会合のあるホテルへの移動中、夏菜は、この車広くてよかったと改めて思っていた。
有生との距離が空いているからだ。
近いと緊張するもんな。
だから、助手席に座ると言ったのだが、却下されたのだ。
助手席には上林が座っている。
「夏菜」
上林のタブレットを見ながら、有生が呼んだ。
「はい」
「指月の行方に心当たりはないか」
「何故、私に訊くんです?」
「今までこんなことはなかったからだ。
お前が現れた途端、指月が消えた。
まず、関連を疑うのが当然だろう」
――私が現れて、指月さんが消えた、か。
「……あ~」
と夏菜は声を上げ、少し笑った。
「もしかして、指月さん、うちにいるかもしれません」
指月は怪しい自分のことを調べようとして後をつけたのではないだろうか。
いつも無意識のうちに人を撒くように動いているので、何度か見失ったのではないかと思うのだが。
やり手の指月のことだ。
途中までついて来たのに違いない。
「なんか罠にはまって動けないのかも」
「ツルか。
っていうか、お前んち、罠があるのか」
はい、と夏菜は言った。
「いつ、御坂一族が攻めてくるかわからないからと、ご先祖さまが仕掛けていた罠が今もあちこちに」
「……お前んちは、いまだ戦国時代か」
「ちょっと家に電話してみますね」
とカバンから携帯を出しながら思う。
指月さんを助けたらご恩返しがあるだろうかな。
いや、罠仕掛けたのこっちだから、きっとキレられるよな~。
屋敷の電話はすぐにつながった。
「あ、もしもし?
加藤さん?
夏菜です。
ちょっと山の方、見ていただけますか?
罠にかかってる人がいるかもしれません。
20代~30代くらい、身長178センチ、体重70~75キロで、体脂肪率が6~7%くらいの成人男性なんですか」
「……逃亡中の犯罪者か、死体の身元を探す記事みたいだな」
と言う有生に、
「いや、体脂肪率は出てないですよ……」
と上林が言う。
「だが、そんなことより、その携帯が気になるんだが……」
とまるで昔のトランシーバーのような夏菜の携帯を見て、有生が言う。
「イリジウムか。
お前の家、どんな山ん中だ。
本当に日本なのか……?」
と言われてしまった。
はは、と笑いながら、夏菜はその衛星電話をしまった。
「……ひどい目に遭いました。
あそこはなんなんですか。
忍者の隠れ里ですかっ」
社長室に戻ってきた指月が即行、夏菜に文句を言ってくる。
やはり、恩返しはしてくれそうにないな、と思いながら、
「いやあ、いつ、御坂一族が攻めてくるともわからないので」
と夏菜は苦笑いで返したが、
「……そんなすごい罠をくぐり抜けてお前のところまで行く技術は俺にはない」
と有生に言われてしまった。
いやあ、敵を大きく想定しすぎて、鍛えすぎちゃうとかありますよね~、と思う。
指月は言いたいだけ文句を言うと、上林に仕事を教えるために、秘書室に戻っていった。
「では、私も失礼します」
と夏菜は総務に戻ろうとしたが、
「待て」
と有生に言われる。
「もうこのまま秘書にいろ。
総務の方は、会議のときだけ手伝いに行けばいい」
「え、でも……」
有生はパソコンの画面を見ながら、
「よく考えたら、週末、ちょっと内輪のパーティに出ないといけないんだった。
いつも女性同伴とあっても、指月を連れてってたんだが」
と呟く。
はあ、その辺の女性より、遥かにお美しいですもんね、と思っていると、
「ちょうどいい。
お前がついて来い」
と有生は言い出した。
「顔を出したらすぐ帰る。
お前は黙って笑ってたらいい」
「はあ……。
あのー、いつもこうなんですか?」
なんだ? と有生は目を上げ、こちらを見た。
「いつも私や上林さんのように、自分に歯向かってくる人間を飼いならして部下に?」
「……お前、いつ俺に飼いならされた?」
いや、なにもならされてないですけどね……。
有生はデスクで頬杖をつき、つまらんことを訊くな、という風に言ってくる。
「優秀な奴だけだ。
使えない奴は俺はいらん。
いやまあ、お前はまた別だが」
それは私は優秀でないという……?
「女だからな。
いろいろ使い道もあるだろうと思って。
女で俺に歯向かってきた奴は初めてだしな」
私に女としての使い道はあまりなさそうだが、と思ったが、おそらく、そうして、パーティに帯同させたりとかそういうことを言っているのだろう。
「なんだ。
しょぼくれた顔をして」
「いえ、貴方に復讐に来たはずなのに、いいように使われてるなーと思って」
なにか逆らえない迫力がこの人にはあるから、と思う。
「その件に関しては俺も言いたい」
と有生は立ち上がり、こちらに来た。
「俺の先祖がお前たち一族になにを言ったが知らないが、そんなもの俺のあずかり知るところではない。
それから、お前がその先輩とやらを投げ飛ばした件だが、やはり、お前がそいつを好きじゃなかっただけだろう」
「いや、そりゃ好きとかじゃなかったですけど。
部活の先輩だったんで……」
と言おうとしたとき、有生は夏菜の腕をつかんで引き寄せ、キスしてきた。
「な……
なにするんですかーっ」
とその腕をつかみ、投げ飛ばそうとしたが、腕をつかみ返され、後ろに回され、あっという間に、もう片方の腕も後ろでつかまれていた。
まるで刑事に確保されたみたいなその体勢のまま、有生が耳許で淡々と言ってくる。
「ほら、俺だと迫っても投げ飛ばさないじゃないか」
「いやっ、投げ飛ばせませんよねっ? これっ」
なんの騒ぎだ、というように指月が一瞬、扉の隙間から覗き、上林がその下から覗いてきたが。
中で起こっている事態を確認すると、二人は、またそっと扉を閉めた。
「ちょ、ちょっとちょっと、指月さんっ?
上林さんーっ?」
助けてーっと夏菜は悲鳴を上げる。
「なんか楽しそうだから、引いたんだろう」
「楽しくないですよっ。
っていうか、貴方、むちゃくちゃ強いじゃないですかっ。
私も指月さんもいらないですよねっ?」
「いやいや。
誰にも隙は生まれるものだからな。
それを埋めてくれるのが、お前と指月だ。
だがまあ、よくわかったろ。
お前がその先輩を投げ飛ばしたのは、俺のせいじゃない。
そいつが弱かったからだ」
いや、話すり替わってますけど。
「明日も遅れずに来いよ」
ようやく解放された夏菜は、
「もう来ませんっ」
と怒って帰ろうと扉に手をかけたが、後ろから、
「お前が居ないと、上林ひとりが此処の新人ということになって、指月に地味にちびちびイビられるんだろうな」
そんなことをぼそりと有生が言ってくる。
夏菜は一瞬、止まったが、扉を開け、外に出た。
指月たちがそこでまだ話を聞いていた。
恥ずかしいので顔を見ないようにして、二人に頭を下げると、夏菜は小走りに逃げ去った。
夏菜が帰ったあと、有生はそっと扉を開けて、廊下に顔を出した。
指月と上林がいる。
夏菜が消えたエレベーターホールの方を見ながら指月が言った。
「彼女、きっと明日も来ますよ」
「来ますよね」
と上林も言う。
有生は二人と目を合わせると、深く頷き、扉を閉めた。
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