夢を見た。
懐かしい夢。
『───日本』
『はい、大英帝国殿』
まだ、僕が帝国を名乗っていた時。
日英同盟、という、初めての同盟を組んで。
時代を席巻する、日の沈まない大英帝国──つまり、昔のイギリスさんと、度々お茶会を嗜んでいたあの頃の夢。
『日本。こちらの文化には慣れましたか』
『ええ、お陰様で』
白睫毛に覆われた慧眼が、優しく細められる。
彼の長い指先がティーカップを絡め取り、物音一つ立てずに口元へ運んでいく。
なんの変哲もない行為の一幕なのに、彼がすると一種の絵画のように映える。
『貴方は、ここ数年で見違えましたね。英語も随分と堪能になって』
『あ、ありがとうございます……本当に、貴方様のおかげです。私だけでは何もできませんでした』
『これはこれは。嬉しいことを言ってくださる』
そう言うと彼は、たいそう満足そうに、ゆるゆると口角を持ち上げる。
この日の彼は珍しく軍服で、黄金のショルダーノッチと飾緒が眩しかった。
しかしその後、どこか不貞腐れたような表情を浮かべると、彼はちらりと此方に視線を寄越す。
『しかし……それならば最初から、私の元にいらっしゃれば良かったのに』
私よりプロイセンを選ぶとは、と不満げな声。
懐かしい。大政奉還後の近代化政策のことか。
開国したばかりの僕は、右も左も分からず、とにかく西欧に赴いて教えを乞うた。
しかし当時の僕に、地下鉄が駆け抜け煙突が煙を噴く、世界の最先端を行く大英帝国を真似る力はなかった。
そこで僕は、元植民地から急速に発展し、また自分と最も国民性が似通っていた師──プロイセン王国をモデルに近代化を進めたのだが。
『……すみません、父の意向でして』
『御父様というと、江戸、という御方でしたね』
『え、ええ』
どうやらこの御方は、それがどうにも気に入らないらしい。
父の意向、というのは完全なる言い訳である。
だって、飛鳥から江戸まで、時代が変われども、日本はずっと僕だったから。
時代が変わる時、僕は決まって首を切る。
痛いのは一瞬で、あとは清清しさだけが残る。
そして、外見だけがぱっと様変わりするのだ。
蘇生の時に必要なのは───一番大事な記憶。
前回は、苦い戦時の記憶を捧げたっけ。だから今の僕は、あの頃の事を朧げにしか覚えていない。
ただ、暗くて、ひたひたとした死の匂いがしていたこと。それだけを覚えている。
『過ぎたことは仕方ありませんが。これからはもう、私以外と同盟を組んではなりませんよ?』
『はい、大英帝国殿』
殊勝に頷いた僕に、彼は目を細めて微笑んだ。
しかしその後、あぁそうでした、と思い出したように口を開く。
カップを置いて此方を見つめてくる瞳に、何事かと視線を向けた、が。
『私のことは、敬称なしで呼んでくださいと言っているでしょう。ほら、イギリスと』
『そ、れは……』
『おや、日本では私のことを英吉利と呼ぶと伺いましたが。違いましたか?』
『いえ、仰る通りでございます』
『ああもちろん、貴方の呼びやすいもので構いませんよ。ただ、敬称はなしです』
何度もお願いしているのに、貴方は頑なに『殿』やら『様』を付けるから困ったものです。
にこ、と有無を言わせぬ微笑みを浮かべ、彼は僕の次の言葉を待っていた。
一方の僕は、冷や汗だらっだらである。
だってそうだろう、片や世界一の大国で、片やぽっと出の新興国である。力の差は、歴然なんて言葉じゃ言い表せない。
『いやっ、それはその……』
下手したら不敬で首が飛ぶ。
いや、首は幾らでも飛んで構わないのだが、怒らせて下関戦争みたいなことになったら不味い。
あの時は渾身の腹切りパフォーマンスで赦してもらったが、今回ばかりはそうはいかない。
『日本?』
『──ひぇ……っ!』
しかし、このお方は、気に入らないというように、僕の名前を呼んだ。
そしてあろうことか、僕の左手をとると、いとも自然に薬指に口づけた。
また!またやった!このひと!いっつもそう!
『酷いひとですね……私は貴方ともっとお近づきになりたいだけなのに』
『じゅ、十分では?』
『まさか。全くもって足りません。日本、貴方は自覚しなくては。貴方が一体、どれほどの國に狙われているのかを』
確かに、それは一理あるのだ。
日露戦争に勝った僕は、急速に外交政策を進めた。というか、進めざるを得なかった。
フランスさんともロシアさんとも協商を結んだ。
でもいつ、極東の島国如きが生意気な!と潰されても可笑しくなかった。
降りかかる火の粉を払ってくれたのは、実はこのひとだったりする。
『ここで、日英の蜜月関係を示唆しておくことが、抑止力になるのですよ?』
ちゅ、と軽やかなリップ音。
ぞくりと背筋が震えて、声が上擦りそうになる。
僕の手の甲に唇を寄せた彼が、上目遣いでこちらを見つめてくる。
彼の深海のような瞳の中に、此方を絡め取るような感情が垣間見えて、僕の頭で警鐘が鳴る。
『おや、どうされたんです?お顔が赤いですが』
『ッ、おいたが過ぎますよ……』
『嫌なら嫌と言いなさい。もちろん、ちゃんと名を呼んで、ね』
再び、薬指に柔らかな唇の感触。
頬に熱が集まる。
恥ずかしい、辞めてほしい、でも。
『いや、ではないので……困って、ます』
何故こんなことを漏らしたのか、今となってはわからない。
ただ、茹だった頭がちゃんと機能しなくて、気づけば僕は目を逸らしてそう言っていた。
『……あ、いやっ、その、ちがくて、』
数秒後、なんてことを口走ったのだろうと飛び上がった僕は、我ながら情けないほどに動揺した。
はしたないが、がたんと音を立てて立ち上がり、必死に弁明する。彼も呆気に取られていた。
いやー恥ずかしい!!黒歴史!!不謹慎ながら、敗戦した大日本帝国を死んだことにしておいて良かったと思う。いえす。あい、あむ、日本国。
『あぁ……本っ当に、貴方というひとは……』
『へっ?』
目の前に、顔面国宝なり。
全パーツが神の最高傑作であり、そしてなおかつ、それらが一糸乱れぬ黄金比で並べられている。
頬を微かに赤らめた姿は、どこか官能的だ。
光を失った瞳に浮かぶ、どろどろとした何らかの感情は、ちょっと怖いけれど。
『え?あの、……えっ?』
腰に回された右手。
恋人のように絡められた指先。
彼と視線が揃うことから考えるに、今僕は、彼の膝の上に乗せられているんじゃなかろうか。
『は、あの、待っ、』
『名前、呼んでください』
近い。馬鹿みたいに近い。
ただでさえ良い声なのに、囁くように告げられては、その願いを断ることなどできやしない。
腰に回った腕に引き寄せられて、僕はとうとう腹を決めるしかなかった。
『いっ、イギリス、……さん』
許せ。
僕はまだこの頃、我が身が可愛かったのだ。
俯く僕をじっと見つめたあと、彼は漸く、及第点です、と微笑んだ。
『………あの、』
『はい?』
しかし彼は、一向に僕を離す気配がない。
刀の間合いにひとを近づけさせないという、世界でも稀に見る遠距離派な僕には刺激が強い。
なにがしたいんだ。軍人抱いて楽しいのか。……楽しそうだな!!!僕をからかうのが楽しいんだな!!!
『すこし、離れても、良いですか』
『駄目です♡』
撃沈。
真っ赤になった後、真っ青になるという、カメレオンびっくりの変化を繰り返す僕を、彼は更に抱き寄せた。
そして何を血迷ったか、ふふ、と妖艶に微笑んで。
『日本……ずっと、私のものでいてくださいね?』
彼が、僕の顎を掬い上げた。
「──ぉわあっ!?」
忘れてた、忘れたかった黒歴史を掘り起こす直前、僕はパッと目を覚ました。
いやなんかもう、手遅れな気がしないでもないが。
バクバクと高鳴る心臓を抑えつつ、のそのそとシーツから這い上が───ろうとした。
「ぇ?」
さっ、と血の気が引いていく。
「ど、どこ……?」
ここは、どこだ。
寝ぼけていた頭がさぁっと冷え切っていき、心臓が再び大きく脈打ち始める。
あたりを見回しても見覚えのない景色に、冷や汗が背を伝うのを感じた。
肌触りの良いシーツ、天蓋付きのベッド。
明らかにサイズ感の可笑しい広い寝室に、パーティー会場でしか見たことのないシャンデリア。
ドレープのカーテン、おしゃれな観葉植物。
「あ、れ?」
なにしてたっけ。なんでここにいるんだっけ。
つきりと痛む頭を押さえて、ふらふらと上体を起こす。
ぼやける目を擦れば、ふっと頭の上から影が降りてきて───聞き馴染みのある声が降ってきた。
「お目覚めですか、日本」
コメント
5件
イギにてだぁぁぁぁ(泣)
イギリスさんの声を聞いてみたいです。近くでその国宝級の顔面を見てみたいぃ。 絶対良い匂いするし、っていう私の欲望を全部堪能した私たちの所の御国様が 羨ましいですね。続編待ってます。勿論他作品も待ってますからね!
