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水姫は一人、陽葵からの告白の答えを考え続けていた。 あの人見知りの陽葵が告白なんて、どれだけ勇気のいることだっただろう。と思いつつ、自分がしたことも告白といえば告白だったのだが。
陽葵は『好き』という答えを出してくれた。だから自分もよく分からないままにはしたくない。陽葵の為にも自分の為にも、水姫は考えることをやめなかった。
おかげで寂しさはあまり感じなくなっていた。むしろ今は何を話せばいいか分からない。
それにいくら気まずかろうが、友達であることに変わりはない。廊下でぶつかれば陽葵が水姫より早い速度で謝ってくるし、ハンカチを落とせば「青井さん、落としたよ」と呼び止め、ハンカチを渡してくれる。
互いに学校生活を頑張る不器用な仲間。そう思えば十分心の繋がりを感じられた。我ながら極端すぎて笑ってしまうが、人とはそんなものなのかもしれない。
陽葵は今もお揃いのラバーストラップをリュックに付け続けている。陽葵の好きなところといえば、そういうところだ。諦めたふりをしながら、まだ結構期待していそうなところ。
陽葵の中に存在する矛盾が、水姫は無性に好きなのだ。それを見る度、自分の中の矛盾も少し受け入れられる。
陽葵が登校してくる時、授業の用意をしている時、部活に行く時、リュックでお揃いが揺れているのを見る度、少し気持ちが落ち着く。
好きだからといって、焦って恋愛に結論付けなくてもいいんだ──そんな具合に自分のことも優先できる。
水姫はぱたんとヤギの小説を閉じ、宙を見つめた。今も陽葵の声はしているが、話の内容は気にならない。
やっぱり自分は、結構一人が平気なのかもしれない。今までも一人でやってきたし、これからもやっていけないはずはない。頑固に貫き通すのは変だが、無理矢理変わる必要もないと思うのだ。どんなに状況が変わっても、たとえ陽葵がいなくなったとしても。
陽葵のおかげもあって、欠けていた分の自信もみるみる湧いてきていた。
まずは、言いそびれていた感謝を伝えよう。好きになってくれてありがとう、と。
期待に応えられなくても、そこまで申し訳なく思う必要はない。正直になれる度、自分のことを好きになれると分かったから。
陽葵は今、どうしているだろうか。
そこでようやく視線をやって──水姫は一人で物思いにふけっていたことを少しだけ後悔した。
陽葵が、友達もどきに詰められているではないか。もう関係は絶ち切ったはずなのに、なぜ。
「ちょ、アイスクマって何w子供向けのやつじゃない?ウケるんだけどw」
どうやらアイスクマ好きなことがバレたようだ。バレたといっても、こういう奴のせいで隠さざるを得なかっただけなのだが。
陽葵は無視を貫き、教科書の準備に専念している。
できるようになったじゃん、無視。
著しい成長を感じ、水姫は心の中で拍手を送る。そう、嫉妬に邪魔されていた喜びの感情も、ようやく素直に抱けるようになったのだ。この親みたいな目線は若干気持ち悪いからやめた方がいいかもしれないが。
いいぞ、アイスクマの為にもアイスクマへの愛を貫け。外野に混じって見守っていると、友達もどきがわざと皆に見えるようにスマホを揚げた。画面には表示されているのはなんと、陽葵のアイスクマのイラストだった。
「陽葵、二次創作までやってるらしいよ〜w」
まさか垢バレまで。それはまずい、連鎖的に自分の垢もバレかねない。こんな時に水姫は自分の心配をしかけたが──目を凝らしてよく見ると、アカウントが違った。あのLIMEと同じ無難な青空のアイコンは確か、友達もどきと形だけ繋がっているリア垢だ。まだ消していなかったのか。
「急にこれがタイムラインに流れてくるから何事かと思ったよ。すぐ消したみたいだけど、ごめん思わずスクショ取っちゃったw」
つまりアカウントを間違えて誤爆したらしい。水姫は額に手をやった。友達なら言っておくべきだった。アカウントの多用は誤爆しやすいからやめておけと。
「……」
それでも尚、陽葵は黙っている。無視している以上、水姫は何も口を出せない。どちらにせよ助けに行ける保証はないが──でも今の自分なら、一言くらいは言い返してやれる自信があった。アイスクマのことになると熱が入るからである。
実際、水姫は怒りで指先に力がこもり、ヤギの小説がへし折れる寸前だ。
陽葵も黙っているものの、猛烈に怒っていることは確実だった。今度こそ自分が悪いなど1ミリも思っていないだろうから、言い返すくらいはしていいと思うのだが。
「えっ無視?酷くない?」
「陽葵ちゃ〜ん、返事くらいしてあげたら?」
このままだとまた陽葵が悪者にされる。それでも耐えられるのか。それでいいのか。念を送るようにじっと見つめて──ハッとした。陽葵が、涙目になっている。
その瞬間、水姫は勢いよく席を立っていた。皆が一斉に水姫を振り向く。
ヤバい、何言おうとしたんだっけ。怒りで熱くなっていたはずの身体が一気に冷える。
ふと、立った勢いで机から落ちた筆箱が視界に入り、水姫はしゃがんだ。それを捨おうとして立ったのだという体で。要するに、逃げた。
水姫も涙が滲んだ。少心者にも程がある。さっきまでの自信は幻だったのか。立て、頼むから、立て──
「え、これアイスクマじゃない?」
誰かがそう言った。驚いて顔を上げると、水姫より先に筆箱を拾った生徒が、ジップ部分に付いているアイスクマのラバーストラップに気付いていた。すかさずもう一人が指摘する。
「それ陽葵のリュックに付いてるやつと同じじゃね」
「えっお揃い?」
やらかした。水姫は脱力して椅子にへたり込んだ。
反対に、陽葵がようやく口を開いた。
「そうだけど、だから何」
今まで聞いたことのない冷たい声だった。その反抗が癪に触ったらしく、いじりが加速する。
「組み合わせ意外すぎー!」
「てか青井さん人と話せるんだw」
「アイスクマ?のことだと饒舌になるんかなw」
標的が水姫の方に移ってきている。陽葵から逸れさえすればいい、と耐えようとしていると。
「青井さんは関係ない」
陽葵が勢いをつけて席を立った。その勢いで運悪く、陽葵の筆箱も机から落ちた。下に何か、手紙が敷いてある。
「ん?何これ」
人に拾い上げられて、陽葵は「あっ」と焦った表情で手を伸ばした。絶対見られちゃまずいやつだ。嫌な予感しかしない。
無慈悲にも、それは易々と開けられた。
「うわっこれ、青井さんへのラブレターじゃん!」
水姫は両手で顔を覆った。なんでそんな大事なものをそんなところに。というか全然諦めてないじゃん。恥ずかしさと絶望で死にそうだ。
教室中は一斉にざわめく。こうなったらもう手が付けられない。
陽葵は数秒間気を失ったように固まっていたが、「何、付き合ってんの!?」という質問に、はっと目を見開いた。
「違う、付き合ってない。私が一方的に好意を寄せてるだけで、青井さんの気持ちはまだ分からない」
水姫は顔を覆ったまま机に突っ伏した。『正直になっていける度嬉しい』とは確かに言ったが、ここまでは嬉しくないというか、最悪だ。真面目な性格がことごとく裏目に出ている。認めようが認めまいが、もう状況は変わらないというのに。
「なんでよりによって青井さん?」
「全然分かんねー」
「まぁいいんじゃない?変人同士お似合いでw」
言い草が酷すぎて、怒りを通り越して呆れ返り、水姫は諦めてイヤホンで耳を塞ごうかと思い始めていたのだが。
「黙って……黙って!!」
陽葵はとうとうブチ切れて、目の前の生徒の胸ぐらを掴んだ。そうだ、陽葵にとっては陰キャが一番の地雷ワードだった。
「そういうことしてるあんたらの方がよっぽど陰気だよ!!どうせあんたらはアイスクマの良さも青井さんの良さも一生分からないんだろうね!!お似合いだよその鈍りきった感覚!!」
熱い叫びが響き渡り──その反動で、教室は水を打ったように静まり返る。途端、陽葵は我に返ったように手を離した。
「あ、いや、ごめ……」
今にも気絶しそうなほど青ざめている。謝り合えれば一番良かったのだが、相手は謝る気もなく陽葵を睨んでいる。
なら謝る必要はない。そう強く思い、水姫は今度こそ立ち上がった。足を奮い立たせ、なんとか陽葵の元まで辿り着くと、平然を装って声をかけた。
「お、大野さん、日直の日誌のことなんだけど、ちょっといい?」
水姫にはこれが精一杯だった。
「え、あ……」
陽葵は放心状態で立ち尽くしたままだ。
「いいかな、急いでるから」
わざと急かすように言い、陽葵の手を、正確には裾を引っ張りながら教室を出た。
廊下に出ると、陽葵は呆然としつつも自分の足で歩き出したので、水姫は隣に付き添った。
無言のまま、二人の足は自然といつもの準備室に向かっていた。
鍵を閉めて完全に二人きりになった瞬間、一気に気が楽になった。最近気まずかったのが嘘かのような安心感に包まれる。
「あぁ……」
陽葵も安堵の声をもらし、倒れるように壁にもたれかかった。危うく頭を打ちそうで、水姫は手を伸ばしかける。
「だ、大丈夫?って、全然大丈夫じゃないと思うけど……」
「私は大丈夫だけど、青井さんは大丈夫?」
「私も大丈夫だよ。大野さんが代わりに怒ってくれたから」
怒ってくれたおかげで本当に今、あんなに最悪だった状況も、これから何とかなるような気がしている。友達のパワーは凄い。
だが、陽葵は後悔するように顔を覆っている。
「ほんとヤバい奴だよね私。青井さんもちょっとは引いたでしょ」
「全然。むしろ興奮した」
「こ、興奮?」
「大野さんは本当にすごいよ。あんなにはっきり自分の気持ちを言えるなんて。私はあの場ですら他人みたいに振る舞った少心者だから」
「いや、私は青井さんこそすごいと思う。感情任せにならないで冷静に対処して……これが長年一人で培ってきた適応力なんだなって」
「それ褒めてる……?」
わざとツッこむと、陽葵もわざと首を傾げる。
「……多分」
「多分じゃ駄目では!?」
「いやいや、ほんとに尊敬してるよ。ぼっちの先輩として」
「友達が多い人が後輩面しないで!?」
大袈裟に言い合ってから、一緒に吹き出す。
「あはは、何これ」
「ふふ、意味不明だけど、笑ってくれて良かった」
「こちらこそ、青井さんがいてくれて本当に助かったよ」
「え、えへへ……」
水姫が何を返したらいいか分からず愛想笑いを浮かべたせいで、変な間が空く。
陽葵は慌てたように壁から背中を離した。
「あ、私が好意を抱いてるとか……気にしなくていいから。いや、あそこまで言われたら嫌でも気にするか……でもほんとに気にしなくていいから。いや、でもな……」
陽葵の顔が曇る。
「きっとあいつら、青井さんまで揶揄い始めると思う。無視してもしつこく。流石の青井さんでも耐えられないかもしれない」
流石って何だろう。自分は一体どんな風に思われているのだろう。気になるが、聞ける雰囲気じゃない。
「結局青井さんも巻き込むことになって、私、もうどうすればいいか……」
また陽葵が涙目になっていく。
「こんなことなら最初からキャラなんて偽らなきゃよかった。黙って一人でいじめられときゃよかった……」
とうとう涙と共に崩れ落ちてしまった。
でもそれは、100%の本音ではないはずだった。
「そんなことないって、大野さんが一番分かってるはずだよ」
水姫は優しく、されど力強く声をかけながら、うずくまる陽葵の隣にそっとしゃがんだ。いつも対面か、どちらかが後ろにいたから、隣り合うだけでかなり新鮮で、少し心拍が上がる。
「偽るって言うけどさ、私はどの瞬間も大野さんだと思うよ。私も、家、学校、大野さんの前、全部ちょっとずつ違うけど、全部自分に違いないし。嘘をついちゃった瞬間も含めて、一瞬一瞬を精一杯生きてたって思えば、それでいいんじゃないかな」
すごく親みたいなことを言ってしまった。堂々と言っておきながら、恐る恐る陽葵の表情を窺うと。
「うっ、うぅ……」
陽葵はますます号泣していた。
「えぇ!?ご、ごめん何かまずいこと言っちゃった!?」
「いや、嬉し涙……」
「嬉し涙ってそんな量出るんだ!?」
「分からない、私も人前でこんな泣くの初めてで……」
感情を素直に出せるようになったのは良いことなのだろうが、人に泣いているところを見られるのは、自分だったらかなり恥ずかしいかもしれない。水姫は慌てて話題を変える。
「そ、そうだ!昨日見そびれた絵、早く見たいな!ファンの私があんな奴らに先を越されたなんて悔しすぎるし!」
「あぁ、今上げる……」
陽葵は涙もそのままに、ポケットからスマホを出してTmitterを操作し始めた。
「ついでにリア垢も消しておいたら?」
つい水姫が口を挟むと、陽葵は「あー」と首を傾ける。何を迷う必要があるのかと思ったが、案外思い入れがあるらしい。
「これはしばらく取っておこうかな。今すぐ消したらまた何か言ってくるだろうし、鬼ごっこ攻略についての呟きとか自分で見返すかもしれないし」
鬼ごっこガチ勢すぎる。それをいいねしていた友達もどき達も、それはそれで何なのか。失礼なことを思いつつ、一つ気になることが浮上する。
「そういえば他の人たちはどんな投稿してたの?やっぱりリア充アピールとか?」
「いや、普通に愚痴も言ってたよ。学校嫌だとか、一生寝てたいとか。普段うるさいくらい元気なのに、雨の日になると急に消えたいって連投し出す人もいたな」
「へえ、やっぱりその人たちも裏表あるんじゃん……」
それなのにアイスクマや太陽の個性を馬鹿にするって、自分たちも馬鹿にしていいと言っているようなものではないのか。
「もしかしたらその人たちも、大野さんみたいに頑張って取り繕ってるだけなのかもね。大野さんのことも本当は好きで気になってしょうがないのかも。突っかかり方が異常すぎるけども」
「そうなんだろうね。気に入らないことは無視するか自分一人の鍵垢に吐き出せば済む話だし……最近思うんだ。実は私よりあいつらの方が、気にしがちで自信ないのかもって」
陽葵は柔らかく目を細める。
「あいつらのこと嫌いだけど、分からなくはない。実際一時期混ざれてたし。だから私、唯一確信してることがある。あいつらの中にも絶対、アイスクマにハマる奴がいるはずだって」
「有り得るね笑」
「もし正直に出てきたら、もう一回友達になってやってもいいんだけどな笑」
意地悪く微笑んだつもりだろうが、陽葵の微笑みはどう見ても爽やかだった。流石、人気者は器が大きい。陽葵にはつくづく感心させられることばかりだ。
直後、Tmitterに今上げられた絵を見て、水姫はますます感激した。
「えっこれ漫画だったの!?すごい!!漫画初挑戦だよね!?」
なんと一気に4ページも。コマ割りや台詞回しは勿論のこと、画力もかなり上達している。イラスト部で相当練習したのだろう。
陽葵は照れたように笑う。
「今までで一番頑張った。青井さんをびっくりさせたくて」
「わ、私の為に?」
「うん、青井さんのこと考えながら描いてた」
「えっ、えぇ……それは身に余る光栄というか何というか……」
水姫は漫画に見入ったふりをしつつ、熱い顔をスマホで隠した。気にしないでとか言うくせに、これは許されるのか。ファンとしては、アイスクマの絵を描く時はアイスクマのことだけを考えていてほしいのだが。
よくよく読むと、内容も自分のことを表しているように思えてきた。
──日光で溶けるのを恐れ、地下の冷凍室に一人閉じ込もっていたアイスクマは、ある日地下に炭鉱に来た人間と出会い、友達になる。だが別々の場所で暮らしている為、なかなか会えない日々が続く。アイスクマが勇気を出して『地上でも会いたい』と告げると、人間は透明で持ち運び可能の、アイスクマにぴったりのサイズの冷凍庫を開発し、一人と一匹はいつでも一緒に過ごせるようになったとさ──
うん、完全に自分と陽葵の関係を表している。生モノの夢妄想の部類に入るから注意書きをしておいた方がいいかもしれない。どんな注意書きだよ。
なんて一瞬だけ思い上がってみたりしつつも──二次創作的にはレベルが高く、水姫にとっては原作超えといっても過言ではなかった。ずっとこんな展開が見たかった。陽葵はまたしても水姫の夢を叶えてくれたのだ。
水姫は尊い感情を噛み締め、しみじみと頷いた。
「うん……今までで一番好きだなあ」
すぐ喜んだ反応が返ってくると思ったのだが、少し間が空く。代わりに陽葵の熱い視線を感じ、前を向いたまま動けなくなる。
「……私のことは?」
突如顔を覗き込まれ、水姫はごくりと唾を飲んだ。これは反則以外の何物でもない。さっき人にラブレターを読まれたことを気にも留めないくらい、すごい攻めてくるじゃん。恋に夢中だとそうなるのだろうか。
熱に飲み込まれないように、水姫は深く息を吸って気持ちを整え、はっきりと答えた。
「大野さんのことは、人として好きだよ。でもやっぱり、恋愛の意味ではないと思う。好きになってくれてありがとう。その好意は一生忘れないよ」
一方、陽葵は気持ちの余裕がないようだ。せっかく感謝を伝えたのに、それには答えず、まだ目を離そうとしない。
「それは……私が陰キャだから?」
水姫は思わず吹き出しそうになった。
「そんなわけないって。もしかすると、陰キャって言葉に一番囚われてるのは大野さんなんじゃないかな」
「……その通りだよ」
ようやく陽葵は観念したように苦笑し、前を向いた。そしてしみじみと呟いた。
「私、青井さんのそういうところが好きだなぁ」
「ど、どこ?」
「意外と思ったことをはっきり言うところ」
「えっそこ?」
意外だ。人から見た自分は意外な姿をしている。だから人を通して新たな自分を知ったり、思わぬ人に本性を見抜かれたりするのだろう。
「青井さんは私のどこが好き?」
攻めモードはまだ続いているようだった。
「ひ、人としてね?」
水姫の補足に、陽葵は「分かってる」と頷いてみせる。本当に分かっているのか。
「えっと、だから……人にも好きなものに対しても真面目なところとか、不器用なりに頑張って、頑張りすぎちゃうところとか、あと……そうやって意外と諦めが悪いところとか、かな」
矛盾しているところが特に好き、とは言えなかった。一番好きなところほど、心に秘めておきたいこともあるのだ。
それにしても、結局恋愛の意味で告白をさせられているようで解せないのだが。
「それ、遠回しに諦めるなって言ってる?」
陽葵に再び覗き込まれて、水姫は更に顔を赤くする羽目になった。
「言ってない言ってない!!それは流石に都合良い解釈すぎるよ!?」
「……嘘だよ」
二度と嘘をつかないでほしい、と言おうとして──まだ陽葵の目が潤んでいることに気付く。
嬉しさと悲しさが混じったような、何とも言えない表情。これを見られるのは今この瞬間だけな気がして、つい水姫も吸い込まれるように、目に焼き付けようとしてしまう。
「……青井さん」
ゆっくりと、陽葵が縋るように両手を前に出す。何だろうこれは。
切なくて、儚くて、愛らしい。
どうしようもない感情に駆られ、水姫はその腕の中に入り、陽葵をそっと抱き締めた。
すると「えっえっ」と動揺した声。
「え?」
今のはそういう意味ではなかったのか。困惑しながら確認すると、陽葵は耳まで真っ赤になっていた。
「わ、私、ハンカチ貸してもらいたかっただけなんだけど……」
なら名前じゃなくハンカチと言ってほしかった。
「うわあごめん!えっ、だとしてもなんで私のハンカチ?」
「だって青井さん、いつもハンカチ持ち歩いてるから……」
「いやでも手拭いたハンカチだよ?」
「私は全然気にしないから……」
こっちが気にするわ。それこそ下心満々だろ。
「ティ、ティッシュでいいよね?ティッシュの方が鼻水も拭けるよ?」
とにかく急いで離れようとすると──ぐっと腰を抱き寄せられた。
「青井さん、やっぱり私のこと好きだよね……?」
だからなぜそうなる。
「いやほんとに違うから!!ただの勘違いだから!!勘違いで抱き締めたのもおかしいけど、ぼっちだからそういうの分からなくて!!ごめん詐してえ!!」
錯乱状態には錯乱状態で対抗だ。そう思いパニックで叫ぶが、陽葵は一向に離さない。むしろどんどん力が強まっていく。もはや人としても嫌いになりかけていると、耳元でぼそぼそと囁かれた。
「ごめん、今だけ許して……人にこんな風に触れられることはもう二度とないかもしれないから……」
悲観的すぎるって。
敵わないほどのネガティブを見せつけられ、不思議と落ち着きを取り戻した水姫は、面白いくらい汗だらけの陽葵の背中をぽんぽんと叩いた。
「大丈夫、その調子でいれば良い人と出会えるよ」
「それ好きな人から一番言われたくないやつじゃん……」
「あっごめん無意識に!!」
「ううん、それでいいよ」
陽葵も正気に戻ったように手を緩めた。
「私も、好きは好きだけど、ちゃんと友達のままでいるから」
「そ、それできそう?」
今のところできなさそうだが。
「努力する。じゃなきゃ私のせいで青井さんが一人ぼっちになるから」
めちゃくちゃ気を遣わせている。
「一人でも大丈夫だよ。私、寂しがり屋のくせに、結構一人が好きみたいだから」
水姫はそう返した。強がりではあった。でも嘘でもなかった。
「それに離れてても、お揃いであることには変わりないしね」
陽葵は無言のまま水姫を抱き締め続ける。何も言えなくても、重なり合う鼓動から、同じ気持ちであることがひしひしと伝わってくる。
「あ、でもアイスクマについてはこれからも付き合ってもらうかも」
「勿論だよ」
そこで陽葵はようやく笑った。あたたかい満面の笑顔で、まさに太陽のように。
「でも、もし途中で飽きたりとかしたら……」
しかし、笑顔は一瞬で不安げな表情に変わる。そこが太陽らしいのだが。
「それならそれでいいよ。その時やりたいことができれば、それで」
水姫が微笑むと、陽葵も笑顔に戻った。
「じゃあ今、しばらくこうしててもいい?」
笑顔でとんでもないことを頼んできた。
「……今だけだよ」
まんまとやられて、水姫はしぶしぶ身体を預けることにした。
本音を言うと、まだ離れたくないのもあった。
チャイムが鳴るまでの3分間、目を閉じて抱き締め合っていた。こんなに心地良い静寂があるなんて知らなかった。
心が通じ合っているからこそ、互いに友達だと分かっているからこそ、まるでアイスクマのように溶け合ってしまいそうだった。
溶けるのは問答無用で悲しいことだと思っていたが、これなら溶ける最後の瞬間まで幸せでいられるのだろう。
この瞬間が、永遠になるのだろう。
色んな感情に、色んな姿に、出会えて良かった。
水姫は心からそう思った。
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