
「わかってるから」
いいから早く仕事に行ってと背中を押しながら、私は徹を送り出した。
「さあ、私も準備して病院へ行かなくちゃ」
外出用の小さめのポーチに財布と、ハンカチと、診察券と保険証。携帯は出かけるまで充電しておこう。
それから・・・病院のみんなからもらったお見舞いのお返しにお菓子でも買っていこう。
スタッフは女性が多いから甘いものを差し入れればきっと喜んでくれるはず。
ということは、やっぱり駅前に行きたい。
徹には怒られそうだけれど、少し歩いて駅前の店まで行ってみよう。
そうと決まれば、早く支度をしなくちゃ。
急に慌ただしくなった私は、バタバタと身支度をしてマンションを飛び出した。
***
久しぶりに街中を散策し、駅の近くのケーキ屋さんで焼き菓子を買い込んだ。
店を出たのはまだ9時で、受診の予約時間までにはだいぶある。
そうだ、コーヒーでも飲んでいこう。
最近外に出る機会もなかったから、たまには1人でゆっくりするのも悪くない。
私は大通りに面したコーヒーショップに入った。
「カフェモカホット、トールで」
「はい」
一緒にスティックのチーズケーキも買い、窓際の席に向かう。
「いただきます」
小さな声で呟いて、コーヒーを一口。
ウゥーン、美味しい。
チェーン店だけあっていつも変わらない安定のおいしさ。
さすがに通勤時間は過ぎたようだけれど、窓の外には行きかう人の波。
みんな忙しそうに歩いている。
私も少し前までこんな感じだったんだよね。
いつも時間と仕事や勉強に追われていた。
与えられたものをこなそうと必死だった。
今こうして、のんびりしているのが嘘みたい。
たった3か月前の自分を思い出して感慨にふけっていると、ふいに服を引っ張られる感覚がして思わず振り返った。
え?
そこにいたのは小さな女の子。
「あれ、どうしたの?」
***
女の子は背格好からして3歳くらい。
可愛いらしいワンピースはフリフリで、髪は三つ編み。
大きな目でまっすぐに私を見ている。
とにかくすごくかわいい。
ただ、
「こら、陽菜(ひな)。勝手に行かないの」
どうやらお母さんらしい女性が、女の子の後を追ってきた。
「すみません」
服をつかまれてしまっている私に頭を下げ、抱き上げようとするお母さん。
それでも女の子は私の服を離さない。
「いいですよ。大丈夫ですから」
「でも・・・」
申し訳なさそうに女の子を抱き上げようとするお母さんだけれど、なかなか思うようにいかない。
「本当に大丈夫ですから。陽菜ちゃん、お姉ちゃんのお洋服が珍しかったのかな?」
そう言って笑顔を向けると、
「抱っこ」
陽菜ちゃんは私に向かって手を伸ばした。
えええ。
ちょっと驚いたけれど、
「いいよ、抱っこね」
私は陽菜ちゃんを抱き上げて、膝に抱いた。
「すみません」
私に向かって謝るお母さん。
「いいんですよ、お母さんも大変ですものね。私でよければ抱っこします。よかったらお隣どうぞ」
お母さんが手にしているトレーには、サンドイッチとオレンジジュースとホットドリンクのカップ。
きっと、陽菜ちゃんに軽食を食べさせようとしていたんだろう。
「すみません、ありがとうございます」
持っていたトレーをテーブルに置くと、私の座る隣の椅子にお母さんも腰を下ろした。
***
「失礼ですけれど、今何か月ですか?」
私は、陽菜ちゃんにサンドイッチを食べさせているお母さんに声をかけた。
ゆったりめの服を着ているからはっきりとはわからないけれど、このお腹はおそらく臨月に近いと思う。
1人で動くのだって辛いだろうに、小さな子の世話をしながらの外出は大変だと思う。
「37週に入ったところなんです」
「そうですか」
37週といえばもう生まれてもいい時期。
早産の心配はなくなる分大きなおなかで動きにくいだろうし、破水の心配もあるから無理な外出は避けたいところだけれど。
「今日、娘の誕生日なんです」
私の気持ちが顔に出ていたのか、お母さんの方が話し出した。
「へえー、それはおめでとうございます」
「ありがとうございます。今日で4歳になる娘に、何か買ってやりたくて無理して出てきたんです。でも、少し疲れました」
そりゃあそうでしょう。
臨月の体にはかなりきついと思う。
「でもね、この子が生まれたらしばらくは外出できなくなると思うので」
そう言って、お母さんはお腹をさすった。
***
確かに産後しばらくは外出もできないし、赤ちゃんが生まれれば二人を連れての外出になるわけで、お母さんの負担はますます大きくなる。
「大変ですね」
無意識に口を出てしまった。
「ええ、でも幸せです」
にっこりとほほ笑むお母さん。
そんなものだろうか。
親になれば皆、無条件にこんな気持ちになれるものだろうか?
違う気がする。
それに、私はずっと膝に座っている陽菜ちゃんに違和感を感じていた。
手も足もすごく細くてとっても色白で、かわいいお人形さんのような陽菜ちゃん。
でも、今日で4歳にしては小さすぎる。
ただ小さいだけじゃなくて、病的な細さと白さ。
何かあると感じるのは医者の感かもしれない。
「もしかして看護師さんですか?」
先に違和感を口にしたのはお母さんの方だった。
どうやら無意識のうちに陽菜ちゃんの手足をジロジロと見ていたらしい。
「すみません、失礼な態度を。私、こう見えて医者です」
「へえー」
驚いたような納得したような顔をされて、『駆け出しの研修医ですが』と言い損ねてしまった。
***
「やっぱりわかる人にはわかるんですね」
お母さんは一瞬肩を落とした後話し始めた。
お母さんの話によると、陽菜ちゃんは小児がんにかかっているらしい。
幸い治療の効果があって今は小康状態を保っているが、いつ再燃するかはわからない。
根本的な治療方法は骨髄移植しかない。
しかし、骨髄移植となれば問題はドナー。
運よくドナーが見つかればいいが、そうでなければ移植はできない。
もちろん、兄弟間であれば四分の一の確率で移植可能となるが、
「陽菜ちゃんに兄弟は?」
きっとこの時の私は医者の顔をしていたと思う。
「いいえ」
「そうですか」
言いながら、私の目はお母さんのおなかに向いてしまった。
「やっぱりそう思いますよね」
「え、いや」
ここまで顔に出してしまっては言い訳できないと思いながら、言葉を濁した。
「陽菜の病気が分かった後に、私は妊娠しました。間違っても陽菜のドナーのために子供を作ったつもりはありません。でも、誰も信じてはくれない」
「お母さん」
私は医者として、人として最低な人間だ。
***
「すみません、初対面の方に失礼なことを」
私は深く頭を下げた。
いくら謝っても許されることではないけれど、せめて気持ちは伝えたかった。
「私の方こそ、陽菜がご迷惑をおかけしたうえにいきなり身の上話をしてごめんなさい。いろんなことが重なってしまって、少しマタニティーブルー気味でして。どうか、許してください」
「そんなぁ」
悪いのは私なのに。
その後はお母さんと私のわだかまりも解け、陽菜ちゃんをはさんで楽しくお茶をした。
「へー、先生24歳ですか?」
「ええ、っていうか、先生はやめてください。まだ研修医なんです」
「でも、お医者さんでしょ?」
「うーん、まあ」
「私、風見紗耶香といいます。24歳です」
「ええー」
同い年で2人目って、すごい。
「二十歳で陽菜を産んだんです」
「へえー、すごいなあ」
私には想像もできない。
「私的には、先生の方が凄いと思うけれど」
そうかなあ、そんなことないと思う。
***
楽しく3人でお茶を飲み、小一時間を過ごした。
「そろそろ行きますね」
私が立ち上がると、
「じゃあ、私たちも、」
紗耶香さんも席を立った。
その時、
「あぁっ」
小さな声で言い、しゃがみこんだ紗耶香さん。
「どうしたんですか?」
「破水、したみたい」
「えぇ?」
それは、大変。
「大丈夫です、すぐに病院と主人に連絡しますから」
「そうしてください。私が陽菜ちゃんを見ていますから」
カバンから携帯を取り出し病院に連絡を取る紗耶香さん。
私は陽菜ちゃんを抱いていることしかできない。
「わかりました。今から向かいます」
そういって電話を切ると、今度は別のところに電話しているみたいだけれど繋がらない様子。
「どうやら主人には連絡が付きませんが、タクシーで産院へ向かいますので」
「向かいますのでって、一人では無理でしょ?陽菜ちゃんはどうするんですか?」
「連れていきます。小さな産院で、遊ばせておくスペースもあるので」
そんな・・・
お産の間陽菜ちゃんを一人にしておくことなんでできるわけがない。
それに、ここから産院までだって一人では無理でしょう。
「いいですよ。産院まで一緒に行きましょう」
「そんなご迷惑はかけられません」
「いいから行きましょう。陽菜ちゃんと荷物は私が持ちますから、場所を教えてください」
遠慮する紗耶香さんの腕を引き、私たち3人は店の前で捕まえたタクシーに乗り込んだ。
***
車で20分ほど走って着いたのは小さな一軒家。
事前に連絡がしてあったらしく、入り口を入ると40歳くらいの女性が待っていた。
「ゆっくりでいいから横になってくださいね」
紗耶香さんの腕を持ちながら、中へ誘導していく。
私たちは、ベットではなく畳に布団を敷いた和室に通された。
隣の部屋の一角に小さなキッズスペースがあったため、私は陽菜ちゃんをそこに下した。
ここで、赤ちゃんを産むの?
それが素直な感想。
今まで何十人もの出産に立ち会ってきた病院の分娩室とあまりにも違って、戸惑った。
「で、あなたは?」
一通り診察をしてから私を見た助産師の女性。
「通りすがりのものです。陽菜ちゃんを一人にできなくて着いてきてしまいました」
「そうですか。よかったらもうしばらく見ていてください」
「はあ」
なんだか、逃げ出せる空気ではなくなった。
紗耶香さんは痛みも出てきて私のことを気にする余裕もなさそうだし、陽菜ちゃんだっていつまでもご機嫌で遊んでいてくれるかわからない。
仕方ない、もう少し付き合いますか。
****
初産でないせいか、お産はとても順調に進んだ。
昼過ぎには本格的な陣痛が始まり、夕方には生まれてしまった。
その間助産師の女性は紗耶香さんに付きっきりで、お産を見守っていた。
病院のように、『何かあれば呼んでくださいね』なんてことはなく、常に声をかけ話しをしながらのお産だった。
いつも、『先生お願いしまーす』と言われてお産に立ち会う私にはちょっとしたカルチャーショックでもあった。
もちろん陽菜ちゃんも終始いい子で、私がいる必要はなかったのかもしれない。
「おめでとうございます。2750グラムの元気な男の子ですよ」
「ありがとうございます」
おくるみに包まれた小さな命をそっと抱きしめる紗香さんの目に涙が浮かんでいた。
私も感動した。
お産は病気ではなくて、こんな風に生まれてくるのが自然なんだと思えた。
「すみません、病院へ連絡をお願いします」
声をかける紗耶香さん。
「わかってますよ」
助産師も頷きながら返事をした。
***
その日の夕方。
夜にならないとご主人も来られないとのことで、帰るタイミングを逃してしまった私は陽菜ちゃんと一緒に助産院にいた。
生まれた赤ちゃんもとっても元気で、紗耶香さんもうれしそう。
ただ気がかりは、私の受診予約をすっぽかしてしまったこと。
途中で連絡を入れようとも思ったけれど、携帯を充電したまま忘れてきてしまい電話ができなかった。
もしかして、山神先生が心配しているかなあと頭をかすめた。
でもまあ行けなかったものは仕方ないし、明日にでも電話して予約を取り直して、先生には受診の時に謝ろう。
抱っこされたまま眠ってしまった陽菜ちゃんを膝にそんなことを考えていると、
「ごめんください」
なぜか耳なじみのある声が聞こえてきた。
ん?
「ああ先生、わざわざすみません」
「いえいえ、かまいませんよ」
え、待って、この声は、
「こんにちは」
ドアが開いて入ってきた人を見て、私は固まった。
***
「風見さん、ご出産おめでとうございます。早速ですけれど、診察しますね」
部屋に入ってきた山神先生は、チラッと私を見てから声をかけることもなく紗耶香さんの方へ寄って行った。
なぜか無視されたようで気分が悪いなと思ったけれど、今は赤ちゃんの診察が優先なんだろうと黙ることにした。
「うん、とっても元気だね。どこにも異常はなし。骨髄検査はすぐに結果が出るわけではないから、もう少し待ってください」
「はい」
紗耶香さんも淡々と話を聞いている。
どうやら陽菜ちゃんは山神先生の患者さんらしい。
そして、生まれてきた赤ちゃんと陽菜ちゃんの骨髄検査をするつもりみたい。
「じゃあ、僕はこれで」
山神先生が助産師さんと紗耶香さんに声をかけて立ち上がる。
反射的に私もその場に立った。
診察も終えこのまま帰ってしまうのかなって思っていると、
「ここにはもう1人僕の患者がいるみたいだね」
そういって私に近づいて来た。
やはり私の存在には気づいていたらしい。
****
「乃恵ちゃん」
「はい」
思いのほか険しい表情で呼ばれ、背筋を正した。
「なぜここにいるの?」
「えっと、それは」
今日紗耶香さんと出会ったときの経緯から話すとなると、ずいぶん長くなってしまう。
どうしようかなあと考えていると、
「受診もすっぽかしたでしょう?」
「別にすっぽかしたわけでは」
たまたま紗耶香さんに出会ってしまって行けなかっただけで、さぼったつもりはない。
「連絡もせずに来なかったのは事実でしょ?」
「まあ、そうですけれど」
「なんで連絡しないのっ」
山神先生にしては珍しく厳しい口調。
「それは、たまたま携帯を忘れてきてしまって」
そんなこと誰にでもあることじゃない。
そんなに怒らなくてもと、私は思っていた。
「君と連絡が取れなくなって、心配するとは思わなかったの?」
「それは・・・」
なんだか私が劣勢。
確かに、今日一日私は連絡が取れない状態だったし、私に用があったとすれば心配になっても当然かもしれない。
でも、
「もういい、あとは直接話しなさい。僕なんかよりよっぽど心配していた人がいるんだからね」
先生が言い終わるのと、
ピンポーン。
産院のチャイムが鳴るのが同時だった。
「はーい」
助産師さんの声と玄関の開く音が聞こえて、きっと紗耶香さんのご主人がやって来たんだと思っていた。
しかし、
***
少しだけドアが開き顔を覗かせたのは、
「徹?」
ここにいるはずのない人の登場に驚いた。
「ここはもういいから、行きなさい」
山神先生は厳しい表情のまま、私の背中を押す。
いや、でも、なんでここに徹がいるんだろう。
「紗耶香さん、私はこれで失礼しますね」
「ありがとうございました」
一応紗耶香さんに挨拶をして、私は廊下へと出た。
「お邪魔しました」
ずいぶん長居をしてしまったから助産師さんにも挨拶をして、さあ徹のところへと思っていると、
ギュッ。
すごい力で、腕をつかまれた。
「徹、痛いよ」
無意識で出た言葉。
それでも徹の力が緩むことはなく、私は引きずるように産院を連れ出された。
「ねえ、待って。徹、お願いだから待ってよ」
いくら言っても徹の返事はなく、どんどんと歩いていく。
少し歩いた先に、見慣れた車が止まっていた。
助手席を開け押し込むように私を乗せると、
バンッ。
乱暴にドアを閉めて車を発進させた。
***
さすがにこの状況で、徹が怒っているのは理解できた。
こんな時は余計なことを言わないのが一番なのもわかっている。
お互いに何の言葉も発せないまま、車はマンションへ向かって行った。
20分ほど走って到着したマンション。
エレベーターに乗って部屋まで帰り、リビングに入るまで徹は私の腕をつかんだまま。
もしかして私が逃げるとでも思っているのかしら。
チラッとそんなことを考えたけれど、当然口には出さなかった。
「今までどこにいた?」
リビングのソファーに座り、やっと出てきた言葉。
「えっと、さっきの産院にいました」
「なんで?」
なんでって、
「たまたまコーヒーショップで一緒になった紗耶香さん、紗耶香さんてさっき産院で出産した妊婦さんなんだけれど、その紗耶香さんが破水して、旦那さんに連絡がつかなくて、一人にできなくて産院までついて行ってしまったの」
悪いことをしたつもりはないからはっきりと答えたけれど、徹の顔は怖いまま。
これは相当怒っている。
***
「今日は乃恵も受診の日だったよな?」
「うん。でも調子もいいし、受診はずらしてもいいかなって」
「それはお前が決めることか?」
「違い・・ます」
「受診をキャンセルするにしても、なんで連絡しなかった?」
「携帯を家に忘れていて・・・」
「大体、電車じゃなくてタクシーを使えって言ったよな?」
「うん」
確かにそう言われていた。
「お前は俺を殺す気か?」
「は?」
それはあんまりにも大げさな、
「忘れてないか?突然倒れて、2ヶ月も意識不明で、やっと回復して退院してからまだ1ヶ月しかたっていないんだぞ」
「それはそうだけれど」
もうすっかり元気だし。
「今日1日お前と連絡が取れなくて、俺がどれだけ心配したと思っているんだっ」
こんな風に、子供みたいに声を上げる徹を初めて見た。
きっと、それだけ切羽詰まっていたってことなんだろう。
「山神先生からは連絡もなく受診に来ていないって電話が入るし、お前に電話しても繋がらないし、マンションのフロントに聞いてもタクシーなんて呼んでいないって言うし、本当に生きた心地がしなかった」
思い出しながら話す徹の顔が青ざめているように見える。
悪気はなかったけれど心配をかけたのは事実で、ここまで聞いてやっと徹の怒りが理解できた。
「本当に、ごめんなさい」
やっと、素直に謝ることができた。
「頼むから2度とこんな思いはさせないでくれ」
徹の方もホッと息をつき私を抱き寄せる。
***
これでやっと仲直り。
徹の機嫌も直ったものと思っていた。
しかし、いつも通り夕食を食べ、お風呂に入ろうとした時、
「一緒に入ろう」
突然、徹が言い出した。
「え、いや、恥ずかしいし」
「残念、今日の乃恵には拒否権はなし」
「ええー」
「ほら行くぞ」
えええー。
何度抵抗しても許してはもらえず、私は徹と一緒に入浴することになった。
「なあ乃恵、そんなに怒るなって」
「だって」
恥ずかしいって言ったのに。
明るい浴室の中で、当然お互い裸のままで、恥ずかしくないわけがない。
いくらそういう関係だからと言って、羞恥心は消えない。
「ほら、寝るよ」
結局髪も徹に乾かしてもらい、やっとベットに入った。
「これに懲りたら、2度と行方不明にはならないことだね」
徹は私の扱いがうますぎる。
どうすれば恥ずかしくて、どうすればうれしくて、どうすれば泣き出すかよくわかっている。
それはきっと、私が徹を知るずっと前から私のことを知っていたからかもしれない。
そう思うとなんだか悔しいけれど、好きになってしまった以上仕方がない。
この先どんな未来が待っていようと私は徹と共に生きると決めたわけで、その思いに嘘はない。
きっと、紗耶香さんの様に子供を持つことはできないと思う。
体調を崩す度に徹には心配をかけることになるのかもしれない。
仕事だって少しずつ再開したいと思っているし、そうなればすれ違いの時間も増えるだろう。
それでも、私は徹といたい。
切ないほど愛おしいあなたと、生きていきたいから。
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