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「あ、あぁっ! そうだ。朝飯にオムライス作ってんだ。食うだろ?」
フライパンの中に放置してきた卵液は、余熱でどのくらい固まってしまっただろうか?
(火ぃ通り過ぎてたら俺のだな)
そんなことを思いながらキッチンの方をちらりと気にしたら、腕の中の羽理が「オムライス!」と嬉しそうに声を弾ませた。
「私、実は今朝、オムライスの夢見たんですっ! すごぉーい! 正夢になりましたっ!」
内側から布団の合わせ目をギューッと掴みながら勢い込んだ様子で身体を揺らせる羽理に、大葉は心の中で(ああ、知ってる。……寝言で思いっきり言ってたからな)と返したのだけれど。
「やーん。なんか以心伝心みたいで照れますねっ」
ふふっと恥ずかしそうにフニャリと頬を緩められたから堪らない。
「た、たまたまだ、たまたま。……バカなこと言ってないでとりあえず風呂入ってこい。湯、溜めてあるから」
大葉はふぃっと羽理から視線を逸らせてしどろもどろ。
『お前の寝言を聞いたからだ』と、種明かしをするのは何だかもったいない気がして。
かと言ってキラキラした目で自分を見上げてくる羽理の視線を真っ向から見詰め返せるほど、嘘が上手くもない大葉なのだった。
***
ヨロヨロとゼンマイ仕掛けのおもちゃみたいなぎこちない足取りで風呂へ向かった羽理が、同じく歩き始めたばかりの幼子のようなたどたどしい脚運びでリビングへ戻ってきたのを見て、大葉はソワソワしてしまう。
さっき羽理の様子を見に行っているとき焼いていた玉子は、ちょっと固焼きになり過ぎていたから。
それは自分が食べることにして、新たに羽理用の卵液をかき混ぜていた大葉だったのだけれど。
明らかに情事の後遺症にしか見えない、左右に揺れまくりのペンギン歩きをする羽理に、思わず手が止まってしまう。
『羽理、もしかして身体に違和感でもあるのか?』
だなんて、ド・ストレートに聞いていいものかどうか……。
何せ処女を抱いたのは大葉にとっても初体験。
というよりそもそも女性経験自体が。
いや、もっと言うと過去に関係を持った女性の人数自体が。
年上の元カノ二人こっきりと、年齢の割に少ない大葉としては、辛そうな羽理をどう労わったらいいのか全く分からないのだ。
「ひょ、ひょっとして……歩くの、辛い……の、か?」
結局迷った末、大葉は割と見たままの問いかけをしてしまって――。
一瞬だけ瞳を大きく見開いた羽理から「な、何かっ、……まだ足の間に大葉のが挟まってる感じがするんですよぅっ!」と、こちらからも包み隠さない感想を述べられてしまう。
その余りに生々しい告白に、大葉は卵液を入れたボールを持つ手元が狂ってしまった。
「わわっ」
ぐらりと揺れたボールの端から、トローン……と卵液が一筋、床に流れ落ちて。
大葉は、慌てて体勢を立て直すと、ボールをシステムキッチンのワークトップへ置いた。
先の羽理からの赤裸々告白に、大葉がどう返したらいいか戸惑いながら床の卵をティッシュで拭いていたら、羽理が恐る恐ると言った調子で声を掛けてくる。
「あ、あの……私っ。今日は……その……お、お仕事……お休みしてもいい、でしょう……か?」
***
今日はどう考えてもマトモに歩けそうにない。
股の辺りの違和感もさることながら、とにかく腰にきている。
一歩一歩足を踏み出すたびにズキズキと腰が悲鳴を上げて、家の中を移動するだけでも一苦労だったのだ。
羽理はギュウッと胸前で両手を握り締めて、大葉の出方を待った。
と――。
大葉が口を開くより先。
しんと静まり返った部屋の中に、ブー、ブーッという振動音が微かに響いて。
羽理はベッド傍で充電器に差しっぱなしにしていた携帯電話が鳴っているのだと気が付いた。
メールならブブッと短く二回振動するだけだが、長く鳴り続けているところを見ると、どうやら音声通話着信のようで。
「ごめんなさい、大葉。電話が……」
言って、寝室へ向かおうと身体の向きをほんのちょっぴり変えた羽理だったのだけれど。
「ひゃぅっ!」
その途端、足の付け根の筋肉痛がピキッとなって、それを庇うように変な動きをしたら、腰にズキン!と激痛が走った。余りの痛さに、羽理は思わず壁に手を付いて動きを止める。
「大丈夫か!?」
そのまま壁をこするようにしてズリズリとうずくまってしまった羽理を見て、大葉がすぐさま手を差し伸べてくれたのだけれど。
羽理は鳴り続けている電話が気になって、そちらへ視線を流した。
「あの、大葉……申し訳ないんだけど私の電話を――」
取って来て欲しい、と告げるまでもなく、大葉はサッと立ち上がって寝室へ向かうと、「法忍さんからだ。切れないうちに応答だけしといていいか?」と問い掛けてくる。
羽理はちょっと考えて「はい」と答えていた。
どうせ倍相課長にバレてしまったのだ。
仁子にだけ大葉とのことを隠しておくのはフェアじゃない――。
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