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ぬるい。
ぬるいお湯だ。
温かみも冷たさも感じない湯に全身を浸しながら、私は思った。
水の温度は、まるで、長い年月を生き続けた結果麻痺した感情のようだった。
何も、あの鮮明な赤に何も感じなかったわけではない。
動揺したのは確かだ。
その動揺が、悲しみか、それとも別の感情なのかはもう、ぬるい湯の放つ微かな湯気に曇って見えなくなってしまったけれど。
湯を弄ぶように水の音を立てながら、隈の酷くなった目で水面に映る日の丸を見る。
日の丸と共に映った自分の目は、死んだ魚のような目だった。
水中に揺れる自分の体を角膜に漂わせる。
白い肌。不思議なほど滑らかで、あの国にも褒められた。
赤い印でいっぱいにして、マーキングしたくなるような肌だ、と。
その国は、きっと体も心も赤く染めて今もバスルームの外で待っているのだろう。
恋の色に。情熱の色に。愛の色に。
その姿を想像して、体が熱を帯びる。
頬が赤く染まり、空気が肺を出入りする速さが早くなり、脳がぼんやりとする。
これが、興奮というモノなのだろう。
ふふ、と息を吐くように笑う。
最後の最後にこんな気分になるなんて。
その事実にも脳は高揚して、心臓は昂るばかりだった。
ちゃぷ、ばしゃ、という音を脚に張り付いた水に奏でさせながら湯船から上がる。
いまだに、西洋式の足を上げては下ろさねばならない湯船には慣れない。
間違いなく、日本式の地面に掘る湯船の方が良い。
日本張本人である自分が、「日本式」だなんて言葉を使うのは不自然かもしれないが。
どうでも良いことにぼんやりと意識を向けながらバスルームを後にした。
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ぐ、ぅ…
視界が陽炎のように揺れる。
床を濡らす血の色に青ざめながら、今しがた自分の腹から抜いた凶器を握りしめる。
腹が燃えている。内臓の細胞の一つ一つに口が生え、歯をガチガチと鳴らしながら、喉を潰しながら悲鳴をあげているようだ。
何も考えれない。何も考えたくない。欲という名の、死に際に追いやられた今もなお心に爪を立てるモノがなければ気絶してそのまま死んでしまいたかった。
傷口を傷口と認識する余裕もないほど痛みに悶えながら、その「欲」のままに四肢を動かした。
血液が体から全て抜けてしまう前に。
「ううう゛う゛ぅ゛」
痛みに耐えきれず、雑巾を絞ったような声が喉から漏れ出した。
殺さねば。
自分だけが、あの日章旗の欲望を満たすために死ぬなど到底許せるわけがない。
殺せ。殺せ。
私と日本の間に生まれてしまった、愛を煮詰めた感情を動作の燃料に注ぐ。
私を刺したあの時、あいつはこの世で一番幸せな人間のような顔をしていた。
愛しています、愛していますよ、中国さん。
あなたも愛しているでしょう?
だから、だから、
永遠の愛の証に、私のために、私に殺されて下さい。
そんな言葉を熱に浮かされたように、私に囁きながら。
日本の黒い瞳は爛々と狂気を帯び、頬を赤く染めて、私を刺した。
私だって、あいつを愛している。
あいつのいう通り、相思相愛なのだから、相思相愛であれば、
あいつも私に刺されて死ぬべきだ。
黒い感情を動機にする。
絨毯がどす黒く染まっていく。
中国は、ずるずると部屋に血の跡を残しながら、包丁を握りしめてバスルームへと向かった。
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鼻歌を脱衣所に響かせる。
愛人の血を洗い流すのは心が痛かった。
できれば、血と一体化して日常を生きたい。
その願いをなるべく実現に近づけるため、殺した直後中国さんの傷口から直で口をつけて甘い甘い血を啜って来た。
あの紅い紅い、恋と愛の味を思い出して、思わず舌なめずりをする。
死体を齧ってみるのも一興かもしれない。
体内に残っている血はまだ酸化していない筈だ。
きっときっと甘くて熱くて、この世の何よりも美味なのだろう。
期待にほうっ、とため息をついてタオルを手に持った時であった。
ドンっという巨大な音と共にガチャりと開く脱衣所の扉。
倒れ込むようにして侵入して来たのは、殺した筈の中国だった。
「は?」
目が意図せずに見開き、体が硬直する。
脳がそんな筈はない、と叫び、末梢神経と運動神経を伝って爪の先までその響きが轟いた。
冷や汗が滲む。肺胞が活発に動く。
自身の血に濡れた中国は、濁った目でこちらを見つめた。
「お前も一緒ですよ?日本」
歪んだ三日月に口を曲げ、こちらに倒れ込むようにして突進する。
「中ごく、さ」
ずぶり。
何かが自分の体に沈み込む音がした。性行為とは違う、鋭利で薄い刃物が体の細胞を喰い裂き、内臓へ内臓へと深く沈み込んでくる。
「あ゛…」
腹が裂けた。
刺されたところから、下へ下へと包丁が動いていく。
どぽどぽと白い自身の肌から血が漏れ出ていくのを見た。
衝撃と痛み、そして中国の体重に耐えきれず後ろへ倒れ込む。
想像していたより施錠の力が弱かったらしいバスルームの扉はあっけなく開き、2国揃って風呂場の白いタイルへ倒れ込んだ。
覆い被さった中国が日本の目を見つめる。
「な、んで…?」
口から血を吐きながら、日本は訪ねた。
中国は答える素振りも見せず、荒く息をつく。
彼も一杯一杯なのだ。
ぬるぬるとした二人の赤い血が、タイルへ流れて排水溝へ流れていく。
中国が自分の傷と日本の傷を擦り付けるように動くせいで、お互いの血が体内へ流れ込む。
ぬちゅ、ぐちゅ、といやな音が響く。
その間も、日本は痛みに喘ぎ続けた。
「あぁ゛…ぅぅっ゛」
涙が静かに黒い瞳から流れ落ち、中国に抵抗の念を送った。
何故。何故?
殺した筈。血だって吸ったのに。
どうして?
にちゅ、ぬ゛ちゅ、
休憩するように傷を擦り付けるのをやめた中国は、狂気の目を見開いて口を開いた。
「相思相愛、でしょう?」
その言葉と共に顔を日本に近づける。
口に柔らかいものが当たる。
ぬるりとした肉塊が入り込む。
最後を味わうように、愛しむように、惜しむようにして口内を弄る。
唾液が泡立ち、かき混ぜられていやらしい音を立てた。
歯肉をなぞり、喉の奥へ進め、唾液を吸うように舌を掻き回す。
何も考えられないのは、失血か、痛みか、黒い愛情のせいか。
全てを受け入れた日本も、中国の舌に自分の舌を絡める。
唾液が溢れ、口がべたつこうが関係ない。
血が交わり、鮮明な赤を生み出す。
お互いがつながっている部位だけが酷く熱い。
どろどろと感情と体とが溶け合う。
身体の先から、ぬるま湯に浸かっていくような感覚に浸るのを、愉しむだけだった。
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