テラーノベル
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「これからもよろしくな、大森君。」
背中から降り注ぐリョーカの声。
涼ちゃんを籠に閉じ込めた俺は、彼の美しい羽までもぎ取ってしまったような、はたまた逆に、俺の羽をちぎり取られたような、そんな痛みを感じていた。
「涼ちゃんは、お前の記憶はないんだよな。」
俺は服を着ながら、リョーカに確認する。
リョーカも、モゾモゾと服を着つつ答えた。
「ない。涼ちゃんが寝てから、俺が目覚める感じかな。」
「…今日も、涼ちゃんはもう寝てたのか?」
「そう。お前からの電話で、俺が代わりに出て来てやったの。」
「そっか…。」
涼ちゃんの知り得ないところで、とんでも無いことをしてしまった俺は、どれほどの後悔を持ってこの先、貴方に接していくのだろう。俺は心に鉛のような重さを抱えていた。
着替えた後、シーツの上に敷いていたバスタオルを、洗濯カゴへと入れ、テキパキと帰り支度を進めるリョーカ。そういえば、涼ちゃんは片付けが苦手とか、若井が言ってたっけな…と、俺はその様子をベッドに腰掛けながらボーッと見つめる。
ベッドに身体を投げ出し、少しのリョーカの残り香…これは涼ちゃんのでもあるが、それを感じて、俺は目の奥が熱くなる。泣くな、お前が傷つくな、そんな資格ないぞ。俺は腕で目を覆い、その重みで涙腺を黙らせた。
リョーカが寝室に戻ってくる気配がしたが、俺は腕で目を塞いだまま、仰向けに横たわっていた。
横にベッドのスプリングの沈みを感じて、温かいものに包まれた。俺は驚いてその方を向く。目の前にリョーカの胸元が見える。俺は、リョーカの腕の中にすっぽりと収まる形で抱きしめられていた。
「よしよし。」
頭まで撫でられる。
「…なに?」
「そう言えば大森君、助けてって電話して来たな、って思い出して。だから。よしよし。」
俺は、卑しくも嬉しさを感じてしまった自分が情けなかった。コイツは涼ちゃんじゃないのに。でも、匂いだけは、この温もりだけは、どうしたって涼ちゃんなんだ。
「…大森君てさ…。」
「…なに。」
「本当にちっちゃいね。」
俺はリョーカの腹を殴った。うっ、と言って、リョーカは笑っていた。
涼ちゃんの睡眠中に出てくるらしいリョーカには、涼ちゃんの睡眠時間確保のため、早急に帰ってもらった。帰り際、ローションとゴムは置いてくね、と頬にキスをされた。一瞬、いらない!と言いそうだったが、それをコイツから取り上げていた方が、若井は安全かも知れないと、頷くだけに思い止まった。
…そうだ、若井!
「待て、お前、今日は帰ってから若井に会っても、涼ちゃんのフリをしろよ。」
「…わかってるよ。」
靴を履きながら、めんどくさそうに答えるリョーカ。
「…もう誓ったからな、絶対に手ぇ出すなよ。」
「…ヤキモチ?」
顔だけ振り向いて、揶揄う。俺は睨みながら背中を小突いて、リョーカを追い出した。
去り際、ドアが閉まるまでこちらに笑顔でひらひらと手を振るリョーカが、いつもの涼ちゃんの姿に重なって見えた。
あの日、帰ってからは若井には会わなかったのか、それとも『涼ちゃん役』を上手くやったのか、次の日には何事もなかったように3人で顔を合わせた。
「あ、そういえば、昨日元貴電話くれた?」
ドキッと心臓が痛むほどに暴れ、俺は涼ちゃんに平静を装いながら笑顔を向ける。
「うん、ちょっと起きてるかなーって。」
「不在着信じゃなくて通話になってたから、あれー?と思って。もしかして僕寝ぼけて出てた?」
「うん。訳わかんない寝言みたいなん言ってたから、あコイツ寝ぼけてんなってすぐ切ったよ。」
「だはぁ!ごめんね〜!」
変なこと言ってなかった?という涼ちゃんに、適当に話を合わせて、この話題は切り上げた。
俺は、涼ちゃんの記憶の断片にも、昨日の情事が残っていないようだと、ほっと胸を撫で下ろした。
ただ、通話履歴やメッセージなどで、リョーカの存在を悟らせるわけにはいかないな、と新たな悩みのタネが出て来た。俺はリョーカと、連絡を取る手段すらないのか。これから先、どうやってアイツを牽制すれば良いのか…。
思案を凝らした結果、若井と涼ちゃんにこまめに連絡を取る、という手段に至った。俺の制作作業の進捗状況、今後のスケジュール、美味しかったご飯、今ハマっているゲームまで、公私に渡って些細なことでも二人に連絡をした。少しでも、異変に早く気づけるように。そして、リョーカの付け入る隙がないように。
ある夜、涼ちゃんから連絡が入った。
『最近よくLINEくれるけど、なんかあった?』
俺は、ドキッとして、少し不自然すぎたか、と心配になった。
『別に 連絡したいからしてるだけ 迷惑?』
またこんな言い方して…と自分で自分に呆れる。
『迷惑なんかじゃないよ!元貴がいろいろLINEくれるの嬉しいよ!』
涼ちゃん…やっぱり優しいな、貴方は。俺は涼ちゃんのメッセージを何度も読み返す。そのうちに、涼ちゃんからまたメッセージが届いた。
『今から、若井がお酒飲もうって誘ってくれたんだけど、元貴も良かったら来ない?』
俺は、なんだか胸がざわついて、嫌な予感がした。以前、若井と涼ちゃんがお酒を飲んだ日、それはリョーカが出て来た日だ。もしかしたら…俺はすぐに行く、と連絡をして、急いで出かける準備をした。
「いらっしゃ〜い。」
ほのかに頬を赤く染めて、涼ちゃんが出迎える。このほんわか加減は、涼ちゃんだな。俺はとりあえず胸を撫で下ろし、部屋の中へと入った。
若井はかなり出来上がっていて、机で腕を枕に眠るような格好で、いらっしゃい〜、と俺に向かってひらひらと手を振った。呑気なヤツめ、誰の為に駆け付けたと思ってんだ。
「涼ちゃん、何杯飲ませたの?」
「全然!若井まだコップ一杯も飲んでないよ!」
「マジか…。」
本当にまだこんなに酒に弱いのか…ある意味、ここまで潰れればリョーカにとっては若井はなんの役にも立たないだろう…と考えて、俺は少し自分の思考に恥ずかしさを覚えた。
「元貴も、乾杯。」
涼ちゃんがニコッと俺にグラスを差し出す。俺は涼ちゃんの隣に座り、3人で改めて乾杯をした。
若井がやたらと涼ちゃんに酒を勧め、そのうちに涼ちゃんもコックリコックリと船を漕ぎ始めた。
「涼ちゃん、眠いの?眠いなら部屋戻りなよ。 」
俺は、涼ちゃんが眠ることによってリョーカが現れるのを恐れ、涼ちゃんを自室へと促す。
「元貴ぃ〜、余計なことすんなヨォ〜。」
若井がブゥと頬を膨らませて言う。余計なこと?お前の為だっての!
俺が睨みつけるのにも構わず、若井がヘラヘラと話し続ける。
「涼ちゃんが酔い潰れてからが、本番なんだぜぇ〜。なんか、急に、『大人・涼架』になるんだよ。」
若井が頬杖をついてニヤニヤと笑う。俺は、顔が青ざめる。
「お前、今までもこうやって酒飲ませた?」
「うん、『大人・涼架』が面白くて〜。」
へへえ〜、とだらしなく笑う若井。俺が若井を見ながら言葉を失っている間に、いつの間にか突っ伏して寝ていたらしい涼ちゃんが、ゆらりと起き上がった。
「…いらっしゃい、もとき。」
俺は、ゆっくりと涼ちゃんの方を振り返る。いやらしく口を片端だけ吊り上げた笑顔がそこにあった。
「…リョーカ…。」
ついその名を口走る俺に向かって、リョーカは人差し指を口の前に立ててウィンクをして来た。
「あはぁ〜出たぁ〜、『大人・涼架』だあ。」
「どうも、滉斗。」
ニッコリとキザな笑顔を若井に向けて、リョーカが挨拶をする。やっぱり、これまでも何度か、コイツはこうやって若井の前に出て来ていた…。
俺は終始鋭い目つきで、リョーカと若井のやり取りを注視する。
そんな俺の心配をよそに、実にくだらないやり取りが2人の間で繰り広げられていた。
「涼架さんはぁ、どうしてそんなに可愛いんですか!」
「んー、滉斗に見つめられてるから、かな。」
「ヒュー!」
若井がケタケタと笑いながら、リョーカとの会話を楽しんでいる。正直、これの何が面白いのか俺にはわからないが、若井はこれこれ!これを元貴に見て欲しかったんだよ!と大はしゃぎしている。
存分に『大人・涼架』を楽しんだ後、若井は机に突っ伏して寝始めた。本当に、なんなんだコイツは。
「滉斗は滉斗なりに、この不安な時期をこうやって明るく乗り切ろうとしてるんだよ。」
リョーカが不意に立ち上がり、若井に近寄る。
俺は急いで立ち上がり、リョーカの反対側から若井の身体を支えた。
「…あのねぇ、そんなに警戒しなくても、誓って手は出してないし、出すつもりもないって。」
リョーカは呆れた顔で俺を見る。それでも無言で牽制する俺に、手伝って、とリョーカが若井を抱え始めた。俺は反対側から若井を支えて部屋まで運び、ベッドにその身を放り投げる。
若井は、う〜ん…と言いながら、モゾモゾと布団の中に収まり、寝息を立て始めた。
俺が先に部屋を出て、ドアを開けたまま部屋の中のリョーカが出るのを待つ。リョーカは、若井の髪をゆっくり撫でると、部屋から出ていった。
「なに、まだ俺の事疑ってたわけ?」
リビングテーブルに向かい合わせで座り直し、リョーカが憮然とした態度を見せた。
「…それだけのことをしただろ。」
俺は、自分の猜疑心は当然だとばかりに主張した。
「あのね、俺そんなにがっついてないのよホントは。」
リョーカが不機嫌そうにそっぽを向いて答える。
「…やっぱり、あれはわざとだったんだろ。ホントはあの日、若井にも他の誰かにも、手を出すつもりなかったんじゃないの。」
リョーカは目を丸くして、俺の方を見る。そして、ニヤリ、と笑った。
「…へ〜、じゃあなんで俺はあんなことしたの?」
「俺への嫌がらせ。俺を傷つけるのが目的だったんじゃない?」
「ふ〜ん、なんか心当たりあるんだ。」
「…涼ちゃんへの態度、とか。俺の。」
「お〜。」
リョーカはパチパチと拍手する。
「なんだ、わかってんじゃん。」
リョーカはふざけた表情を、スッと凍らせた。
「正しくは、涼ちゃんと滉斗に対するお前の態度な。すげー傲慢だよ、お前。」
俺は、思わず下を向いた。藤澤涼架の皮を被ったヤツに、面と向かって正論で責められるのは、心にくる。
「わかってるよ、自分でも。俺だって…」
こんな自分、嫌いだ。
「ホントはさ、最初涼ちゃんのフリしてお前に直接言ってやろうかと思ってたんだ。」
「なにを?」
「僕、元貴が大っ嫌い。」
不意に、涼ちゃんの真似をして、というかそのものなんだけど、リョーカが俺に言い放った。俺はリョーカから目を離せなかった。
「あ、傷ついた?ごめんごめん。でもさ、涼ちゃんの記憶を見てても、滉斗と話してても、どっちも大森君を恨んでなんかないんだよな。むしろ、感謝してたり、尊敬してたり、心配してたり。」
リョーカが自分の手を弄びながら、視線を落として話し続ける。
「大好きなんだよな、2人とも。どんな扱いされようと、お前の事が。俺、なんかそれも悔しくてさ。」
リョーカが俺に目を向ける。顔がほんのり赤い。おそらく酔いのせいではない。
「…あん時は、ムシャクシャしてた。ごめんな。」
リョーカが鼻を触りながら話している。あ、涼ちゃんの癖だ、と俺は思った。おそらく、今リョーカは照れている。
「…謝ったって…なくならないよ、あのことは…。」
俺は下を向いて言う。リョーカが俺を伺うように見ている。
「…でも、俺も反省すべき点はあったし、まあ、謝罪は受け入れるよ。」
「素直じゃないねー…。」
「うるさい。」
リョーカはくつくつと笑いながら、コップに残った酒を煽った。
「大森君、もっと涼ちゃんには素直になったらいいのに。」
「素直にって?」
「好きだって、言えばいいじゃん。そんで、思いっきり大事にすればいいじゃん。こんな回りくどいやり方じゃなくて。」
「それは…。」
怖い。そんな事をして、今必死に守っている3人のバランスが崩れたりしたら…。
「いけると思うよ、涼ちゃん。だって、大森君の事」
「やめて。お前の口からは聞きたくない。」
「あっそ、素直じゃないね〜。」
トクトクと、さらに酒を追加するリョーカを見て、先ほどから俺の中にある疑問をぶつけてみた。
「素直じゃないのは、リョーカもでしょ。」
「ん?」
「リョーカはさ、若井の事が好きなんじゃないの?」
リョーカの動きが止まる。やっぱり…と俺は確信した。
「リョーカが出て来たタイミングも、若井との同居がキッカケだし、最初は、そりゃ…アレはやり過ぎだったかもしれないけど、その後は若井との関係を大切に築いてるみたいだし、さっきの寝てる若井への表情、あれはもうどう見ても」
「うるさい。」
リョーカが睨んでくる。
「…素直じゃないな。」
俺がニヤリと笑うと、リョーカが顔を赤くして睨み続ける。
「やっぱりそうだったんだ。じゃあ尚更あんなことしちゃダメじゃん。」
「あんな事って、どっち?滉斗のフェラ?大森君のセックス?」
「どっちも!!」
俺は顔が赤くなるのを感じた。なんなんだコイツは、まったく。リョーカは困ったように笑う。
「まいったなぁ、俺必死に自分にも誤魔化して来たのに、大森君にはバレちゃうか。」
「…いつから好きなの、若井の事。」
リョーカは、グラスを傾けて揺らしながら、ゆっくりと話し始めた。
「俺はずっと潜ってたって言っただろ。ただひたすら、ずっと涼ちゃんの心配だけをして来た。また危ない目にあわないように。怖い目にあったらまた俺が助けてやる…って。でも、そんな機会は幸いなことに全くなくて、そんで、大森君と出会った。」
俺と涼ちゃん、出会いは涼ちゃんが20歳で俺がまだ高校生だっけ。俺は懐かしさに顔を綻ばせながら聞いた。
「涼ちゃんの世界は一変したよ。俺でもわかるほど、キラキラしてた。俺は、もう安心かなって思った。そのうち、俺は勝手に消えていくのかもって。」
でも、とリョーカが優しく微笑んだ。
「滉斗と、出会って…。ま、俺は出会ってないんだけど、涼ちゃん越しにね。」
リョーカは、恥ずかしそうに口元を手で隠した。
「俺、あんなに心が綺麗な人がいるんだって、びっくりして。純粋で、真っ直ぐで、真面目で、涙もろくて、いつでも大森君を信じてそばにいて。一緒にいればいるほど、どんどん好きになった。」
涼ちゃんは始め滉斗に嫌われてたみたいだけど、と苦笑いしてリョーカは言った。
「だから、同居が決まった時、俺はどうしても直接会いたいって、強く思っちゃったんだ。滉斗の目に、俺も映りたいって。…でも、俺はどこまでいっても、滉斗にとっては『涼ちゃん』で、友達で、…どうしようもない。」
俺は何も言えず、黙ってリョーカを見つめる。
「だからさ、大森君は、涼ちゃんに伝えるべきだよ。言えるんだから。好きだって。ちゃんと自分として、言えるんだから…。」
俺は、リョーカのそばへ行って、抱きしめていた。リョーカはまた、俺の背中をトントンと叩いて応えた。
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