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⒐
「よかったら、一緒に行かない?」
その言葉が、まるで時間を止めたようだった。
外から聞こえる蝉の声だけが、変わらず耳に届いてくる。
「……花火大会?」
思わず、聞き返していた。
内容はちゃんと理解していた。でも、なんて返せばいいか考えてるうちに、口が勝手に動いていた。
「うん」
トワは小さく頷く。でも視線は、どこか遠く──黒板の方を見ている。
肩が少し強ばっていて、普段のトワらしくない静けさがあった。
──こんな表情、初めて見るかもしれない。
「誘われるの、初めてかも」
ふっと、僕の口から出た言葉。
嘘じゃない。家族と行ったことはある。でも、こうして“誰か”と約束して行くのは初めてだった。
「えっ、ほんと?」
トワの視線がこちらに戻ってきて、驚いたように目を丸くした。
「うん、友達とかと行く機会なかったし。なんか、ちゃんと予定立てて行くのって新鮮」
「……そっか、じゃあさ」
トワがちょっとだけ笑って、そっと言う。
「初めては、トワと、ってことで」
その言葉に、どう反応すればよかったのか──わからなくて。
でも、悪い気はしなかった。むしろ、なんだか胸の奥が少しだけ熱くなった。
「うん、楽しみにしてる」
僕がそう言うと、トワはふっと嬉しそうに笑って、小さくガッツポーズをした。
見慣れたしぐさのはずなのに、今日はなんだか少しだけ特別に見えた。
──夏休み、楽しみだな。
10.
夕方の寮は、少し静かだった。
窓の外では、茜色に染まった空の下、蝉が最後の力で鳴いている。
部屋のベッドに寝転がって、天井をぼんやり見上げる。
廊下の向こうから、誰かの笑い声と足音が聞こえる。扇風機が静かに回っていて、部屋の中は夏特有のだるさに満ちていた。
──来週から、夏休み。
毎年なんとなく流れていく時間のひとつ。
でも、今年は……少し違う気がしていた。
トワと花火大会に行くことになった。
ただそれだけのことなのに、頭の中で何度もその光景を想像してしまう。
浴衣とか、着てくるのかな。
人混みの中で迷子になったらどうしよう、とか──
「……なんか、変だな」
小さくつぶやいて、枕を抱きしめる。
友達なのに。親友なのに。
なんで、こんなにドキドキするんだろう。
スマホの通知を見ると、トワからメッセージが来ていた。
> 「浴衣、着ていっても変じゃないかな?」
ほんの短い一文に、思わず胸が跳ねる。
> 「ぜんっぜん!楽しみにしてる」
そう返信してから、スマホを顔の横に置いて、もう一度天井を見る。
──やっぱり、今年の夏は少し違う。
それだけは、もう確かだった。
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