荒らされた麗子のマンションで、俺は呆然と立ち尽くしていた。
一体何が起きたのか?
麗子はどこにいるのか?
わからないことは山のようにある。
「孝太郎・・・」
駆け込んできた徹がこの惨状を見て絶句した。
「悪いな、忙しいのに」
「バカ、そんなこと言っている場合か」
この部屋の荒らされた様子を見た俺は、警察に連絡する前に徹に電話をした。
もちろんこれは犯罪だし、麗子の安否がわからない今警察に届けるべきだのは分かっているが、それを躊躇ってしまう思いもある。
もし、この件に河野副社長がからんでいてすべてが公になれば、鈴森商事自体も大きなダメージを受けることになるだろう。
だから、俺は徹を呼んだ。
「麗子との連絡はつかないままか?」
「ああ」
「あいつは何を調べていたんだ?」
下着から書類や食料品まで、あらゆるものが床に放り出されている部屋の中を見て回りながら、徹は何かを確認している。
「麗子は、河野副社長と東西銀行との癒着や、新規の事業先との関係を調べていた」
「で、何かつかんだのか?」
「それはわからないが、何か証拠を見つけたと言っていた。それに、昨日は夕方から出かけるとも」
「ふーん、昨日かあ」
一瞬、徹が天を仰いだ。
やっぱり俺のせいだ。
昨日無理してでも麗子の元に帰っていれば、もっと早く事態を把握できた。
俺の気づくのが遅かったせいで、もしも、もしも麗子に何かあったら、俺は立ち直れないかもしれない。
***
「オイッ、しっかりしろ」
気合いを入れるように背中をペシッと叩かれ、ハッとした。
「悪い、動揺してしまった」
「しかたない、この状況だ。とにかく、今起きていることを整理しよう」
「ああ」
こんな時、徹は本当に役に立つ。
俺も相当に厚い皮を被って生きているつもりだが、徹の方が上かもしれないと時々思う。
「この部屋は確かに荒らされてはいるが、争った様子はない。そう言えば、麗子はここにいなかったんだよな?」
「ああ。ばあさんが管理する都心のマンションにいた」
「そうか」
じゃあ、犯人は麗子を連れ去るためにここに押し入ったんじゃないって事か。
となると、何かを探して、
「孝太郎、麗子が隠れていたマンションの方へ案内してくれ」
「あ、ああ」
冷静になって考えれば、何か物を探しに入ったにしてはここは荒らされすぎている。
ここまでするのは、きっと探している物が見つからなかったって事だ。
であれば、麗子はまだ無事でいるかもしれない。
「徹、急ごう」
「ああ」
***
車を飛ばし、戻ってきたマンション。
スペアキーで中に入ると、整然とした室内になぜかホッとした。
「ここは無事だな」
「ああ」
数時間前に見たままだ。
「そのパソコン、麗子のか?」
「そうだ」
そのパソコンを使ってずっと河野副社長について調べていた。
「ちょっと見せてくれ」
「ああ」
カチカチと徹がパソコンを操作している横で、俺は山になった書類を1枚ずつ確認していく。
どれもこれも河野副社長がらみで、調べたものをプリントアウトしたようだ。
東西銀行との融資の書類や、企業間の企画書、見積書、出入金記録。
どれも一般人に入手できるものではない。
「随分危ないことに手を出していたみたいだな」
機嫌の悪そうな徹の声。
「そうだな。ったく、あれだけ止めたのに」
結局俺の言う事なんて聞く気がなかったらしい。
「すべてお前のためだろ」
「・・・」
そんなこと、俺は望んでいない。
こんな危険を犯してまで働いてくれなんて一言も言っていないし、思ってもいない。
それなのに・・・
「まあ怒るな。あいつなりに一生懸命だったんだから」
「しかし」
そのために麗子が危ない目にあったんじゃ、何の意味もない。
「今は麗子の無事を確認することが先決だ。もめるのはそれからにしろ」
「ああ」
確かに、その通りだ。
***
麗子が残した資料とパソコンのデータ。
それは、素人の俺たちが見ても詳しいことまではわからない。
しかし、やはり今回の原因は河野副社長にありそうだ。
「河野副社長が動けば、すぐに知らせがくるようにしてあるから」
だから安心しろと言いたそうに、徹が俺の肩を叩いた。
「すまない」
どうも、今日の俺はポンコツで使い物にならない。
いつもならもう少しテキパキと動けるんだが・・・
「麗子がいなくなったとなれば、孝太郎が動揺してもしかたがない。こんな時のために俺がいるんだから、気にするな。それに、元々麗子を孝太郎に引き合わせたのは俺だしな」
「徹」
自分でも情けないと思う。
麗子の性格を考えれば、このくらいのことは想定しておくべきだったし、もう少し強い言葉で止めていればこんな事にならなかったのかもしれない。
それに、俺は昨日麗子と連絡がつかないことが分かっていて実家に帰った。
今日だって、仕事を放り出してでも、探しに来るべきだったのに・・・。
「これじゃあ、父さんと一緒だな」
「え?」
いきなり訳のわからないことを言った俺を、徹が振り返った。
***
子供の頃、いつも仕事優先で誕生日もクリスマスも帰ってこない父さんが嫌いだった。
絶対にあんな大人にはならないと思っていた。
「俺は徹がうらやましかったんだ」
「何だよ、いきなり」
「子供の頃、夏休みも冬休みも徹のおやじさんが遊びに連れて行ってくれたじゃないか」
「ああ。それがどうした?.」
「家の父さんは仕事ばかりで、一緒に出かけたこともなかったのに、徹のおやじさんとは色んな所に出かけた」
「そうだったな」
この状況でどうかと思うが、徹も懐かしそうな顔をしている。
「俺は、徹のおやじさんみたいな大人になりたかった。父さんのような仕事優先の大人には決してならないと思っていたのに」
今回、俺は仕事を優先して麗子のことを後回しにしたんだ。
だから・・・
「孝太郎、おやじは確かにいい人だった。優しくて、家族思いで。でも、死んだら終わりだ。俺は、どんな形でもおやじには生きていて欲しかった」
「徹」
「過去を悔やむのはやめよう。人は皆、背負う重荷が違うんだから。孝太郎はそれだけ責任のある仕事をしているんだ」
そうだな。その通りだ。
頭では理解しているんだが・・・
「孝太郎、河野副社長が会社を出るらしい」
徹の携帯に連絡が入ったようだ。
「分かった、俺たちも行こう」
まだ、終わりじゃない。今できる精一杯をしよう。
***
「それで、河野副社長はどこへ向かっているんだ?」
徹の運転する車に乗り込み、しばらく走った頃に聞いてみた。
「はっきりはわからないが、埠頭の方に向かっているみたいだな」
「そうか」
埠頭にはうちの倉庫もいくつかあったはずだ。
「実は今朝から副社長秘書の三島さんの姿が見えないんだ。もしかしたら、麗子と一緒にいるのかもしれないな」
「三島かぁ」
どちらかと言うとおとなしくて悪事を働くようには見えないが、河野副社長が黒幕となれば、彼も一枚噛んでいると思った方がいいだろう。
「河野副社長の車が、埠頭のうちの倉庫に着いたらしい」
「やはり、あそこだったか」
『俺たちが着くまでは何もするんじゃない』と徹が携帯で指示を出し、車のスピードを上げた。
麗子、どうか無事でいてくれ。
お前に何かあったら、俺は自分が許せない。
頼むから・・・
無宗教信者の俺が、この時ばかりは必死に祈った。
***
河野副社長が埠頭の倉庫に着いたと聞いてから、俺たちが到着するのに20分ほどの時間がかかった。
到着した時にはすでに河野副社長の姿はなく、見張っていた徹の部下からは『こちらには10分ほどの滞在ですぐに出て行った』と聞かされた。
「どうだ、麗子は中にいるのか?」
焦る気持ちの強い俺は、急かすように徹に確認する。
「ちょっと待て。今確認しているから」
忙しそうにパソコンを叩きながら、徹はなにやら探している。
「孝太郎、出たぞ」
え?
俺の方に向けられたパソコン。
そこには、
「麗子っ」
間違いなく彼女が映っていた。
「これは倉庫内に付けた防犯カメラの画像だ。普段は用事がない限り映して見ることはないんだが、リモートで操作してみた」
「お前って、凄いな」
こんな事ができるのか。
「ここが鈴森の倉庫だからできるんだ」
ふーん、やっぱり凄いよ。
「それより、麗子がかなり弱っているぞ」
「ああ、そうだな」
カメラからの距離があって細かいところまではわからないが、手足を拘束されているようだし、ぐったりと床に倒れ込んでいる。
急いで救出した方が良さそうだ。
「どうする?今通報したから、15分もすれば警察が来ると思うが」
「そんなの、」
待っていられるわけがない。
俺は辺りを見回した。
見えるのは荷物運搬用のリフトと、輸送用のトラックとダンプ。
元々荷物の1時置き場として作った倉庫だから、そんなに頑丈な作りではない。
この時の俺には、一刻も早く麗子の元に駆けつけることしか頭になかった。
***
「孝太郎、待て。落ち着け」
突然走り出した俺の背に徹の声がかけられたが、無視した。
もう、止る気はない。
とにかく麗子を助けたいんだ。
3台止っていたダンプの1台にキーが付いていた。
もちろん俺は大型車の免許は持っていないし、運転したこともない。
しかし、躊躇いはなかった。
ブウウゥーン。
エンジンが回転を上げ、ダンプが動き出す。
俺は倉庫の入り口に向けて、ハンドルを切った。
ドンッ。
ガチャーン。
ガガガッ。
ガッシャーン。
耳をつんざくような音と、強い衝撃。
俺の体も、ハンドルと座席に2度ほど打ち付けられた。
「麗子ー」
胸と、背中と、首と、頭と、手と足。体中が痛いけれど、それでも麗子の側に行きたくて、俺は駆け出した。
.「孝太郎」
三島と2人の男が放心状態で立ち尽くす足元で、横たわっていた麗子が俺の名を呼んだ。
「麗子、麗子」
俺が駆け寄るのと、ダンプが破壊し突入した入り口から複数の足音が聞こえてきたのが同時だった。
***
「大丈夫か?」
駆け寄り抱きしめた麗子は、びしょ濡れの体のままガタガタと震えていた。
「かわいそうに」
俺は着ていた上着を脱いで、彼女を包み込んだ。
見ると、手も足も顔にも殴られたような跡がいくつもあり、所々血も出ている。
クソッ。
なんで、麗子がこんな目に遭うんだ。
「大丈夫か?」
心配そうに徹が声をかけるが、
「大丈夫じゃない。麗子が、麗子が・・・」
いつの間にか、止めることのできない涙が頬を伝っていた。
「孝太郎、しっかりしろ」
分かっている。一番傷ついているのは麗子で、俺が動揺している場合ではない。
理解はしているんだが、気持ちが追いつかない。
「さあ、来い」
俺と麗子の横で、三島と2人の男が手錠をかけられ連行されようとしている。
ぐったりとうなだれ、うつろな目をしてこちらを見ようともしない三島。
いつも控えめで、河野副社長の側近にしては毒のないいい人だと思っていた。
間違っても女性を傷つけるような奴だとは思ってもいなかった。
ウウー、クソッ。
俺の中で何かがキレた。
そっと麗子を寝かせると、俺は三島につかみかかった。
「何で、何でこんな酷いことをするんだッ」
ワイシャツの襟首を締め上げ、
パシッ。
拳を振り下ろす。
「ウ、ウウゥ」
三島がその場に膝をついた。
さらに殴ってやろうと、俺は三島に手を伸ばす。
バシッ、バンッ。
たとえ周りに警官がいようとも、遠慮などする気はない。
こいつの事をいくら殴っても気が収まらないんだ。
その時、何度となく拳を振り上げる俺に、意外な声がかかった。
「もうやめて」
え?
「孝太郎、離してあげて」
やっとのことで体を起こした麗子が、目をうるませて俺を見ている。
「麗子、お前」
自分がこんなに酷い目に遭わされたのに、なぜ止めるんだ。
お前は憎くないのか?
言いたいことはたくさんあるが、俺の口から出てきたのは
「黙っていろ」
冷たい言葉だった。
いくら麗子が止めたって、俺は許さない。
バシッ。
再び拳を落とす。
「もう、やめてー」
叫び声と共に、麗子が三島を抱きしめた。
う、嘘だろ。.何でお前が・・・
***
「ドケッ」
三島をかばうように俺を見上げる麗子を、俺は睨み付けた。
「どかないわ」
小さいが凜とした声。
「なぜこいつをかばう、お前は誘拐されて、監禁され、酷い目に遭わされたんだぞ」
俺には麗子の考えていることが全くわからない。
「違うわ。私が三島さんを誘ったんだし、自分の意志で三島さんに付いてきたの。ちょっとした行き違いがあったけれど、たいしたケガではないわ」
力なく笑ってみせる麗子。
誘った?付いてきた?行き違い?
「ふざけるな」
麗子、お前は何がしたいんだ。
なぜこんな奴をかばうんだ。
あまりの無力感に、俺はその場に膝をついた。
何のためにここに来たんだ。
寿命が縮むほど心配した俺の気持ちはどうなるんだ。
「とにかく、病院へ行こう。ケガの治療が先だ」
この場にいる誰よりも冷静な徹が、麗子の体を支える。
三島と男達も連行され、麗子も徹に連れられていった。
ただ俺だけが、放心状態のまま取り残された。
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