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「雅輝、俺様に相談してるのか? それとも、思いっきり惚気けているのか?」
元カレの江藤に訊ねられ、宮本はスマホを耳に押し当てたまま、ひょいと首を傾げた。格好いい恋人、橋本の顔を頭の中に思い出す。しかしそれは額に青筋を立てつつ眉をしかめながら、自分を睨んでいる表情で――。
『雅輝っ、なんで目立つところに、キスマークなんてつけたんだ? こっちに帰ってきたら、真っ先に連絡しろ! いいな、絶対だぞ!』
そんな怒鳴り声を聞いたのは、仕事で遠出した日の初日だった。明日帰るにあたり、そのことを江藤に相談したら、なぜだか惚気けてると切り返されたせいで、宮本の頭の中にクエスチョンマークが浮かんでしまった。
「惚気てるつもりは、俺としてはまったくないのに」
「兄弟そろって、頭の中がお花畑かよ……。面白いくらいにシンクロしてる」
「佑輝がやらかしたのか?」
「ああ、したした。朝寝坊が得意なアイツが珍しく早起きして、会社に向かう道すがら、四つ葉のクローバーを探したらしいんだけど――」
佑輝の兄として、心配しながら声がけをしたのに、江藤の口から語られる内容を聞き、胸をほっと撫で下ろした。黙ったまま頬を緩ませて、話の続きを聞く。
「どんくさいアイツが、時間内に四つ葉のクローバーを見つけることができずに、他のクローバーと合わせて、無理やり四つ葉のクローバーに見せかけた画像を、朝っぱらから俺様に送りつけやがったんだ」
「だけど佑輝が不正したことについて、江藤ちんはあえて指摘しなかったんでしょ?」
優しい江藤の性格を考えて告げられた宮本の言葉に、受話器の向こう側から「うっ!」なんていう声がした。
「江藤ちん?」
「それは珍しく、アイツが早起きできたことや、わざわざ四つ葉のクローバーを探したという労力を考慮してやったんだ。叱る要素はゼロになるだろ」
自分以上に惚気てる江藤に、宮本は声をあげて笑ってしまった。
「そうだね。江藤ちんの幸せを考えた佑輝の気持ちは、叱る要素を消し去るよね。不出来な弟の不正に目をつぶる、江藤ちんの優しさに感謝します」
「なんだかな、その言い方。感謝されてる気がしねぇって」
「そうかな?」
「それよりもおまえのとった行動が、気になってしょうがない。昔から相手に対しての執着心が強いのは知ってるけど、見えるところにキスマークをつけるなんてことをしなかっただろ? 何か、不安なことでもあるのか?」
あっさりと会話を切り返してきた江藤に、宮本はスマホを握りしめてる手に力を入れながら、小さな溜息をついた。
「雅輝、大丈夫か?」
「あんまり大丈夫じゃない。江藤ちん、恋愛を長続きさせる秘訣って何だろう?」
「俺様がそれを知っていたら、おまえと別れることはなかったと思うけど」
確かにそうだと宮本は苦笑し、視線を落とした。仕事着にしているズボンの一部が薄くなっていて、もう少し擦ったら簡単に破れるなと、その部分をいたわるように撫でてみる。
自分の恋愛の危ういところが、こうして見ることができたら、きちんと修復できるのにと、無理な現実を考えついてしまった。
「おまえのことだから、どうせくだらないことでも考えて、無駄に空回りしてるんだろう?」
「くだらないこと……?」
気の抜けた声で返事をすると、江藤にいつものことだけどなと前置きされた。
「自分の見た目がイケてないから飽きられるとか、オタク趣味がきっかけで、嫌われたらどうしようとか」
(本当に江藤ちんは、俺のことをよくわかってくれてる。さすがは元恋人で、佑輝の教育係をしているだけある)
「江藤ちん、それも含めて、今回はもう少し深い悩みだよ」
「そうか。だけどな、俺だってアイツと付き合っていくのに、悩みが尽きない状態でいるんだ。まずは一人前に、仕事ができるような人間にしてやらなきゃいけなくて」
「ごめんね、お世話になりまくりで」
「いいんだって。お蔭で俺様の忍耐力が、ここぞとばかりに鍛えられるし、アイツのいいところを見つけられるきっかけにもなってる。同時並行で、愛を育んでる感じに近いかもしれない」
愛を育むという言葉を、堂々と告げることができる江藤を、宮本は心底羨ましいと思った。
「俺は彼に、好きだって言うしかできなくて……。それ以外の愛情表現が、うまくできなくて困ってる」
「おまえが好きだと言ったら、相手も同じように返してくれるんだろ?」
「言葉ではたまに。だから言われたときに、すごくクるんだ。ズシーンっていう感じでね」
「たまにって……そんなの足りないだろ。だから不安になって、キスマークなんてものをつけたんじゃないのか?」
「足りなくないよ、全然。言葉がなくても表情や仕草を使って、俺に見える形で彼は表してくれるから」
暫しの間、互いに沈黙する。
橋本はかけがえのない恋人で、なにかを競ったり、比べる相手じゃない。それなのに比較してしまうのは、どうしても自分に自信がもてないことが原因なのはわかっていた。
「……俺自身、いろんなことに対して、不器用なのが問題だよね」
「雅輝が思うほど、俺様もそこまで器用じゃない。誰だって、不得意分野くらいあるだろう?」
「不得意分野が多すぎて、どこから手をつけていいのか、さっぱりわからないや」
両想いなのに、どうしてこんなに不安になってしまうのか――橋本の傍にいるだけで、苦しいくらいに好きになってしまう気持ちを、止めたい衝動に駆られるときがあった。
ある日突然やって来るであろう、別れに対処しなければと、無意識のうちに心にブレーキをかける合図のように、冷たい態度をとったというのに――。
『どうした、雅輝?』
傍から見れば、気を惹こうとしているみたいな態度に驚くでもなく、橋本は優しく声をかけながら肩を抱き寄せたり、手を握りしめたりと、宮本に安心感を与えてくれた。
訊ねられた答えを出せずに、されるがままでいる宮本を、春の日差しのような柔らかいあたたかさで、橋本が全部を包み込むたびに、自分に注がれる無償の愛を感じて、ますます手放せないことを実感する。そのせいで負のスパイラルに陥り、どうにも抜け出せなかった。
子どもじみた愛し方しかできない自分に、ますます嫌気が差してしまう。
「雅輝いいか、不得意分野がたくさんあるのなら、まずは優先順位をつけること!」
「江藤ちん?」
鬱々とした考えを打ち砕く元気な声が、宮本の耳に聞こえた。
「おまえの弟は、その優先順位すらつけられないバカだけど、それくらいはできるだろ?」
「そんなおバカなところが、アイツの魅力なんだろうなぁ」
何かにつけて弟を話題に出す江藤に、笑って返事をしてやる。鼻水をすする音が聞こえたかもしれないけれど、それでも笑って誤魔化した。
「宮本のバカの話は、どうでもいいんだって。あとさ、何度も言ってるだろ。おまえはいい男なんだ、もっと胸を張れよ」
『いい男』という言葉は、橋本にも言われている。しかも江藤からは、しつこいくらいに言われているのに、宮本としてはそれが自信に繋がらなかった。
自分のことを親身に思ってくれるふたりを、信用していないわけじゃないのに。
「雅輝が考えた優先順位をもとに、ひとつずつ確実に潰していけ。どんな小さなことでも、積み重なっていけば、それが自分の自信に絶対繋がっていく。更にいい男になっちまったら、雅輝の恋人は、絶対に離れられなくなるかもしれないな」
「ありがと江藤ちん。ぼちぼち頑張ってみるよ、いつもごめんね」
「いいんだって、また何かあったら電話してこいよ。でもたまには、嬉しい報告も聞きたいところだけど」
ヘタレ野郎で、甘えてばかりいる自分に嫌気が差すことなく、こうして相談にのってくれる江藤の優しさに、鼻の奥がツンとした。
「わかった。いい報告ができるように、彼とベストな関係を築いていくよ。じゃあ……」
慌てて通話を切った理由は、電話越しにインターフォンの音が聞こえたから。こんな遅い時間帯の訪問は、間違いなく弟だと察知できた。
恋人と一緒にいられる時間が限られているからこそ、1秒でも長く傍にいさせてやりたい。
かなり手のかかる、かわいい弟と大切な親友が、そろって有意義なときを過ごせますようにと、自分の悩みを後回しにして、宮本は祈ったのだった。