天莉が用意できるような庶民的な家ならまだしも、尽のこのハイスペックな家にはペルシャ猫とかロシアンブルーとかノルウェージャンフォレストキャットとか……とにかくそういう横文字系の名前の猫の方が似合いそうな気がして。
自分が迎えたい猫とのギャップに、天莉は戸惑ってしまう。
そんなこんなで、尽から問いかけられたものの、本音を伝えても良いものか迷ってしまった天莉だ。
小さく巻き取ったパスタを口に入れて、うかがうように尽を見つめたら、クスッと笑われて。
「キミが思ってることを当ててやろうか?」
自信満々に天莉を見つめてくる尽に、天莉はソワソワと落ち着かない。
「天莉のことだからきっと、迎えるなら保護猫がいいと思ってるんだろう? 何なら希望の毛色も出たとこ勝負の行き当たりバッタリで良いや……なんてことも思ってる。違うかい?」
天莉は口の中のパスタをゴクンと飲み込むと、「な、何で分かるんですかっ?」と思わず前のめりになっていた。
「キミは面倒見が良くて優しいからね。むしろ、ペットショップへ連れて行って欲しいとねだる姿の方が想像出来ない」
いとも容易く核心をつかれてしまった。
「め、面倒見が良くて優しいかどうかは保証しかねますが……お迎えするなら保護っ子が良いなと思っていたのは図星です。あの……ダメ、でしょうか?」
この家は尽のもので、天莉は現在居候の身。
尽に嫌だと言われたら諦めるしかない。
「何故ダメって言われると思うのかね? 俺がキミのしたいことに反対するわけがないだろう? そもそも大前提として、天莉が選ぶものを俺が愛せないわけがない」
眼鏡の奥。
スッと目を眇められて、天莉はわけも分からず心臓が飛び跳ねてしまう。
別に天莉自身のことを言われたわけではないとわかっているのに。
まるで自分のことを愛せないわけがないと言われているように錯覚してしまって、天莉はそれが恥ずかしくてたまらない。
(常務にとっての私は、ただ利害が一致しただけの都合のいい妻役に過ぎないのに――)
わけも分からないうちに尽に絡め取られ、有耶無耶なまま同棲生活がスタートして。
それだけならまだしも、気が付けば婚姻届まで流されるままに書いてしまっていた天莉だ。
当初は抵抗があったはずの『同棲』や『結婚』という文言が、いつの間にかすんなり受け入れられてしまっているのは何故だろう?
最初、尽に言われたように、博視や紗英を見返してやりたいという気持ちは、正直尽と暮らす中で段々薄れてきてしまったというのに。
それよりも今、天莉が尽と一緒にいる最大の理由は別のところにあって――。
尽を一人にしておいたら食生活が乱れそうだから、などというのは詭弁だと自分でも分かっている天莉だ。
(――私、多分高嶺常務のこと……)
「ん? どうした、天莉。そんな捨て猫みたいな顔をして。こんなに言っても、まだ俺の言葉が信じられない?」
もちろん、そういうわけではない。
尽は博視とは違って、約束を守ってくれる男性だろうから。
でも――。
臆病な天莉は、『違うんです、常務。私、これ以上貴方に惹かれてしまったら……うまく仮初の妻を演じられる自信がないだけなんです』なんて本心を吐露出来るはずもなく。
「あ、あの……違うんです。私、常務が余りにも私を甘やかす発言をして下さったから戸惑っただけで。や、約束を破る方だなんてこれっぽっちも思ってません。信じています」
なんて無難な返ししか出来なかった。
***
尽とともに高速を飛ばして二時間ちょっとのところにある天莉の実家を訪れたのは、パスタを夕飯に食べてから、一週間も経たないうちのことだった。
天莉が、「紹介したい人がいるの」と母親に電話したら、『前に話してくれた同期の彼⁉︎ キャー! やっとお相手の方、天莉ちゃんと結婚する気になってくれたのね⁉︎』と畳み掛けられ、『だったら今週末空けとくから必ずいらっしゃい』とルンルンで言われてしまったのだ。
「そんな性急に決めなくてもお父さんに聞いてからでも」と戸惑う天莉に、母は『バカね。お父さん、休みになったらゴロゴロしてるだけなの、天莉ちゃんが一番よく知ってるでしょう? こうなったからそのつもりでいてね?って突き付けるのが一番効果的なのよ?』と畳み掛けられた。
その勢いたるや、口を挟む余地がないくらいで。
というのも実は天莉。
母親からずっと結婚を強く勧められていたのだ。
女性には出産と言う大仕事があるのだから、子供が欲しいと思うのならば二十代の内に嫁いだ方がいい、と言うのが二十歳で父親と結婚した母親の持論で。
それこそ二十五を越えた辺りから、頻繁に催促されるようになった見合いの電話にうんざりして、「私、いま、お付き合いしている人がいるから間に合ってる!」と、博視のことをそれとなく仄めかした天莉だ。
でも母が鎮まったのはほんの一時のこと。
程なくして、今度は『その彼との結婚はまだなの?』と聞かれるようになって。
天莉は、(お母さんに言われなくても、自分が一番それを望んでいるのに!)と思いながら、つい、腹立たしさ紛れ。「相手は同期で同い年だから! まだ彼の方がそんな気持ちにならないんだもん! 仕方ないじゃない」とまで話してしまっていた。
それでだろう。
母親の、『やーん。やっとなのねー!』という期待に満ちた声に気圧されて、「一緒に行くのは前に話した人とは別の男性なの」と言えなかった天莉だ。
同期でも何でもない、六つも歳の離れた上司を紹介したらどうなることか。
尽に、申し訳なさ一杯で事情を話し、ごめんなさいをした天莉だったのだけれど――。
尽はニヤリと笑うと「裏を返せば天莉のお母様はキミの結婚を心待ちにしてくださってると言うことだね。俺としては願ったり叶ったりの状況だよ」と一向に気にしなかった。
「でもっ」
天莉としては後ろめたさいっぱいなのだ。
そう伝えたいだけなのに、「なぁに、天莉。俺がキミの結婚相手として、横野博視に劣るとでも言いたいの?」と冷ややかに見下ろされては、何も言い返せないではないか。
「そ、そんなこと思うわけないじゃないですかっ!」
「じゃあ、何の問題もないね。俺に任せておけばいい」
元より尽ほどのハイスペックな男性が横野博視に敵わないなんてことありはしないし、天莉自身も高嶺尽の方が、元カレなんかより男としても、人間としても断然出来た人だと認識はしている。
でも――。
だからこそ余計に自分なんかでいいのかな?と引け目を感じてしまうのだ。
加えて実家への訪問の日取りが決まった日、尽から出された〝課題〟がなかなかクリア出来ないままな天莉は、それも悩みの種だったりする。
***
天莉が母親と電話で話した翌日。
尽に今週末実家へ来るよう言われたと話した流れの続き。
「あの……急に日取りが決まってしまいましたが、高嶺常務、お仕事は大丈夫なんですか?」
朝食の手を止めて、汁椀を手にしたまま問い掛けた天莉に、尽が静かにこちらを見詰め返してきて。
天莉はそれだけでひゅっと心臓がすくみ上がってしまう。
今朝は、以前尽が好きだと言っていた根菜――玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン――の味噌汁と、鮭の塩焼き、小口ネギをたっぷり入れた出汁入りの卵焼き……なんていうザ・和食なメニューが食卓に並んでいる。
ご飯を白米ではなくもち麦やヒエ、アマランサスなどが入った雑穀米にしてみたのは、尽に少しでも栄養バランスの整った食事をしてもらいかったからだ。
そんな色とりどりの雑穀米が入った茶碗を手にしていた尽が、それを食卓に戻す幽けき音にさえ、天莉はビクッとして。
眼鏡の奥。
出来の悪い生徒を見詰めるような尽の視線が物凄く痛いではないか。
「天莉。昨夜提案した件だが、普段から意識して練習しないと、いつまで経っても出来るようにはならんと思うぞ?」
「だって……」
「だって? 知ってるかね、天莉。『でも』や『だって』は仕事が出来ない人間や、最初から努力する気のない人間が使う言葉だ。――俺の天莉は違うよね?」
俺の、のところを殊更強調するように言って、「さぁ」と促された天莉は、蚊の鳴くような声で「じ、ん……さん」とつぶやいた。
これでも天莉的には目一杯譲歩したつもりだ。
なのに――。
尽はスッと目を細めると、「『さん』も要らないって言ったよね?」とスパルタをやめてくれる気配がない。
その言葉に再度「でも」と続けようとした天莉は、「ん?」と尽に見つめられて、その言葉を慌てて飲み込んで。
「じ、ん……」
やっとの思いでそう呼びかけたのだけれど。
「うん、よく出来たね」
途端嬉しそうに微笑まれて、やたらと照れ臭くなってしまう。
そう。尽は天莉の実家へ行くに当たって、天莉に自分への呼び掛け方をどうにかすべきだと言い出したのだ。
「キミはいつまで夫になる男を苗字と役職名で呼ぶつもりなの?」
そう問い掛けられた天莉は、グッと言葉に詰まったのだ。
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