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僕とももちゃんは、さっきからウロウロと、リビングを歩き回っては、時々立ち止まり、毛繕いをしたりして時間をつぶしている。
れれが帰ってきて、お花の水やりに庭に出ていく。
今はただ、その時を待つしかない。もう失敗は許されない。
「外に出た時に備えて、今のうちにご飯食べて体力付けておこうか」
「そうね。ちいさん探すのに、何日かかるか分からないものね」
食欲のない僕たちだったが、無理にでもカリカリご飯を口に入れることにした。
庭の花たちに降り注ぐ陽の光が、リビングのソファの辺まで斜めに差し込んでいる。お腹いっぱいになった僕たちは、お決まりのコースのように、眠くなってきた。
そうか、昨日は徹夜で脱走の練習をしてたんだ。
「外に出た時に備えて、今のうちに体を休めておいた方が良いかもね」
僕たちは、窓から差し込む柔らかな日差しを背中に浴びながら、ゆっくりとソファの上に体を横たえた。うつらうつらしていると、暗闇が覆いかぶさってきた。
はるか向こうに、何かが動いている。
ーちいだ! 暗闇の中、短い尻尾をピンと立て、わき目もふらず走って行くのは……ちいだ!
ちょっと待ってよ、ちい! 僕の話を聞いて!
息を切らして追いかける僕。
突然 ちいの前に、トンネルが現れた。
ーちい! そこに入ったら、もう戻って来られないんだよ!
僕の声に 気付いて一瞬振り返るちい。
ー僕は、ボスに付いて行くからね! ちいの目に怒りの涙が光っている。
―ちい、ダメだって! ちい帰ってきてよ!
ここで、目が覚めた。
僕は、のろのろと水の入ったお皿の場所まで行き、ペチャペチャと音をたてて水を飲んだ。
嫌な気分が少し消えていった。ももちゃんも、気持ちが高ぶっているようで、
「やっぱり眠れないわ」と、起き上がってきた。
ーれれ、早く帰って来てよ。
僕たちは、リビングの庭に面した大きな窓の前に並んで座り、何をするともなく、ただ時が過ぎるのを
待っていた。
ふと、ももちゃんが小さな声で歌っているのに気が付いた。
それはあまりに小さな声だったので、初めは風の音かと思った。
ももちゃんが消え入りそうな声で歌っている。
その歌は、ノラ猫集会で、ボスの挨拶の後に皆で声を合わせ歌った、あの懐かしい歌だった。
外でノラ猫として生きていく日々は、もちろん楽しいこともあったけれど、悲しいこと、心配なこと、不安なことでいっぱいだった。
だから、ノラ猫集会では、最初に皆で声を合わせてこの歌を歌った。
歌うことで、心が落ち着いてきたものだった。
僕は、ももちゃんの声に重ねて歌い始めた。
窓の向こうで庭の花たちが、僕たちの歌を聴いていた。
時計の針が何周かした後、玄関の向こうにれれの足音が聞こえ、同時に僕たちの耳が、くるっと玄関の方を向いた。
―やっと帰ってきた。よし! これからだ。
あれ? ドアの向こうで足音が止まったぞ。どうやら玄関の鍵を探しているようだ。
れれは、しょっちゅうカギがないないって、ドアの前でバッグの中を引っかき回して鍵を探すから、僕は常々何とかすればよいのにと思ってたんだ。
うんざりした顔をももちゃんに向けた途端、カチャっとドアの開く音がして、待ちに待ったれれの帰宅だ。
ーさあ、本当にこれからだ。
心を落ち着かせようと、僕たちがお腹の辺りを舐めている間に、れれは自分の部屋でさっさと普段着に着替え、スリッパの音をパ タパタとさせながら、リビングに入ってきた。
いつもなら、コーヒーを飲んだり、メールのチェックをしたりするはずだが、今日はいきなり庭に出ようとしている。
「水やりしなくっちゃ」
れれが、僕たちの横を通り過ぎ、庭に面したガラス窓の前に立った。
カチッと鍵の開く音がして、れれがガラス窓を横に開いた。
あっと思ったその瞬間、隣にいたももちゃんが消えていた。
ももちゃんは、本当に風のようにれれの足元すり抜けて、庭に出ていた。
れれは、何も気付いていない。
れれは今、窓を開けたままで、スリッパから庭用シューズに履き替えている。
ーさあ、僕の番だ。
だが、慌てた僕は、出遅れてしまった。
非常にも、目の前のガラス窓が閉まりかけ、タイミングがずれた僕は、窓が閉まったと同時に、ガラスに思い切り顔をぶつけてしまった。
れれが、ちょっと後ろを振り返りそうになったが、何も気付かなかったようだ。
僕は、自分のカッコ悪さを呪った。
そして、見っともなさを心から恥じた。
ももちゃんは、れれに見つからないよう、ムクゲの木の陰に移動している。
混乱する頭で、僕は考えた。
今度れれが窓ガラスをあけるのは、水やりが終わって部屋に入って来る時だ。
だけど、その時僕は、れれと向かい合った位置にいるから、見つからずに出ていくのは、さっきの数倍難しい。
まずいなあ。どうしよう。窓の外から、ももちゃんがメッセージを送ってきた。
「私がひとりで捜しに行くわ」
僕は、いきなり頭から氷水をかけられたような気がした。
「ダメだよ! ももちゃん、それは絶対にダメ!」
僕の悲痛な叫びも空しく、
「時間がないのよ。早くちいさん見つけなくっちゃ、ちいさん、本当にいなくなっちゃう! ひとりで行ってくるわ!」
ももちゃんはムクゲの木の根元から、庭のブロック塀の上に狙いを定め、ピョンと地面を蹴った。
同時に、玄関でピンポンが鳴った。
その音に、ももちゃんが塀の上で立ち止まった。
「誰か来た!」
れれは、気付かない。れれは人間だから、僕たちほど耳が良くないんだ。
もう一度ピンポンが鳴った。今度は、ピンポン、ピンポーンと、二度なった。
僕は、庭に向かって
**「れれ、お客さんだ !」**と、大声で叫んだ。
れれが、水やりのジョロを持ったまま、え?という顔でこっちを見た。
それからハッとしたように慌ててジョロを下に置き、急いで窓を開けて、リビングに入ってきた。
僕は、一瞬身構えたが、れれはサッサと窓を閉めてしまった。
「まるちゃん、ちょっとごめん!」僕の横を通り過ぎ、れれはタとスリッパも履かずに玄関に急いだ。