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第6話「エルフが二人いる職場」
午前九時五分。
営業企画部にエルフが二人いる。
もちろん。
それを知っているのは相沢直人だけだった。
「神崎レオンです。半年間という短い期間ですが、よろしくお願いします」
神崎が頭を下げる。
拍手。
女性社員たちが少しざわつく。
理由は分かる。
背が高い。
顔が整っている。
スーツが似合う。
声も落ち着いている。
そして百パーセント人間に見える。
耳さえ見なければ。
「神崎さんの席は」
部長が室内を見回す。
嫌な予感がした。
「森野さんの隣が空いてるな」
相沢は思った。
やっぱり。
「森野さん、いろいろ教えてあげて」
「……はい」
森野リリカは笑顔で答えた。
完璧な会社員の笑顔だった。
神崎が隣へ座る。
「よろしくお願いします、森野さん」
「こちらこそ」
初対面の演技。
上手すぎる。
六十八年前の婚約者同士には見えない。
相沢はパソコンへ向かった。
どうでもいい。
仕事をしよう。
十分後。
気づくと森野を見ていた。
神崎が何か説明を受けている。
森野がパソコン画面を指さす。
二人の距離が近い。
「相沢」
「うわっ」
隣の同僚だった。
「何?」
「さっきから森野さんのほう見すぎじゃない?」
「見てない」
「見てるよ」
「神崎さんを見てた」
「何で?」
「仕事」
「どんな仕事?」
答えられなかった。
午前十時三十分。
部内ミーティング。
神崎も参加した。
部長が新商品の企画について説明する。
「今回は三人一組で進めたい」
資料が配られる。
相沢はメンバー表を見る。
そして固まった。
相沢直人。
森野リリカ。
神崎レオン。
「……」
誰かが仕組んでいる。
そう思いたくなる組み合わせだった。
「相沢君がリーダーね」
部長が言った。
「はい」
「森野さんと神崎さんをまとめて」
無理だ。
片方は百四十三歳のエルフ。
片方はその元婚約者。
しかも二人とも正体を隠している。
「大丈夫?」
部長が聞く。
「大丈夫です」
大丈夫ではない。
ミーティング終了後。
三人で小会議室へ入った。
扉を閉める。
沈黙。
相沢。
森野。
神崎。
誰も話さない。
「じゃあ」
相沢が言った。
「始めましょうか」
「はい」
森野が答える。
「お願いします」
神崎も答える。
普通だ。
気味が悪いくらい普通だ。
相沢が資料を広げる。
「まず役割分担だけど」
「市場分析は私がやります」
森野が言う。
「では私は競合調査を」
神崎が言う。
「俺は全体の取りまとめ」
「いいと思います」
「異論ありません」
仕事は進む。
驚くほど進む。
森野も仕事ができる。
神崎も仕事ができる。
相沢もそれなりにできる。
三人で仕事をすると非常に効率がいい。
問題は。
「リリカ」
神崎が言った。
森野が止まる。
相沢も止まる。
神崎自身も止まった。
「……」
「……」
「……」
神崎が咳払いした。
「森野さん」
「はい」
「この資料ですが」
相沢は笑いをこらえた。
「今、リリカって言った?」
「言ってません」
「言ったよ」
「相沢さん」
森野が睨む。
「会社です」
「分かってる」
神崎は少し笑った。
「昔の癖です」
「昔?」
相沢が聞く。
森野の耳が動いた。
ぴく。
「相沢さん」
「はい」
「仕事してください」
午前十一時四十分。
資料作成中。
神崎が言った。
「リリ……森野さん」
「危ないな」
相沢が言う。
「すみません」
「六十八年前の癖って残るんだ」
神崎の手が止まった。
森野が相沢を見る。
「どうして六十八年って知ってるんですか?」
神崎が聞いた。
「あ」
相沢は森野を見る。
森野は目をそらした。
神崎が森野を見る。
「話したの?」
「必要だったので」
「婚約のことまで?」
「……少し」
神崎が相沢を見る。
その目がわずかに変わった。
「そうですか」
「何?」
「いえ」
空気が重くなる。
相沢は資料を見る。
森野はパソコンを見る。
神崎も資料を見る。
誰も仕事が進んでいない。
正午。
昼休み。
森野が立ち上がる。
「相沢さん」
「はい」
「お昼行きましょう」
神崎が顔を上げた。
「二人で?」
森野が固まる。
「いつも一緒なの?」
神崎が聞く。
「まあ」
相沢が答える。
「最近は」
森野が答える。
神崎は少し考えた。
「私もいいですか?」
相沢は断りたかった。
しかし理由がない。
「もちろん」
森野が答えた。
三人で社員食堂へ行く。
相沢はカレー。
森野は日替わり定食。
神崎はそば。
テーブルに座る。
相沢の向かいに森野。
森野の隣に神崎。
微妙な配置だった。
「人間の食堂は久しぶりだな」
神崎が小声で言う。
森野が睨む。
「会社ではそういう話をしない」
「誰も聞いてないよ」
「駄目」
相沢はカレーを食べながら聞いた。
「神崎さん、人間の会社で働いたことないの?」
「ありますよ」
「いつ?」
「前回は昭和六十一年です」
相沢のスプーンが止まる。
「古い」
「失礼ですね」
「そのころ何の仕事?」
「商社です」
「パソコンあった?」
「ありました」
「スマホは?」
「ありません」
「当たり前でしょう」
森野が言った。
「コピー機は?」
「相沢さん」
森野が呆れる。
「昭和を古代みたいに扱わないでください」
「森野さんはそのころ何してたの?」
「大学生でした」
「え?」
「四回目です」
相沢はカレーを吹きそうになった。
「大学四回行ってるの?」
「五回です」
「何をそんなに勉強するの?」
「暇なんです」
神崎が笑った。
「リリカは学生が好きなんですよ」
森野の耳が動いた。
「余計なこと言わないで」
「昔からそうだった」
「レオン」
「ほら。また名前で呼んだ」
相沢が言う。
二人が黙る。
相沢はカレーを食べる。
何だ。
この感じ。
二人には長い歴史がある。
相沢の知らない森野を神崎は知っている。
六十八年前の森野。
百年前の森野。
学生だった森野。
エルフの里にいた森野。
相沢が知っているのは。
ここ数年。
会社員としての森野だけだ。
「相沢さん?」
森野が言った。
「何?」
「また機嫌悪くなってません?」
「なってない」
「なってます」
神崎が二人を見る。
「仲がいいんですね」
「普通です」
森野が即答した。
ぴく。
耳が動く。
相沢は気づいた。
神崎も気づいた。
神崎が笑った。
「なるほど」
「何?」
森野が聞く。
「いや」
「何ですか」
「耳は変わらないなと思って」
森野の顔が赤くなる。
「会社で耳の話は禁止!」
近くの社員が振り返った。
森野は慌てる。
「……ピアスの話です」
無理がある。
午後二時。
三人で取引先への提案資料を作る。
神崎が相沢の作った表を見る。
「ここ、数字が違います」
「え?」
「前年対比です」
本当だった。
「よく気づいたね」
「数字は得意なので」
「昔から?」
「昔からです」
森野が言った。
「レオンは昔、商人の家にいたことがあるので」
神崎が森野を見る。
「覚えてた?」
「それくらい覚えてる」
二人が笑う。
相沢はパソコンを見る。
まただ。
胸の奥がざわつく。
神崎が言う。
「リリカは昔から計算が苦手で」
「今はできます」
「暗算は?」
「できます」
「二十七掛ける四十三」
「千百六十一」
「成長した」
「何歳だと思ってるの?」
「百四十三」
森野が神崎を叩いた。
「会社で言わないで!」
二人が笑う。
相沢は立ち上がった。
「コーヒー買ってくる」
森野が見る。
「今ですか?」
「眠い」
「私も行きます」
「いいよ」
「監視です」
「会社の自販機まで監視するの?」
「します」
森野が立ち上がる。
神崎も立った。
「私も」
「三人で自販機?」
相沢が言う。
結局三人で行った。
午後三時。
事件が起きた。
神崎がくしゃみをした。
「はっくしょん!」
その瞬間。
ぺり。
神崎の右耳の特殊メイクが少し剥がれた。
長い耳の先が出る。
「あ」
三人同時に固まる。
廊下の向こうから女性社員が歩いてくる。
「神崎さん?」
森野が動いた。
神崎の前へ立つ。
「虫!」
「え?」
「虫がいます!」
女性社員が止まる。
「どこ?」
「神崎さんの頭に!」
「え?」
相沢も動く。
神崎の耳を手で隠す。
「本当だ!」
「何の虫?」
「えっと」
相沢は考える。
「カブトムシ!」
森野が相沢を見る。
神崎も見る。
女性社員も見る。
「会社の中にカブトムシ?」
「……小さいやつです」
「それ、カブトムシじゃなくない?」
「逃げました!」
森野が言った。
「もう大丈夫です!」
女性社員は首をかしげながら去っていった。
三人は無言。
神崎が耳を直す。
「相沢さん」
「はい」
「カブトムシは無理があります」
「咄嗟だったんだよ」
森野が笑い始めた。
「カブトムシって」
「森野さんだって虫って言っただろ」
「でもカブトムシ」
笑いが止まらない。
神崎も笑う。
相沢もつられて笑った。
三人で廊下に立って笑った。
その瞬間だけ。
元婚約者とか。
エルフとか。
人間とか。
全部どうでもよくなった。
午後六時。
仕事が終わる。
神崎が森野へ言った。
「リリカ」
「会社」
「もう勤務時間外」
「まだ社内です」
「じゃあ森野さん」
「何ですか」
「少し時間ある?」
相沢の手が止まる。
森野も少し迷う。
「今日?」
「うん」
「話って、この前の?」
「そう」
森野は時計を見る。
そして。
「分かった」
相沢は黙って帰り支度をした。
森野がこちらを見る。
「相沢さん」
「何?」
「今日は監視、お休みです」
「別に毎日しなくていいだろ」
「そうですけど」
「じゃあ、お疲れ」
相沢は先に会社を出た。
駅へ向かう。
一人。
いつも森野が隣にいる道。
今日は妙に長かった。
「何やってんだ、俺」
自分で笑う。
相手はエルフだ。
百四十三歳。
自分は三十一歳。
年齢差百十二歳。
しかも寿命も違う。
神崎なら同じエルフ。
同じ時間を生きられる。
同じ過去を知っている。
そのほうが自然だ。
駅へ着く。
改札を通ろうとした。
スマートフォンが鳴った。
森野からだった。
『今どこですか』
相沢は返信する。
『駅』
すぐ既読。
『待っててください』
「え?」
五分後。
森野が走ってきた。
髪を押さえながら。
「はあ、はあ」
「どうした?」
「間に合った」
「神崎さんは?」
「帰りました」
「話は?」
「しました」
森野は息を整える。
「返事しました」
相沢の胸が少し重くなる。
「婚約?」
「はい」
「どうしたの?」
森野は相沢を見る。
「断りました」
相沢は黙った。
「そう」
それしか言えなかった。
森野が不満そうな顔をする。
「それだけですか?」
「何て言えばいい?」
「別に」
「残念だった?」
「少し」
「え?」
「相沢さんがもう少し喜ぶかと思いました」
相沢は森野を見る。
「何で俺が?」
森野の顔が赤くなる。
「知りません」
「じゃあ何で」
「帰ります!」
森野が改札へ向かう。
相沢も追いかける。
ホーム。
二人で電車を待つ。
「森野さん」
「何ですか」
「どうして断ったの?」
森野は前を向いたまま答えた。
「昔と同じです」
「昔?」
「自分の人生を誰かに決められたくないから」
「神崎さんが決めたわけじゃないだろ」
「そうですね」
「じゃあ?」
森野は少し黙った。
電車がホームへ入ってくる。
風が吹く。
森野は髪を押さえる。
「それに」
「うん」
「今は」
電車の音が大きくなる。
「好きな人がいますから」
相沢は固まった。
「え?」
扉が開く。
人が降りてくる。
森野は電車へ乗った。
相沢も慌てて乗る。
「ちょっと待って」
「何ですか?」
「今、何て?」
「何も」
「好きな人って言ったよね」
「言ってません」
ぴく。
耳が動く。
「言った」
「聞き間違いです」
ぴくぴく。
「誰?」
「言いません」
「会社の人?」
ぴく。
「営業企画部?」
ぴく。
森野が両手で髪を押さえる。
「耳、動くな!」
周囲の乗客が見る。
相沢は笑いをこらえる。
「森野さん」
「何ですか!」
「あと一つだけ」
「嫌です」
「その人、俺の知ってる人?」
森野は黙った。
相沢を見る。
耳が。
ゆっくり。
ぴく。
森野は次の駅で降りた。
「ここ森野さんの駅じゃないだろ!」
「知りません!」
扉が閉まる。
ホームに残った森野が真っ赤な顔でこちらを睨んでいる。
電車が動き出す。
相沢は窓越しに森野を見る。
森野は両手で耳を押さえていた。
相沢は笑った。
そして。
自分でも驚くほど。
嬉しかった。
翌朝。
午前八時五十五分。
相沢が出社する。
森野はすでに席にいた。
「おはよう」
「おはようございます」
目を合わせない。
「昨日」
「知りません」
「まだ何も言ってない」
「知りません」
「途中の駅で降りて大丈夫だった?」
「一本後の電車で帰りました」
「やっぱり乗り直したんだ」
「うるさいです」
神崎が出社してくる。
「おはようございます」
「おはようございます」
三人が顔を合わせる。
少し気まずい。
神崎が相沢を見る。
「相沢さん」
「はい」
「今日、昼休み時間あります?」
「俺?」
「はい」
「あるけど」
神崎は笑った。
「二人で話したいことがあります」
森野が顔を上げた。
相沢も神崎を見る。
嫌な予感がした。
神崎レオン。
六十八年前の婚約者。
その男が。
今度は相沢に話があるらしい。
コメント
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ああ、もう、最高でした……! エルフが二人もいる職場、しかも片方は元婚約者同士って設定だけでワクワクするのに、実際の空気感がすごくリアルで。森野さんの耳がぴくぴく動くところ、めちゃくちゃ可愛くて何度も笑っちゃいました。でも、相沢さんが「自分は森野さんのほんの一部しか知らない」って寂しさを感じる描写がグッときて。最後の駅のやり取り、嬉しそうな相沢さんにこっちまでニヤニヤ。神崎さんが相沢さんに話したいことって何だろう……続きが気になりすぎます!