テラーノベル
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店を出ると、夜の空気は思ったより冷えていた。
手の中にある小さな箱が、やけに重く感じられる。
角の丸い、濃紺のリングケース。
ビロードの手触りが、中に大事なものが入っているのだと主張してくる。
何度も頭の中で思い描いていたはずなのに、いざこうしてペアのリングを手にすると、現実感が追いつかない。
晴永は一度立ち止まり、ゆっくりと息を吐いた。
ショーウィンドウのガラスに、自分の姿がぼんやりと映っている。
その顔が、思っていたよりも落ち着いていることに気づき、わずかに苦笑した。
「……らしくないな」
呟きながらケースを開く。
白いふかふかのリングピローに、二つの指輪が寄り添うように並んでいた。
わずかに幅の違うリング。
一つは晴永の指に合わせた大きなもの。
もう一つは、瑠璃香の細い指のための、数回り小さなものだ。
余計な装飾のない、細身のシンプルなデザイン。
それでも街の灯りを受けて、静かに輝いている。
瑠璃香の指に似合うと思った。
派手なものより、きっとこういう方がいい。
普段使いができるものがいいと、瑠璃香は言っていた。
これなら、指に嵌めたまま生活していても気にならないだろう。
晴永はしばらくその二つを見つめたあと、そっと指を伸ばす。
触れたのは、自分の方のリングだけだった。
指先に伝わる、冷たい金属の感触。
晴永はもう一度二つの指輪を見つめ、それからケースをそっと閉じる。
渡すのは、まだ先だ。
このまま突っ走るべきかもと思ったが、瑠璃香の性格を思えばそれではいけない気がした。
となれば、やはり先に説得しておかなければならない相手がいる。
瑠璃香と真っ直ぐ向き合うためにも、順番は間違えない。
スーツの内ポケットにケースをしまい、歩き出す。
スマートフォンの画面には、少し前に送ったメッセージが残っていた。
【今日は帰りが少し遅くなる】
短い一文だけ。
本当は、理由も書きたかった。
だが、やめた。
ほどなくして、返信が届く。
【残業ですか? お疲れ様です】
それに対して、肯定も否定もせず【悪いな】とだけ返したのは、瑠璃香に嘘をつきたくなかったからだ。
ポケットの上から、無意識に指輪のケースに触れる。
まだ、自分の指にも嵌めていない。
瑠璃香は今ごろ、台所に立っているだろう。
エプロンをして、冷蔵庫を開けて、「課長、今日は何を食べたいかなぁ?」なんて言いながら。
――帰ればきっと、いつものように出迎えてくれる。
「おかえりなさい。ごはん、出来ていますよ」
その声を思い浮かべると、不思議と胸の奥が静かになる。
晴永は夜の街を歩きながら、ふと考える。
次の休み。
その日なら時間も取れるし、瑠璃香の両親へ会いに行こう。
そう決めた瞬間、胸の奥に、わずかな緊張が生まれた。
――その前に。
まず、自分の母親に話さなければならない。
間違ったことを許さない母が、瑠璃香とのことをどう受け止めるのか。
だが、逃げるつもりはない。
晴永は歩みを止めず、夜の通りをまっすぐ進んでいった。
凪川 彩絵
#独占欲
コメント
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お母さん、怖い人?