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うーぅん。
頭が痛い。
ブルッ。
それに、すごく寒い。
目を開けたいのに、暗くて何も見えない。
ん?
私、目隠しされてる?
手で覆いを取ろうとしたら、
嘘。
手も足も拘束されていて、動けない。
えっと、ええーと、なんでこんな事になったんだっけ?
とりあえず、思い出せるだけ思い出してみよう
***
昨日の朝、孝太郎が仕事に出かけてからも私は河野副社長について調べ続けていた。
探って行くにつれて疑問点は増えるばかりだったし、一見何もないように見せかけているのも返って怪しく思えた。
かといって、あの河野副社長が簡単に尻尾を出すはずもなく、正攻法で攻めても限界なのもわかっている。
「さあ、どうするかな?」
集められるだけの状況証拠を集めて、後は徹と孝太郎に任せるって方法もある。
その方が安全だし、確実なんだろうとも思う。
けれど、それには時間がかかるし、1人でも多くの人が関わることで河野副社長に気づかれてしまって証拠を隠蔽されてしまうリスクもある。
それに、孝太郎や徹に危害が行くようなことは絶対に避けなければいけない。
そうなれば、答えは1つ。
私が1人で動くのが一番安全で、早くて、もしもの被害を最小限に抑えられる。
なんて言ったって、私はもう専務秘書でもないし、私の行動をネタに孝太郎が脅されることもないんだから。
「よし、じゃあ、できるところまでやってみますか」
きっと孝太郎に知られれば、鬼のような顔で怒られることだろう。
それでも、今はこれが最善策。
私は自分に言い聞かせて、非合法な手段での情報収集を始めた。
***
表面上の情報をいくら集めてもなかなか見えてこなかった事実も、少し危険を冒して探ってみればわりと簡単に糸口が見つかったりもする。
まず、河野副社長と東西銀行はかなり親しい間柄らしく、ここ数年で受けた融資についての審査がかなりあまい。
私は銀行の融資の基準に詳しいわけではないけれど、他の事例と比べてみても『よくこれで審査が徹ったなあ』と感じるものが多かった。
そして取引そのものも、やたらと仕入れ値が高かったり、納入金額が低かったり。要はうちがもっと利益を上げられるのではないかって思う取引ばかりだった。
もちろん、取引をする上では単純に利益のことばかり言っていられないのも事実。これから先の関係や、その時の状況も踏まえて利益を削ることだってあるだろう。
しかし、それだけではない気がした。
ピコン。
孝太郎からのメール。
『麗子、危ないまねするなよ。徹の話だと、河野副社長の行動にはまだ裏があるらしい。気をつけろ』
『分かってる、大丈夫だから』
心配性な孝太郎を納得させるために返事をしてみたけれど、実際にはとことんまで突き詰めてやろうと思っていた。
前回は私の詰めが甘かったために河野副社長を弾劾できなかったから、今度こそ絶対にって思いが強い。
どんなことをしても尻尾をつかむ。
私はそう決心した。
***
調べれば調べるだけ河野副社長の息のかかった企業の数は多く、その関係者も増えていった。
これでは全容をとらえるのに時間がかかりそうだ。
1つでも良いから確定的な証拠があれば、河野副社長の悪事を表に出すことができるし、そうなれば芋ずる式に色々なことも見えてくるはず。
もっと手っ取り早く確たる証拠が欲しいんだけど・・・
その時、私はあることを思い出した。
河野副社長の専属秘書である三島さんに、『オペラのチケットが手に入ったんです。良かったら行きませんか?』って誘われていた。
『また機会があれば』なんて適当に答えたけれど、確か・・・今日のはず。
彼なら河野副社長の行動にも詳しいだろうし、何か情報が聞けるかもしれない。
私は早速三島さんに連絡を取った。
私と違い仕事をしている人に、平日の昼間に連絡しても無駄かなって思うけれど、今はやれるだけのことをするしかない。
たとえ今日が無理でも、近いうちに会えるチャンスができれば、河野副社長の情報を手に入れられる。
夢中になると周りが見えなくなる傾向のある私は、この時自分がどんなに危険な行動に出ようとしているかまで考えが及ばなかった。
***
メールをしてから1時間ほどで三島さんから返事が来た。
内容は『是非、行きましょう』と言うもの。
私も『楽しみにしています』と返信を打って、夕方会う約束をした。
午後6時。
指定された劇場の前で待ち合わせ。
今夜も帰ってくると言っていた孝太郎には外出するとだけ伝えて、詳しいことは言えなかった。
どう言っても反対されそうだし、わざわざ嘘をつくのも気が引けた。
幸い、朝出かけるときにスペアキーを渡してあるから、部屋には入れるはず。
「青井さん、お待たせしました」
スーツ姿でかけてくる三島さん。
「いえ、私こそ急にすみません」
私にしては珍しく、ふんわりしたワンピースに靴は5センチのヒール、髪もおろして緩やかに巻いてみた。
自分としてはかなり気合いを入れたつもりだ。
「いや、あの、なんだか・・・」
目の前まで来て立ち止まった三島さんの、視線が泳いでいる。
ん?
「どうかしましたか?」
「いや、あの・・・すごく綺麗です」
「ああ、ありがとうございます」
作戦と分かっていてもなんだか照れくさい。
「じゃあ、行きましょうか?」
「はい」
一歩前を歩く三島さんに続き私は劇場へと向かった。
***
「今日はありがとうございました」
オペラを鑑賞した後、私と三島さんはフレンチの店に移動した。
そこは時々テレビでも名前を聞くような有名店で、もちろん私が入ったこともないお店。
事前に予約をしていたようで、個室へと通された。
「初めてオペラを生で見ましたけれど、本当に素敵でした」
「喜んでもらって良かったです。実は僕の母は若い頃声楽家を目指していましてね、子供の頃からよく連れてこられたんです」
「へー」
三島さんは、年齢35歳。
どちらかというと控えめで、専属秘書の中ではおとなしい印象の人。
確か、どこかの企業の三男坊だって聞いた。
結局、良いところのお坊ちゃんなのね。
「母は自分の子供を声楽家にしたかったんですが、兄弟3人とも音楽の道には進みませんでした」
「そうですか」
「青井さんも、音楽に興味は・・・」
「すみません。まるっきり」
「ですよね。パッと見はどこかの令嬢風なのに、思いっきり理系女子ですもんね」
「ええ、まあ」
否定できない。
んん、待って、今の言い方って・・・
驚いて顔を上げると、真っ直ぐに見つめる三島さんの視線とぶつかった。
***
「青井さん、今夜僕を呼び出したのは河野副社長のことを知りたいからですよね」
いつもは控えめな三島さんが、怖いくらいに強く私を見ている。
「え、あ、それは・・・」
そうだ、この人は河野副社長の腹心で専属秘書。
たとえ縁故であっても、あの河野副社長が無能な人を側に置くはずはない。
「良いですよ、何でもお答えします。ただし、今夜一晩、僕と付き合ってください」
「えっ、それは・・・」
私だって子供じゃない。
三島さんの言うことがどんな意味なのかわかっている。
そして、それは孝太郎を裏切ること。
「無理にとは言いません」
ニヤリと、意地悪な顔をした三島さん。
「本当に、情報をいただけるんですか?」
どうしても、情報は欲しい。
たとえ、孝太郎との関係が終わるにしても、今回の件は自分でけりを付けたい。
でも、三島さんの事を信じて良いのだろうか?
「大丈夫です。あなたと2人で一晩過ごせるならそのくらいの価値がありますから」
淡々と話す三島さんのどこまでが本心で、何が嘘なのかはわからないけれど、こうなったら正面から切り込んでみよう。
ここまで来たらそうするしかないと、私は決心した。
「わかりました、参りましょう」
***
店を出て、タクシーに乗り、向かったのは都内のホテル。
慣れた手つきでチェックインを済ませた三島さんに手を引かれ、私は客室へと入った。
もしかしてすぐにベットへ連れて行かれるのかと思ったけれど、まずはソファーに座り冷蔵庫から出したアルコールをグラスに注いでくれた。
「急ぐことはない。まあ飲みましょう」
緊張で喉が渇いていた私もグラスに口を付けた。
しかし、この状況で会話が続くはずもなく、しばらく沈黙のまま時間だけが過ぎる。
たまりかねた私は自分から話を切り出した。
「河野副社長の目的は何ですか?」
「え?」
少し驚いたように、三島さんの手が止った。
「何の目的で、危険を冒してまで裏金を作ろうとするんですか?」
「青井さん、あなたは・・・」
私は決して河野副社長のやっていることの全容をつかんだわけではない。
証拠だって何もないし、ほとんどは私の憶測。
でも、状況証拠を整理し組みたてて行くと、鈴森商事に入るべき利益を削って裏金を作っているんじゃないかって結論にたどり着いた。
「話してくれる約束ですよね?」
だから、私はここへ来たんだ。
「やはりあなたはすごい人ですね。専務が秘書にと望むだけのことはある」
「三島さん?」
「もう少し早くあなたに出会いたかった。そうすれば、僕の人生も変わっていたかもしれない」
この人、何を言っているの?
それに、なんだかフワフワして、気分が・・・
あぁ。
自分の体が、ソファーに倒れていくのがわかった。
「青井さん、しっかりして。.青井さん」
遠くの方で、三島さんの声とドアの開く音。
私はそのまま意識を失った。
***
「青井さん、青井さん」
耳元で私を呼ぶ声がした。
「ん、んんーん」
口を塞がれた私は、声を出すことができない。
「目と口を取りますから、静かにしてくださいね」
ここで反抗してもどうにもならないのは分かっているから、私はコクンと頷いた。
ペリッ。
「ウゥッ」
粘着テープの剥がれる痛みに、思わず声が出た。
「良いですか、もう騒いだり暴れたりしないでください」
私の頬に手を当てながら言うのは三島さん。
そうか、気がついたのはこれが2度目。
ホテルで気を失った私は薄汚い廃工場のような場所に連れてこられた。
そして、1度意識を取り戻し暴れて抵抗した。
これでも子供の頃に空手を習っていたし、運動神経だって悪くはない。
本気になればなんとかなると思っていた。
実際、何人かに蹴りを入れ初めのうちはいい戦いをしていた。でも、そこは男と女の体格の差と、1対3の人数的な不利もあり、すぐに押さえ込まれた。
それからは酷かった。
蹴られ、殴られ、冷たい水を全身に浴びせられた。
『このままじゃあ、死ぬ』生まれて初めて命の危機を感じた。
そして、私はまた気を失ったんだ。
「かわいそうだけれど、足と手の拘束はこのままです」
この場には不釣り合いなくらい優しい顔で私を見る三島さん。
びしょ濡れの全身からくる寒さよりも、この状況で見せる三島さんの穏やかな表情が怖い。
私はコンクリート張りの床に転がりながら、ただブルブルと震えた。
***
「どうだ、口を割ったか?」
聞こえてきた声にビクンと反応してしまった。
この声は、河野副社長。
やっぱりあの人が黒幕なんだ。
「まだです。今気がついたところでして」
「三島、何をモタモタしているんだ。時間がないんだよ。この女が手に入れた情報だけでも十分危険なんだ。もし社長の耳にでも入って計画がバレれば俺たちはおしまいだぞ」
「はい、分かっています」
「分かっているなら早く吐かせろっ」
こういうのを恫喝って言うのよね。
権力にものを言わせて力でねじ伏せるなんて、本当に最低。
その上、河野副社長は命令するだけしてすぐにこの場を立ち去っていった。
残されたのは、三島さんとチンピラ風の2人の男だけ。
「青井さん、君が使っていたパソコンと調べていたデータはどこにありますか?」
「え?」
パソコン?データ?.
「あなたが河野副社長について調べていたのは分かっているんです。それをこちらに渡してください。でなければ、」
そこまで言って、三島さんの言葉が止った。
「そうでなければ何だって言うんですか?」
こんな時にまで意地を張る自分がイヤになる。
「自宅マンションはすでに調べました。どこに隠したんですか?」
えぇ、マンションはすでに調べたって・・・それって・・・
「俺たちも、人生かけているんです。いい加減言ってください。じゃないと、命の保証はできない」
キーンと頭の中で耳鳴りがした。
殴られるよりも蹴られるよりも衝撃的だった。
「パソコンとデータはどこにある?」
自分のやっていることを軽く考えたつもりはない。
危険だって感じていたし、法に触れる自覚もあった。
でも、命に関わることとは思っていなかった。
「できることなら、あなたをこれ以上傷つけたくはない」
「三島さん」
何が正しくて、誰が悪いのか、正直わからなくなった。
私はただ孝太郎のためになればと思っただけで、それなのに・・・
少しだけ、心が揺れた。
三島さんも河野副社長の被害者に見えた。でも、
その時、
バンッ。
大きな音がして、建物が揺れた。