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その夜、星はひとつも瞬かなかった。
空は墨を流し込んだように重く、雲は低く垂れこめ、まるで世界そのものが息を潜めているかのようだった。
人々はそれを「不吉」と呼び、扉を閉ざし、灯を落とし、運命の気配から目を逸らした。
だが――
逃げられる者など、最初から存在しない。
少年が生まれたのは、鐘の鳴らない時刻だった。
古都ネイヴェルの地下、捨てられた聖堂跡。
崩れかけた石壁の隙間から、血と羊水が混じった赤黒い水が流れ落ち、地に描かれた古い紋章を濡らしていく。
「……泣かない子だ」
産婆が息を呑んだ。
生まれたばかりの赤子は、声を上げなかった。
その代わり、まぶたをゆっくりと開き――
夜よりも深い色の瞳で、闇を“見返した”。
その瞬間だった。
地下聖堂の壁に刻まれた星図が、音もなく光を放ったのは。
「……まさか……」
産婆の手が震える。
古い言い伝えが、嫌でも脳裏をよぎった。
――星が瞬かぬ夜に生まれし者
――泣かぬ赤子
――闇を見返す瞳
それは“選ばれし者”の徴ではない。
“選ばれてしまった者”の印だ。
「……運命に、名を呼ばれた子……」
産婆がそう呟いた瞬間、赤子の胸元に、細い光の線が浮かび上がった。
血のように赤く、星のように冷たい刻印。
まるで、見えない刃で刻まれたかのように――
最初から“そこにあるべきだった”痕。
少年は「ノア」と名付けられた。
名を与えたのは母だ。
だが母は、ノアが三歳になる前に死んだ。
理由は誰も語らなかった。
語ろうとする者は、皆どこか怯えた顔で口を噤んだ。
「運命に触れたからだ」
そんな囁きだけが、影のように街に残った。
ノアは、自分が“他と違う”ことを、幼い頃から知っていた。
夜になると、必ず夢を見る。
赤い星が落ちる夢。
無数の影が膝をつき、名を呼ぶ夢。
そしていつも、最後に聞こえる声。
――逃げても、辿り着く
――抗っても、選ばれる
――おまえは、こちら側の存在だ
目覚めるたび、胸が焼けるように痛んだ。
刻印が、夢に呼応するように熱を帯びる。
ノアはそれを“呪い”だと思った。
だから逃げた。
街を出た。
名を捨て、過去を捨て、星を見上げることすらやめた。
だが――
運命は、追ってくるものではない。
“待っている”ものだ。
十七歳の夜。
ノアは森の中で、人ならざるものと出会った。
月明かりの下、黒衣を纏った存在。
顔は人に似ているが、影が足元に落ちていない。
「……やっと来た」
その声は、夢の中の“呼ぶ声”と同じだった。
ノアは後ずさる。
「俺は……誰も探してない」
影の存在は、微笑んだ。
「嘘だ。おまえはずっと探していた。
“なぜ自分が生きているのか”を」
刻印が、灼熱のように脈打つ。
ノアは歯を食いしばった。
「運命なんて、信じない」
その言葉を聞いた瞬間、影の存在は――まるで祝福するかのように目を細めた。
「それでいい」
「……なに?」
「拒絶は、最初の選択だ。運命に選ばれた者は、必ずそれを拒む」
影は一歩、距離を詰める。
「ノア。星はすでにおまえの名を知っている」
ノアは走った。
森を、闇を、夜を切り裂くように。
だが、背後から追ってくる足音はない。
代わりに――
胸の奥から、確かな“引力”が生まれていた。
逃げるほど、近づいている感覚。
抗うほど、深く結びついていく予感。
それが“運命”だと、ノアはまだ認めたくなかった。
その夜、星はひとつも瞬かなかった。
だが――
空の奥深くで、確かに何かが目を覚ました。
運命は、すでに名を呼んでいる。
選択は、もう始まっていた。