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「改めまして、こんにちは」
椅子に腰掛けたままにこりと笑う男の顔色は標準的なものにまで戻っていた。どこかぼんやりとしていた瞳の焦点もハッキリとしている。…よかった。俺の首と胴体はどうやらまだ仲良くしていけそうだ。
「一応聞いとくけど、ご要件は?」
男のこんにちはという挨拶をまるっきり無視して話を推し進める。元々この家にまともな用で寄り付く奴なんていない。薬は十分な量を適正価格で村に下ろしているし、害獣もババアが張った結界のお陰で入ってこない。だからこの家に来るのは大抵求婚者か、金狙いの強盗か、道に迷って逃げ込んできた猟師のどれかだ。あとは、ババアの言っていたたまに協力を仰ぎに来る権力者くらいか。なので今回の場合は協力か、求婚か…。どちらにせよ面倒であるのに変わりはない。穏便に、なおかつ迅速に叩き出したい所だ。
目の前の男が頭の中で静かに自分を追い出す計画を立てているだなんて露知らず、男は「はい!」と元気よく返事をしておもむろに椅子から立ち上がり、そっと床に膝をついた。そして突然の行動に驚く俺を見上げて、どこか緊張した面持ちで言った。
「紫水晶の呪術師、 アンブローズ・アメシス様。どうかこの私、第二王子フランシス改め、第一王女フランチェスカ・ミオソティス・アルペストリス・グラナートゥムと婚約してください!」
「………ん?」
今、聞き捨てならない台詞があったような…。
俺の名前はいい。ババアの下で育ったからには、魔術師や呪術師達のネットワークに嫌でも名前は乗る。この国の王族は皆魔術師であるため、大方そこから持ってきた情報だろう。紫水晶の呪術師というのも、ババアから受け継いだ俺のそのネットワーク上の通り名だからスルー。本題が求婚なのも大体こちらの予想通りなので問題ない。長ったらしい名前はこの際割愛だ。俺が気になるのは俺の名前と求婚の、その間。
第二王子改め、第一王”女”。
「お、 女…っ!?」
信じられないものを見る目で男を…いや、フランチェスカを見る。確かに、言われてみれば童顔だし、体つきも華奢だし、雰囲気もフェミニンでどちらかというと可愛らしい…いや、いやいやいや。
「し、信じねぇぞ…どうせ実は男でしたのパターンだろ。騙されねぇからな…」
「傷が深いですね」
じりじりと後ずさる俺を見て、フランチェスカは何かを思いついたようにあっと声を上げた。
「白根草と心華の実と秋雨の葉はありますか?」
「そりゃあるけど…」
当然だ。なぜならここは薬の制作を生業とする呪術師の…俺の拠点なのだから。ということは前記された物は全て薬の材料というわけで、そしてその薬というのは大変アレなものなわけで。嫌な予感がゆっくりと迫り上がってきて、一筋の汗がつうと頬をつたう。
「…おい、一応聞いておくが、何作る気だ」
訝しげな俺の声に対して、フランチェスカはふふんと胸を張り自信満々に答えた。
「自白剤です!」
「却下だ馬鹿野郎おおぉぉぉ!!」
様々な植物や魔石に囲まれた調合室に俺の叫び声が木霊する。ぱちぱちと瞳を瞬かせるフランチェスカに殺意にも似た怒りが湧いてくるのを感じた。びっくりしたいのはこっちだ。というか、今現在心底俺はびっくりしている。
「あんた王族だろうが!それでぽろっと国家機密喋られたりでもされたら俺が首ちょんぱなの!わかる!?」
「た、確かにそうですが…でも…」
なおも言い淀む姿に流石に言葉に詰まる。そんなに俺に女であると認知されるのが重要かよ。…あぁ、確かに重要だわ 。俺男性恐怖症なんだった。びっくりのしすぎで頭からすっかり抜け落ちていた。でも俺の首の方が当然俺にとってもっとずっと大事な訳で。
「……っ、あー!もう、わかった!信じる!信じるから自白剤はやめろ!」
半ばヤケクソになりながらそう言い放つ。まぁしかし、狡い考え方ではあるが、言葉だけならなんとでもなる。信じるとは言ったが、俺は半信半疑くらいの気持ちで見てればいい。完全に信じきる理由も、そのための信頼も、今の俺達の間にはない。何せ俺としては今日が初対面なのだから。フランチェスカはどこかで俺のことを知っているようだが、知ったこっちゃない。
ちらと向こうに目をやると、フランチェスカは心底嬉しそうににこにこ笑っていた。あどけないその笑顔はそのまま刃となり、俺のなけなしの罪悪感に深く突き刺さる。痛い。それと同時に、今朝からの怒涛の展開による混乱と疲労が一気に舞い戻ってきた。
「……なんか頭痛くなってきた」
「えっ、それは大変ですね!早く休まないと…あ、それなら私は帰った方がいいですよね」
「そりゃあ、まぁ…てか、誰のせいだと…」
唸るような声には一切耳を傾けず、フランチェスカはさっさと帰り支度を済ませてこちらに向き直った。その顔には告白の時と同じような緊張が滲んでいて、言葉を紡ぐことに少し躊躇っているようだった。
「あの、また…来てもよろしいでしょうか?」
上目遣いの瞳。僅かに上気した頬。そして、はにかむような笑顔。このときのフランチェスカは恋する乙女そのものだった。
そんなフランチェスカを前にした俺のそう悪くないはずの頭は、一瞬で活動を停止した。
情けないことに、俺は野郎にばかりすり寄られてきたせいで女性経験がほとんどない。面識のある女といえばババアの知り合いの魔女共のみだが、皆一様に力は勿論、押しもクセもすこぶる強くて顔合わせの時は本当に苦労した。
つまり何が言いたいのかと言うと、俺は可愛らしくて控えめで清廉な女がタイプだ。そして、この時のフランチェスカはその条件に完全に一致していた。一方面にめっぽう弱い馬鹿な頭はぴたりとその動きを止め、 停止した脳は一瞬フランチェスカへの対応を完全に見失った。
「ど、どうぞ…?」
自分の口から勝手に溢れ出た言葉に驚いている間に、フランチェスカにぱっと手を取られる。あ、と思って顔を上げたのも束の間、思いの外近い距離にあった大きなガーネットの瞳に思わずどきりとした。
いや、どきりってなんだよ。
「おい…」
「ありがとうございます!」
花開くような満面の笑みで礼を言うその姿に、何か言ってやろうとしていた口は開けるにも開けられなくなり、結局何も言い返すことはできなくなってしまった。
俺が呆気にとられている間にフランチェスカは直ぐ様ぱっと手を離し、再度礼を言って俺の家を去って行った。一人取り残された俺は部屋の中央でぽつんと佇んだまま動けないでいた。
どうにも思考がまとまらないのはきっと、唐突に来ては嵐のように去って行ったあいつのペースに終始引っ張られていたせいだ。心臓の音が嫌にうるさく響くのも、喧しいあいつが急に帰った反動のせいだ。そうだ、そうに違いない。だって俺は、絶対に、決して、ちょっと笑いかけられたくらいで惚れるような、そんな単純な男なんかじゃない。
一人きりになった部屋の中で、視線はぼんやりと先程まで掴まれていた掌に向いていた。
ふと心に浮かんだのは、案外大丈夫だったなというおかしな感想だった。