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#日常組
tagu2026226
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第4話 初めての嫉妬
その日、皇宮には一人の女性が訪れていた。
艶やかな金色の髪に、透き通るような青い瞳。
上品なドレスを身にまとい、誰もが振り返るほど美しい女性だった。
「リンデン殿下。お久しぶりでございます」
女性は優雅にカーテシーをすると、花が咲いたように微笑んだ。
「……ああ。久しいな、セレスティア」
リンデンは執務机から顔を上げ、淡々と答えた。
セレスティア・フォン・ベルティーヌ。
かつて、リンデンの婚約者だった女性である。
両家の了承のもとに決められた婚約だったが、リンデンは成人を迎えた頃、彼女との婚約を破棄していた。
理由は単純だった。
彼女はリンデンの前では誰よりも優しく、気品ある淑女を演じていた。
しかし、彼の目が届かないところでは、使用人に手を上げ、身分の低い者を見下していたのだ。
それを目の当たりにしたリンデンは、彼女と生涯を共にするつもりなどないと判断した。
それ以来、二人の関係は終わっている。
……少なくとも、リンデンにとっては。
「殿下。以前よりも、ますますご立派になられましたのね」
「そうか」
「ええ。昔から素敵な方でしたけれど、今は一段と魅力的でいらっしゃいますわ」
セレスティアは頬に手を添え、恥じらうように微笑んだ。
その姿だけを見れば、誰もが彼女を理想的な淑女だと思うだろう。
ただ一人、リンデンを除いて。
「用件を聞こう」
「まあ……相変わらずお忙しいのですね。少しくらい、昔話をしてくださってもよろしいのに」
「話すことはない」
冷たい返答にも、セレスティアは笑顔を崩さなかった。
そのときだった。
「殿下、お茶をお持ちいたしました」
扉を開け、ルカが入室した。
両手にティーセットを載せたトレイを持ち、いつものように丁寧に頭を下げる。
「失礼いたします」
テーブルに紅茶を置こうとした、その瞬間。
「あら?」
セレスティアがルカを見つめた。
「そちらの方は?」
「私の側近だ」
リンデンが答えるよりも早く、セレスティアはルカへ歩み寄った。
「まあ、あなたが新しい側近の方なのね。初めまして。セレスティアと申しますわ」
「は、初めまして。ルカ・エースと申します」
ルカは慌てて一礼した。
「エース家……そう。あなたが」
ほんの一瞬。
セレスティアの瞳から、笑みが消えた。
けれど、すぐに元の優雅な表情へ戻る。
「殿下にお仕えするのは大変でしょう? 昔から、少々気難しいところがおありですもの」
「……セレスティア」
低い声が室内に響いた。
「失礼。余計なことを申しましたわね」
セレスティアは悪びれた様子もなく笑った。
ルカは困ったように微笑み返す。
「いえ……殿下には、いつもよくしていただいております」
「あら、そうなの?」
セレスティアの視線が、ルカの顔からリンデンへ移った。
「殿下が誰かに優しくなさるなんて、少し意外ですわ」
「……何が言いたい」
「いいえ、何も。ただ、昔は私にも、もう少し優しくしてくださったらよかったのにと思っただけですわ」
そう言って、彼女はリンデンへ微笑みかけた。
まるで、今でも自分が特別な存在であるかのように。
その光景を見ていたルカの胸が、なぜかチクリと痛んだ。
――昔は、私にも。
その言葉が、頭の中で繰り返される。
昔。
リンデン殿下と、この女性は、どんな時間を過ごしていたのだろう。
どんなふうに笑い合い、どんな話をしていたのだろう。
……そもそも、二人はどのような関係だったのだろうか。
考えたところで、自分には関係のないことだ。
ルカはそう思い、そっと視線を落とした。
けれど、胸の奥の小さな痛みは消えてくれなかった。
*
「ルカ、どうした?」
「……えっ?」
気づけば、セレスティアは帰り、執務室にはリンデンとルカだけが残っていた。
「先ほどから様子がおかしい」
「そ、そんなことはございません!」
「顔色もよくない」
「大丈夫です。少し考え事をしていただけですから」
「体調が悪いなら、休んでいろ」
「本当に大丈夫です、殿下!」
ルカは慌てて首を横に振った。
せっかく側近として役に立てるようになってきたのに、休むわけにはいかない。
それに、これ以上リンデンに心配をかけたくなかった。
「……そうか」
リンデンは納得していない様子だったが、それ以上は追及しなかった。
しばらくして、ルカは意を決したように口を開いた。
「あの、殿下」
「何だ」
「先ほどの女性は……」
そこまで言って、言葉に詰まる。
聞いてもいいのだろうか。
自分はただの側近なのに。
殿下の過去について尋ねる資格など、あるのだろうか。
「……以前から、殿下と親しくされていた方なのですか?」
ようやく絞り出した質問に、リンデンは一瞬だけ目を細めた。
「セレスティアのことか」
「はい……」
「以前、婚約していた」
「…………え?」
ルカの思考が止まった。
婚約。
今、殿下は確かにそう言った。
「こ、婚約……?」
「ああ。すでに破棄しているがな」
「そ、そうだったのですね……」
ルカは笑顔を作ろうとした。
けれど、うまくいかなかった。
胸が痛い。
どうしてだろう。
リンデンに婚約者がいたことなど、驚くような話ではないはずだ。
皇太子なのだから、家柄の釣り合う相手との婚約があっても不思議ではない。
しかも、もう破棄されている。
ならば、自分が気にすることなど何もないはずなのに。
「ルカ?」
「……はいっ!」
「本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫です! 私は何も……」
何も気にしていない。
何も思っていない。
そう言おうとしたのに、喉の奥で言葉が止まった。
だって。
もし、あの女性と婚約したままだったら?
もし、今でも二人が想い合っていたら?
リンデンの隣に立つのは、自分ではなかったのだろう。
朝食を一緒に食べることも。
名前を呼んでもらうことも。
優しく頭を気遣ってもらうことも。
すべて、別の誰かのものだったのかもしれない。
そこまで考えた瞬間、ルカはハッとした。
――僕は、何を考えているんだろう。
自分は側近だ。
殿下のお役に立つために、ここにいる。
それなのに、どうして。
殿下の隣に立つ人が、自分ではなかった未来を想像して、こんなにも苦しくなるのだろう。
「……ルカ」
リンデンの声に、ルカは顔を上げた。
「無理に話す必要はない。だが、何かあるなら私に言え」
「……っ」
優しい声だった。
いつものように淡々としているのに、そこには確かな気遣いがあった。
それが、今は少しだけつらかった。
こんなにも優しくしてくれる。
だからこそ、もっとそばにいたいと思ってしまう。
自分だけを見てほしいと、願ってしまう。
「……ありがとうございます、殿下」
ルカは小さく頭を下げた。
「少し、失礼いたします」
「ルカ?」
「すぐに戻りますので……!」
逃げるように執務室を出る。
廊下を歩きながら、ルカは胸元に手を当てた。
心臓が、いつもより速く動いている。
こんな気持ちは初めてだった。
誰かを羨ましいと思うことも。
誰かに、自分の大切なものを取られてしまいそうだと感じることも。
そして。
その相手が、リンデンの元婚約者だということも。
「……なんで、こんなに苦しいんだろう」
誰もいない廊下に、小さな呟きが落ちた。
ルカはまだ知らない。
この胸の痛みが、嫉妬という感情であることを。
そして、自分がいつの間にか、リンデンを特別な存在として想い始めていることを。
*
一方、執務室に残されたリンデンは、閉じられた扉を見つめていた。
「……何を隠している」
いつもなら、名前を呼べばすぐに顔を上げる。
褒めれば嬉しそうに笑い、気遣えば戸惑いながらも礼を言う。
そんなルカが、今日は明らかに様子がおかしかった。
セレスティアの話をした途端、表情が曇った。
そして、逃げるように部屋を出ていった。
リンデンはしばらく考え込んだあと、静かに息を吐いた。
「……まさか、あの女に何か言われたのか?」
その瞳に、冷たい光が宿る。
もしもセレスティアがルカに何かしたのなら、見過ごすつもりはなかった。
けれど、リンデンはまだ気づいていない。
ルカを苦しめていたのは、誰かの言葉ではない。
自分の過去を知り、初めて芽生えた、名前の分からない感情だったのだ。
そしてその感情こそが、二人の関係を少しずつ変えていくことになる。
――皇太子の側近は、初めての嫉妬を知った。
まだ、それが恋だとは気づかないまま。
コメント
2件

グェ 最高ダァッ 待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って……その文章能力を私に分けてくださいよー!。 こちとら国語のテスト150/111なんだよぉ毎回ぃ!
第4話、読み終わりました。リンデンの元婚約者・セレスティア登場で一気に空気が変わったのが伝わってきました。ルカの「胸がチクリと痛む」感覚、それが嫉妬だと気づかないもどかしさが切なくて……。「殿下の隣に立つ人が自分ではなかった未来」を想像してしまう心情、すごくリアルでした。エース家の名前にセレスティアが一瞬反応したのも気になる伏線ですね。リンデンがルカの異変を「あの女に何か言われたのか」と誤解しているのも、二人のすれ違いの始まりみたいでドキドキします。次が楽しみです!