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夏祭りの当日。山あいの村は熱気と酒の匂いに包まれていた。
至る所に提灯が灯り、威勢の良い掛け声が響く中、父・和田は『地域もりあげ隊』の命令通り、汗だくになって炊き出しのうどんを茹で続けていた。大鍋から立ち上る湯気の向こうで、村人たちにペコペコと頭を下げながら立ち働く父の背中は、村の因習に耐え続ける男の哀愁と疲弊に満ちていた。
深夜、祭りが最高潮に達し、誰もが泥酔して周囲への注意を散漫にさせている頃。
長女・麗華は、喧騒から離れた静まり返る神社の境内へと足を進めていた。懐には、数日前に恋人のスマホに届いていた『次の祭りの夜、例の場所(神社の木炭小屋)で』という清水からの通知が焼き付いている。
(あの清水の弱みを握るか、あの場所にある『証拠』を突き止めなければ、お父さんも、私たちの生活も、全部あの化け物に喰い尽くされる……)
手にした懐中電灯の細い光だけを頼りに、麗華は神社の本殿裏にある古い木炭小屋へと滑り込んだ。鍵の壊れた古い道具箱。麗華は息を殺し、台所から持ち出した父の工具を使って、清水たちが裏で共有しているはずの「おぞましい活動の証拠」を暴こうと、必死に箱の隙間をこじ開けようとしていた。
その時だった。
ギィ……と不気味な乾いた音を立てて、小屋の古い木扉が開いた。
ハッと振り返った麗華の視界に飛び込んできたのは、下卑た笑みを浮かべ、酒の匂いをプンプンと漂わせた清水の巨体だった。
「誰だ……? ほう、麗華じゃないか。こんな夜中に、お前、俺を待っていたのか? 随分とかわいい真似をしてくれるじゃないか」
清水は麗華の姿を見るなり、その瞳に猛烈な、ねっとりとした欲望を宿らせて距離を詰めてきた。麗華は背中を道具箱に打ち付け、恐怖で全身の血が引いていくのを感じた。
「清水さん、触らないで……! あなたたちが裏で何をしてるか、全部暴いてやるから!」
「暴くだと? 生意気な口を利くな。お前たちの店がこの村で生きていけるのは、誰のおかげだと思っている。父親の代わりに、お前がその身体で義務を果たしに来たんだろ?」
清水は傲慢に言い放ち、抵抗する麗華の細い腕を強引に掴んで冷たい床に押し倒した。巨体で完全に組み敷かれ、衣服を剥ぎ取られそうになる極限のパニック。麗華の脳裏に、これ以上父を苦しめさせない、自分たちの生活を守るという執念が爆発した。彼女は必死に床を這うように手を伸ばし、転がっていた荷造り用の頑丈な麻紐を掴むと、清水の首へと必死に巻き付けて全力で締め上げた。
「嫌……! 離れて、離れろ!!」
必死の抵抗。だが、清水の肉体はあまりにも分厚く、逆に麗華の首を掴み返され、彼女の視界が恐怖と酸欠で遠のきかけた、その時だった。
「麗華に触るなーーーっ!!」
暗闇を裂いて飛び込んできたのは、麗華の恋人である彼氏だった。彼は床に転がっていた木炭用の重い薪を拾い上げると、麗華を組み敷く清水の頭部を、背後から全力で殴りつけた。
ゴカッ、という鈍い音が小屋の木霊となって響き、清水の巨体がドサリと床に崩れ落ちて完全に動かなくなった。
「大丈夫か、麗華!?」
恋人に抱き起こされ、麗華は激しい呼吸を繰り返しながら、ガタガタと震えた。
「あ、ありがとう……! 私、清水たちの証拠を掴もうと思って……。あなた、清水に無理やり従わされていたのね? 私を助けてくれたのね……!」
「……ああ、そうだ。俺もあいつの言いなりになるのはもう限界だったんだ。今のうちにここを出よう。俺が殴ったことは誰にも言うな。いいな」
恋人の青年は恐怖に顔を歪めながらも、優しく麗華の手を引いた。麗華の胸には、自分を命がけで怪物から救い出してくれた恋人への、これまで以上の深い愛と、強い絆が芽生えていた。清水の闇に染まりかけていた彼を、今度は私が支えて、一緒にこの村で生きていこう――。互いの手を強く握り締めながら、二人は入念に自分たちの痕跡を拭き取り、命からがらその場を立ち去った。
暗い木炭小屋の床に、清水の巨体は横たわっていた。麗華の紐で首を絞められ、恋人の薪で頭を強く殴打された清水は、完全に意識を失っていた。
だが、彼は死んでいなかった。
二人がパニックで小屋を飛び出してから数十分後。夏の夜風が隙間から吹き込む小屋の中で、清水の巨体がピクリと動いた。
「……がはっ、げほっ……!」
清水は激しく咳き込みながら、朦朧とした意識の中でゆっくりと上体を起こした。
麗華の麻紐による窒息も、恋人の一撃も、彼を気絶させるに留まっていたのだ。
強烈な頭痛に顔を歪め、後頭部から流れる血を指で拭いながら、清水は床に唾を吐き捨てた。
「あのクソアマとガキめ……ただで済むと思うなよ……」
急激な痛みと冷や汗のせいで、泥酔していた酔いは完全にさめていた。清水はよろめきながらも立ち上がり、怒りに身を焦がしながら、事態を『もりあげ隊』の連中に報告し、和田の店を完全に潰す算段を立てるため、自分の持ち場へと戻るべく小屋を後にした。
その直後だった。
歪んだ忠誠心を誓っていた「大柄で知能の低い村の男」が、重い薪を手に木炭小屋へと忍び込んだのは。しかし、そこにはすでに誰もいない。男は、愛する人物を苦しめる悪魔(清水)を排除し損ねたことに気づかず、あるいは暗がりの別の痕跡を見て「もう誰かがやったのか」と歪んだ勘違いを抱くことになる。
さらに、父・和田もまた、自分を侮辱し続ける清水に一発殴り込みを入れるためにこの小屋へ向かっていたが、清水がすでに移動していたため、完全に行き違いとなってしまった。
一方、頭を血で染めた清水は、足元をふらつかせながら村の入り口付近の暗がりにまで辿り着いていた。
そこで、最悪の遭遇が起きる。
「おい、お前……そこで何をしている」
清水の前に立ちはだかったのは、スマートフォンを自撮り棒に固定し、不気味な笑みを浮かべて画面に向かってブツブツと喋り続けている、村の外部から侵入した男だった。
男はネットの海から「過激な投稿動画」を発見し、その背景に映り込んだ神社の風景や建物の形から、この山あいの村を特定して潜入していたのだ。動画の主を直に拝み、さらに過激なネタを掴んで配信の数字を爆発させるという狂気に取り憑かれた男は、カメラを清水に向けながら下卑た声を上げた。
「おっと、画面の向こうのリスナーのみんな、見ろよ! 祭りなのに頭から血を流したヤバいおっさんが歩いてきたぞ!」
「どけ、不審者が……! 警察に突き出されたいか!」
頭の激痛と麗華たちへの怒りで尋常ではない苛立ちを見せる清水が、男を突き飛ばそうとする。しかし、男は軽快にそれをかわしながら、レンズを清水の顔にこれでもかと近付け、挑発するように言い放った。
「警察? 呼べるわけねえだろ。お前らこの村の人間全員、あの動画のこと隠してえもんなぁ? 知ってんだよ、わざわざ東京からここまで探しに来たんだからさ。ネットにあんなド変態な動画をバラ撒いてる奴が、この田舎村に隠れてるってことをよぉ!」
「な、何だと……!?」
清水の顔が、怒りと動揺で引きつる。清水は、男が自分たちの『裏チャットグループ』の存在を嗅ぎつけたのだと誤認したのだ。
「とぼけんなよ! 名前は言わねえけどさ、この村にはね、本物の…….……! 」
暗闇の村の入り口に、男の狂気じみた叫びが響き渡る。
「ふざけるな、このくそやろーがァ!!」
自身の、そして村の男たちの「おぞましい秘密」を全て暴かれたと思い込んだ清水は、激昂して男の胸ぐらへと掴みかかった。酔いが生々しくさめた清水の怪力と、スクープを逃すまいと暴れる配信者の男。二人は暗がりでもつれ合い、激しい泥仕合の乱闘へと発展していく。
罵声と肉体がぶつかる鈍い音。
そして――激しくブレるスマートフォンのカメラの向こう、二人の乱闘に割って入るようにして、闇の中から誰ともわからない人物の影が音もなく近づいていた。
あるいは、清水の怪力に命の危険を感じた配信者が、パニックになって足元にあった重い凶器を清水に振り下ろしたのか。
暗闇の中、ゴカッという決定的な衝撃音と共に、清水の巨体が今度こそ本当に崩れ落ち、二度と動かなくなった。
誰の、どの攻撃が清水の本当の命を奪ったのか。
木炭小屋で「殺してしまった」と怯える麗華と恋人。清水を追って狂気に走った大柄な男。殴り込みに向かった父。そして村の入り口で配信を繋げたまま血を流した男。
すべての人間が、自分の限られた視点だけで最悪の誤認のドミノを深めていく。この夜、清水の命を本当に奪った「真犯人」の輪郭は、混沌とする夏祭りの闇の中へと完全に溶けていくのだった。
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