2
そこには青空が広がっていた。
どこまでも続く青空だった。
眼下に広がるのは、見覚えのある町並み。僕らの町だ。
そこからぐんぐん高度が下がる。
……そうか、ホウキだ。
これはホウキに乗っている(あるいは無理やり乗せられている)あの時の光景と同じなのだ。
やがて目の前に見えたのは僕らの学校。
そこで、僕と真帆が向き合っている姿が見えてきた。
双方の口が動き、なにか言葉を交わす僕と真帆。
真帆は怒っていた。
僕はそんな真帆に、酷く動揺している様子だった。
真帆は眉を寄せ、じっと僕を睨みつけて――おもむろに踵を返すと、校門の方へと走り去ってしまったのだった。
……こんな記憶、僕にはない。
これまでの真帆との思い出の中に、こんなことがあった覚えなどまるでなかった。
これはいったい、何なんだろう。
いつの僕らなんだろう。
僕はふと、隣に顔を向けた。
そこにいるもうひとりの真帆――僕と一緒に並んで目の前の光景を見つめる真帆に視線を向けた。
真帆も困惑したような、戸惑うような表情を浮かべながら、走り去っていく自身の背中を見つめていた。
……真帆にも、同じくこんな記憶はないらしい。
或いはあの森の中で失ってしまった過去の記憶なのか。
――いや、違う。
乙守先生が言っていたじゃないか。
真帆の未来を、僕らに視せると。
つまりこれは、いずれ訪れる僕らの未来。
これから僕らを待ち受ける、いつかの未来なのだ。
いま一度、もうひとりの僕に視線をやれば、その胸には白い造花を差していた。
――これは、たぶん、卒業生がつけるあの花だ。
ってことはつまり、これは、僕らの卒業式の日ってことだろう。
改めて辺りを見回してみれば、確かに卒業式を終えたのであろう、たくさんの生徒やその親が至る所にたむろしている。
……これは、たぶん、いや、きっと、僕が真帆に、これから通うことになる大学のことを話したところなのではないだろうか。
心当たりがあるとすれば、それしかない。
たぶん、目的の大学に合格して、真帆にそれを告げたところなのだ。
真帆の希望とは異なる、遠方の、全魔協に関わりのある大学を選んだことを、僕は。
僕はそのことを、まだ真帆には言えないでいる。
真帆がどんな反応をするか、それが怖かったからだ。
そして今見た目の前の光景に、確信を得る。
真帆が、どれだけの衝撃を受けてしまうのか。
真帆が中学を卒業してこの高校に入学するとき、真帆は仲の良かった友達と離れ離れになってしまった。
それは真帆にとって、とてもショックな出来事だった。心が荒んでしまうほどに。
それと同じことが、今度は自分の恋人が――遠くへ行って、離れ離れになってしまう。
真帆がどれだけの衝撃を受けるのか、想像するのは簡単だった。
真帆のことは、この数年で、よく理解しているつもりだから。
もうひとりの真帆――いや、僕の真帆は、怪訝な顔で僕を見つめている。
「……これは、どういう場面なんでしょう。ユウくんは、私に何を言ったんでしょう。ユウくんは、私にいったい、何を言いたいんですか?」
訊ねられて、僕はどう答えたものか、思わず口をパクパクさせてしまう。
けれど、今の段階で何をどう言えば良いのかわからなくて。
今ここで言うべきか、それとも……
「――さぁ、なんだろう」僕は首を傾げながら、「特に今は、何も言うべきことはないけど」
ただ、そうお茶を濁すことしかできなかった。
真帆はうろんな目を僕にくれて、けれど「まぁ、いいか」というように小さくため息を吐いただけだった。
やがて周囲の世界は、次第にぼやける。
場面は転換し、今目の前に視えているのは真帆の実家――魔法百貨堂だった。
その魔法百貨堂に、成長した真帆の姿があった。
成長したとはいえ、その基本的な見た目はあまり変わってはいなかった。
ただ綺麗に化粧をして、可愛らしい服を着て。
今とはまた違う大人の魅力を匂わせる真帆の姿だ。
真帆はそんな魔法堂で、ひとりぼんやり魔術書を読んでいた。
籐椅子に腰かけ、独りで、静かに。
そこへ現れた、ひとりの少女。
茶色い髪の、高校生くらいの元気な女の子だ。
真帆はその女の子と楽しそうに会話して、はしゃいで、そんななか、お客さんと思われる人がやってきて。
あとは目まぐるしく時間が過ぎていった。まるでビデオの早送りのように。
真帆は時折店を訪れるその女の子と共に、やってくるお客さんの要望に応えているようだった。
あまりにも早送りで、何が何だかわからなかったのだけれど、女の子も次第に成長して、しばらくは真帆とふたりで店に立って――
やがてその女の子も、魔法堂を訪れなくなってしまった。
そこに僕は居なかった。
僕という存在は、この先の真帆の未来には二度と登場してこなかったのだ。
そしてまた、真帆の独りの時間が長く続いた。
真帆はただ、静かに、籐椅子に腰かけていた。
ぼんやりと天井を見つめ、茶を飲み、数えるほどしか訪れなくなったお客さんを応対して。
真帆の見た目は変わらないのに、ただ魔法堂の中だけが酷く劣化していった。
やがてお客さんも来なくなって、何もない一日が延々と続くようになっていった。
いったいどれだけの時間が、変わらぬ姿の真帆の外側を流れていったのだろうか。
ボロボロの廃墟と化した魔法堂の中で、真帆は相変わらず漠然とした時を過ごしていた。
周囲は長く伸びた蔦、外から壁を破壊して侵入してきた木の幹や枝葉に覆われている。
床は苔むし、草葉に覆われ、もはや人の住まいにはほど遠い外観となっていた。
そんな廃墟の中で、真帆は立ち上がり、ふと、くすんだ窓の外に視線を向けた。
窓ガラスを失い、歪んでしまった店の出入口の扉へと歩み寄り、がらりと開ける。
真帆はゆっくりと廃墟の外に歩み出て――その途端、僕らの視ているものが、それと同時に徐々に真帆を俯瞰していった。
魔法堂の外に広がっているのは、森だった。
森――いや、町の廃墟を覆い尽くす、たくさんの蔦や木々、草花。
僕らの町が、住んでいる町が、完全に森の中の廃墟と化していたのである。
他に人の気配は全くなかった。
ただ真帆だけが、そこにいた。
まるで世界から取り残されてしまったかのように、そこに。
真帆の指には、きらりと光る指輪がはめられていた。
あれは――そう、僕らがたまに休みの日に一緒につけている、真帆のおばあさんからもらった魔法の指輪だ。
恋愛成就の指輪、そう真帆のおばあさんは言っていた。
真帆は、その指輪を、まだ、その指に――
真帆は空を見上げた。
太陽の明るい陽射しを遮るように手を伸ばして、その指輪がきらりと光る。
そんな真帆の視線の先を、白い鳥の群れが飛んでいった。
これは、いったい――どういうことなんだ。
どうして、僕らの町が、廃墟なんかに……?
だけど、全体的に、世界が歪んでいる。
ぼやけている。
色が抜けたように白けている。
「――これはあくまで、ひとつの未来。何百年も、何千年も先の、ね」
乙守先生が、静かに言った。
「でも、天球儀はこれとは異なる、また別の未来も私に視せてくれたわ」
乙守先生はおもむろに宙で両腕を大仰に振った。
その途端、未来の真帆と廃墟が、まるで霧のように消え失せた。
それから乙守先生は、再び両手を大きく振る。
たちまちのうちに、あのかつての――今も見ることのできる、よく見知った魔法百貨堂が浮かび上がった。
外観は変わらず、けれどガラスの引き戸に貼られた『よろず魔法承ります』の張り紙だけが新しく書き直されている。
その引き戸がガラリと開き、中から現れたのは、
「――いってきます!」
背中にランドセルを背負った、真帆によく似た小さな女の子だったのである。
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