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第7話:カメラの前の怪物、絶叫する姉
「ユズル! 鏡見て! アンタ、今から全人類の『癖(へき)』を狂わせる概念になるの!!」
「……姉さん。……うるさい。……その、手に持ってる光る棒(ペンライト)、置いて」
撮影スタジオ。
そこには、普段の「液体のように溶けている弟」の姿はなかった。
用意された衣装は、黒いレースと素肌が危ういバランスで重なる、退廃的なセットアップ。
ヘアメイクによって、少し濡れたような質感の黒髪が目元を隠し、その隙間から覗く瞳は、射抜くような冷ややかさを放っている。
「……あ。……多聞くん。……その格好、かっこいい。……でも、重そう」
今回のMVには、事務所の戦略でF/ACEのメンバーも「バックダンサー」ではなく「共演者」として出演する。
多聞は純白の騎士のような衣装。
対照的に、死神のような黒を纏ったユズル。
「ユズルくん、緊張してる……? 嫌になったら、僕の背中に隠れていいからね」
多聞が優しく声をかけるが、ユズルはマイクスタンドを指先でなぞりながら、短く答えた。
「……ううん。……早く終わらせて。……焼肉、食べたいから。……やる」
カメラが回り、照明が落ちる。
スモークの中にユズルが立ち、イントロが流れた瞬間。
「…………ッ!!」
モニターを見ていた監督やウタゲ、出番待ちの桜利たちが一斉に息を呑んだ。
レンズを見据えるユズルの瞳には、圧倒的な「飢え」と「孤独」が宿っていた。
長い指先が自分の首筋を這い、苦しげに、けれど陶酔したように声を絞り出す。
「『……愛して。……壊れるまで。……この、夜が……明ける前に……』」
無気力だったはずの体が、音楽に操られるようにしなやかに、官能的に動く。
サビで多聞と背中合わせになり、光と影が交錯するシーンでは、スタジオ全体の空気が震えるほどの熱量が生まれた。
「あああああ! カメラ回して! 予備のSDカード持ってきて!!」
ウタゲは鼻血をティッシュで押さえながら、もはやプロの顔で連写を続ける。
「私の弟が……多聞くんの光を喰らってる……! 尊い! 地獄みたいに尊い!!」
撮影が中断した瞬間、ユズルはガクンと膝をついた。
「……はぁ。……疲れた。……もう、一歩も、動けない」
一秒前までの「魔王」のようなオーラは霧散し、いつもの「充電切れの弟」に戻る。
多聞が慌てて駆け寄り、床に座り込んだユズルを後ろから抱きかかえるように支えた。
「すごかったよ、ユズルくん……! 僕、歌いながら鳥肌が止まらなかった」
「……多聞くん。……心臓、うるさい。……トクトク、言ってる……」
ユズルは多聞の胸に無防備に頭を預け、そのまま目を閉じる。
その様子を、桜利は複雑な表情で見つめていた。
「……チッ。あいつ、あんな顔、俺らの前でも見せねぇ癖に……」
このMVが公開された後、ネット上では「シキの正体は誰だ」「F/ACEの隣にいるこの美少年は何者だ」と大騒動になり、ユズルの望んでいた「静かな生活」は、永遠に失われることになる。
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