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犯罪者が会場の外へ連れ出されたのを見計らって、ヴァレンティーンの手を取ったローザリンデがゆったりと席を立つ。
エリスが腕を差し出してくれたので、私は微笑を浮かべてエスコートされた。
クサーヴァーが音もなく背後に付き従う。
先に行く二人との間に適切な距離を保ちながら、比較的遅めの速度で移動した。
先回りしたのかクサーヴァーが、如何にも女性向けだなぁ、と思わせる扉を恭しく開けるので中へと足を踏み入れる。
扉は大きな溜め息とともにヴァレンティーンが閉めた。
「お疲れ様、ローザリンデ」
「……何かご不満な点はございませんでしたか?」
エリスに椅子を引かれて座ったあとで対面に座ったローザリンデが問うてくる。
白く艶やかな素材でできた円卓の隣にエリスが、ローザリンデの隣にはヴァレンティーンが座った。
「不満な点はなかったわ。主人もきっと喜んでいると思います」
「……安心しました」
ほうっと安堵の息を吐くローザリンデの額に浮かんだ汗を、ヴァレンティーンがハンカチで優しく拭っている。
私はハンカチよりもおしぼりが欲しいなぁ、と居住まいを正せば、背後からクサーヴァーがおしぼりを渡してくれた。
しかもそうだったら嬉しいんだよねー、と思っていたほかほかに温かいおしぼりだ。
「ありがとう、クサーヴァー。ちょっとはしたないけれど失礼いたしますね」
断りを入れた私はホットなおしぼりに顔を埋める。
はー、さっぱりする!
マナー違反なのはわかっているんだけどね。
信用している人しかいないからやってしまった。
向こうの世界でも個室限定でやってました。
だって本当に気持ちいいからね!
元々目の疲れを取るように主人が用意してくれた蒸しタオルに慣れてしまった流れで、こんな使い方をするようになった。
……ちゃんと空気は読んで使っていますよ、ええ。
「……クサーヴァー。我も同じ物が欲しいのだが……」
「私もお願いしてもいいかしら?」
「私も使いたい」
毛穴が開くほど蒸された気がするおしぼりを顔から外して、軽く手を拭く。
三人も同じように、おしぼりに顔を埋めているのには反射的に微笑を深くしてしまう。
クサーヴァーは使い終わったおしぼりを回収すると、続いて冷たいおしぼりを渡してくれる。
本当に何時用意したのだろう。
個人使用のマジックボックス的なものに収納してあるのだろうか。
それともそもそもこの部屋に準備されていたのだろうか。
そういえば女性向けの豪奢だが品良く整えられた部屋は何の部屋だろう。
会場から随分と歩いたし、客室とは一線を画したしつらえに見える。
「……この部屋は、普段どんな使われ方をされているの?」
気になったので聞いてみる。
「王族女性専用の休憩室となっております」
返答はクサーヴァーがしてくれた。
素敵なお部屋なのにも納得だ。
頷きながら、冷たいおしぼりをやっぱり顔にも使ってしまう。
よく蒸された顔を冷たいおしぼりで引き締める流れ。
お肌にもいいからね。
「はぁ……気持ちいい」
思わず声にしてしまった。
「全くじゃなぁ。温かいものも冷たいものも良い」
「ええ、おしぼり……でしたかしら?」
「よく知っていたな、クサーヴァー」
あ、おしぼりはないんだ。
食事時だとナプキンとフィンガーボウルで事足りてるからかな?
「時空制御師の御方様が残されました文献に記載されておりましたので、実践いたしました。問題点などはございましょうか、最愛様」
何度目だかわからないが、飽きもせずに思う。
凄いね、本物の執事。
私がローザリンデに好感を抱いているから、調べたのかな。
うーん。
最愛は基本的に敬愛対象だから、案外登場したときから手配していたのかもね。
「ありません。完璧に再現されていますね。特にこの爽やかでほんのり甘い香りは好ましいです」
向こうでのベルガモットに近しい香り。
グレープフルーツやユーカリも好きだけど、ベルガモットは高貴な感じがするので、この場には相応しいと思うのだ。
「お心に叶ってよろしゅうございました」
怜悧な表情に仄かな感情が上る。
全く感情がないよりも、こうしてわずかに見せられる喜びを目にすると、言葉を尽くして褒めたくなるが、こちらのマナーに抵触しそうなので控えておく。
何より幾ら職務態度に感動したからといっても、生粋の執事なのだとしても、美麗な男性だからね、クサーヴァーは。
頭の片隅で夫が大きく頷いた。
「会場でもアリッサ様に尽くしていましたね、クサーヴァー。相変わらずの仕事ぶりで安心します」
「有り難きお言葉、恐縮でございます。今後ともお心に沿うよう努めてまいります」
「ええ、許します」
ローザリンデの口元に気心知れた微笑が浮かぶ。
彼女も戻ってきてくれたクサーヴァーが嬉しいのだろう。
「それにしても、二人とも。全然知らなかったんですけど? 婚姻を結ぶ方向なのかしら」
私の言葉にヴァレンティーンが頬を赤く染める。
ローザリンデは穏やかな微笑。
普通逆じゃないかしら? と思うも、これはこれで眼福だと思い直す。
「未だうるさい輩はおりますが、フラウエンロープ御夫妻の許可は得ております」
「おぉ! あの御夫妻の許可を得たとは! 既に婚姻したのと同然じゃな!」
「バザルケット殿……」
ヴァレンティーンが情けない表情になった。
クール系美形のしょんぼり顔って萌えるよね、うん。
「でもまぁ、女王となるローザリンデ嬢を支えるのであれば、貴殿ぐらいの力量がないと、実際難しかろう。もどきのせいで随分荒れたからのぅ」
「……最後まで謝罪の言葉どころか、罪を認めさせることすらできませんでしたわ……」
ぐっと悔しそうに唇を噛み締めるローザリンデ。
気持ちは、わかる。
ハーゲンを切り捨てると決めた時点で、今回のパフォーマンスは完璧にしておきたかっただろう。
だが、相手が悪かった。
しかし、結果を見れば良かった。
「あの二人には言葉が通じませんでした。ハーゲンが王でいた方がいいと思っていた輩も、あれは駄目だ。寵妃に毒されて使いようがなくなった……そう思ったでしょう。思えなかった貴族は排除対象ですから、結果として悪いものではありませんよ」
「アリッサ様……」
「正直に申しまして、最後のアレは……衝撃でした」
すわ真実の愛? と思わしきあの場面。
ヴァレンティーンにとっては、どうにかして支えようと思ってきた相手だっただけに、衝撃は強かろう。
救いようがない。
完全に堕落した。
……と誰もが思った醜態だったのだ。
「くっく。雰囲気に飲まれただけであろう? 他に縋る者がなかったから、ああなっただけじゃ。地下牢での一週間、どちらに転ぶか我は楽しみじゃぞ?」
「なかなか悪趣味でございますね、エリス様」
「そう言うてくれるなローザリンデ嬢。奴らのせいで我も随分と迷惑を被ったのじゃから」
「王都内でも規模の大きい暴動が幾つも起きましたから……バザルケット殿には感謝しかありません」
「イェレミアスやユルゲンも随分頑張っておったぞ。終わってみてしみじみ思う。奴だけが何もせずに元に戻ったと……信じて疑わなかったのじゃと」
エリスの表情が厳しくなった。
魅了から解放されたはずのハーゲンに随分と思うところがあったようだ。
他の四人が必死の贖いをしていたのを、きちんと見ていたからこそ、ハーゲンだけが脱落してしまったのが悲しく、許せないのだろう。
「……ゲルトルーテ嬢が現れなければ、あるいは違った結末だったのかもしれません。しかし強制力から解放されても、ハーゲン様だけが事態を把握できていなかった……それだけならぎりぎり傀儡の王にもできましたが、周囲の忠言に耳を傾けなかったのですから、傀儡にすらできないと判断しました」
「英断です」
「英断じゃな」
「傀儡にすらできないほど……堕落してしまったのは、本人と彼女のせいよ。だから、ローザリンデ。二人への情けは無用です」
何だかんだ言ってもハーゲンへの情はあるだろう。
情とは本当に厄介なものなのだ。
さすがに両親への情も、兄弟への情も全くなくなってしまったけれど。
それでも残滓はある。
割り切ろうとしても割り切れるものではないと経験上知っているから。
「無用ですが、心に何か残ったならば。無理に排除しようとせず、時間をかけて昇華なさい」
「アリッサ様……」
私は経験者として、逃げ道を用意しておく。
ただでさえ、ローザリンデの背中には重責がのし掛かってくるのだ。
「そういえば、実際の所被害状況って把握されているの?」
「ええ。掌握しております。おおよその保証についても手配は完了済みでございます」
さすがはヴァレンティーン。
被害は広く浅く出ている。
ただ被害者によってはその浅さが致命傷になる場合もあるのだ。
手配は迅速であればあるほどいい。
「手遅れになった者もおりますが……驚くべきことに、それが喜ばれる者ばかり。神の采配があったのかと、推察している次第でございます」
あ、神様は暗躍したらしい。
実験だと聞いていたから、そこまでの干渉はしないと思っていたけど。
神様の慈悲なのかな?
「そう。神の采配があったのは良かったと思います。あとは、あの二人以外に罪を問われる者はいるのかしら?」
「微妙な所です。浮き足立っている者も多く……リンデが女王になる前に片付けておきたいのですが」
「貴方方が手の届く範囲にいてくれるのですもの。お片付けはあとでも大丈夫ですわ」
「ふむ。奴を狙っていた有象無象で高位の者は少ない。むしろローザリンデを狙う愚者の排除はしておいた方がよさそうじゃぞ?」
「そう思われますか、バザルケット殿」
「うむ。会場で妄想の中に生きていそうな輩を何人か見たからのぅ」
「……全てお教えいただきたくお願い申し上げます」
一度価値が下がったものが、もとより価値を上げたとして。
下がった価値で得られると考えてしまう者は少なくないのだろう。
私もそうだったらいいなぁくらいは思ってしまうことがある。
もともと欲しくて、価値が高いのだとよくよく理解しているから尚更。
あとはハーゲンやゲルトルーテを目くらましにして密やかに悪事を働いていた者がいるのならば、きちんと処分しておくべきだ。
処罰ではなく、処分を。
そういった輩は、失敗を苦にしない。
反省はするが、後悔はしない。
再犯率百%。
だから処分だ。
「アリッサ様?」
「ああ、ごめんなさい。もしあの二人が派手にやらかしている影で、悪事を働いていた者がいたのならば、処分が必要かなぁと思いましたの」
「……残りは神殿のみとなっております」
「神殿かぁ……ローザリンデ嬢が女王になった暁には、信頼できる者を見いだしたいところじゃのぅ」
「リンデが直接声をかければ従う者は多くおります。従った者を上手く使って、処分もすませてしまいたいところです」
ヴァレンティーンが眼鏡のテンプルをくいっと持ち上げる。
素敵な所作だ。
「やはり優先すべきは戴冠かしら……」
「ですね。神殿とも綿密な打ち合わせが必要です」
「警備は我も手伝おう。アリッサはどうする?」
「そう、ですね。戴冠までは王都にいようかと思います」
王冠をかぶったローザリンデはきっと目を見張るほどに美しいだろうからね。
戴冠式でも私がローザリンデを庇護している、と知らしめておきたいし。
「嬉しいですわ、アリッサ様」
「大変だと思うけど、頑張ってね。私に手伝えることがあれば、遠慮なく言ってくれればいいから」
「そのお言葉こそが一番嬉しいものでございましょう、リンデ?」
「そこは自分で言いたかったですわ」
ふてくされたローザリンデは愛らしかった。
ゲルトルーテとは大違いだ。
エリスも微笑ましいものを見るやわらかい表情で、ヴァレンティーンはにやけきった顔で見つめているが、仕方ないだろう。
恋い焦がれ、絶対に手に入らないと思っていた愛しい人を、その手にできる権利を得られたのだから。
王都を出る前に、是非ともヴァレンティーンとの馴れ初めなどをしっかり聞いておこうと胸の内で誓っておいた。