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ティーンズ誌恋愛脳な商集合あなたと同値なら信じよう
(詳説)
集合X上である同値関係~が定義されている時、集合[x]={y∈X|x~y}(同値関係で結ばれる要素の集合)を同値類と呼ぶ。 更に同値類の集合を商集合と呼び、X/~と表す。 例えば『心理テストF(x)の結果が等しい』という同値関係(推移律、反射律、対称律が成立することは容易に確かめられるだろう)を定義した時、この結果が同じ人の集合が同値類であり、テスト結果が並んでるページは商集合を表していると見なせるだろう。 この手の心理テストの科学的裏付けは基本的に疑わしいが、おまじないとしては成程良く出来ていると思わせる物も多い。この短歌のように、かなり学習を積んできた数学徒でも『この手のおまじないは絶対信じない』などというこだわりを持つ人間は少ない。 パスカルの言うように、こういうのは信じたほうがいろいろ得なのである。
四十人矢印躍る相関図全単射等をくっつける会
(詳説)
2つの集合が与えられたとき、片方の各元に対しもう片方の各元を対応させた関係を、写像と呼ぶ。 写像f: X→Y 上でf(X)=Y、つまり『∀y∈Y,でy = f(x)を満たす x∈Xが存在する』事を全射、『x1≠x2∈X ⇒f(x1)≠f(x2)である』事を単射と呼び、この2つを同時に満たす写像を全単射と呼ぶ。 例えば人物相関図で、特定の組織に属する人間が一つに囲まれることがあるだろう。 これを一つの集合と見たとき、ある2つの組織間にまたがる矢印の集合が写像に当たる。 全単射が成り立つ関係というのは、例えば他の介入を一切許さない両想いの関係などがあり得るだろうか。 現実はともかく、漫画などではこのような関係性に人気が出る事もままある。 さて、写像という物は集合の濃度などの証明には不可欠な概念だが、大学数学では半ば永久に(こいつ以上にしつこい奴があるのに絶望しかねないぐらいには)付きまとってくるこいつを肌感覚で理解できるようになって初めて線形代数の学びが始まると言えよう。
この恋が君のと交差しないなら『原論』なんて僕はいらない
(詳説)
古代エジプトの数学者であるEuclidはその著書『原論』において、以下の5つの公準(証明不可能であるが、ある理論体系を成立させるための基礎として必要な命題)を定め、その上での幾何学を議論した。
(公準1)任意の2点が与えられたとき、それらを端点とする線分を引くことができる。
(公準2)与えられた線分はどちら側にでも、いくらでも延長することができる。
(公準3)与えられ任意の点に対し、その点を中心として任意の半径の円を描くことができる。
(公準4)すべての直角は互いに等しい。
(公準5)ある直線が他の2直線と交わるとき、同じ側の内角の和が2直角より小さいならば、この2直線は限りなく延長された時、内角の和が2直角より小さい側で交わる。
これらは我々が普段認識する平面上の体系に概ね合致する物であり、長きにわたってただ一つの幾何学として君臨していた。 しかし、19世紀に入るとこの内(公準5)が成り立たないとして幾何学を議論する『非Euclid幾何学』が提唱されるようになった。 ここでは詳しくは述べないが、これらは球面上での図形を議論するものであると考えてもらえばよい。 どの体系でも、結局平行線は決して交わらない。 現実でも『平行線』と表現される人間関係は存在するが、流石にそれは数学ほど厳密なものではない。 どれほどそれが交わりそうにないように見えても、どちらかが動けば、案外あっけなく交差してしまうものなのかもしれない。
イプシロン=デルタ勇気が足りなくて無理やりに手を繋いで帰る
(詳説)
高校数学まででは、極限は『十分に近づいたとき』という言葉を以て定義されている。この部分をより厳密に表記した物をイプシロン=デルタ論法といい、それを使って関数の極限を以下のように定義する。
『任意の ε>0 に対して,ある δ>0 が存在して,0<|x−a|<δ⇔|f(x)−b|<ε である』
以上のようにイプシロンとデルタの2つの正数を用いた論法は、微分積分学の基礎で多く用いられる。 大学数学最初の大きな壁の一つであろう。 所で、恋愛で最も楽しい時期はお互い両思いであることが確定してから恋人関係が成立するまでの時期だと言われている。 それはその前にある巨大な壁を乗り越えたが故なのではないからではないだろうか。どれほど『両想い』に漸近しようと、それが確定するまで不安という物は抜けないのである。 数学においてもある点での極限値とその点での関数値が異なる関数はいくらでも存在する訳だが、やはりどれほど確率が低くとも、『存在する』が故の不安はとても大きいものである。
僕ヤバと、ワムとキングとチョコ菓子と、君とがいれば。コンパクトな僕
ある位相空間Xに関し、Aの要素すべての和集合がXに一致する部分集合族をXの被覆という。 例えば、ある大きな画用紙があって、それをちぎった折り紙ではみ出し気味に完全に覆った時、この折り紙の集合が画用紙の被覆であると言える。 そして、この被覆Aの要素が全て開集合である時、Aを開被覆と呼ぶ。 この開被覆は基本的に何個あっても良いが、その全てが有限部分被覆を持つとき、Xはコンパクトであると呼ぶ。 先ほどの折り紙の例でいえば、どんな覆い方でも折り紙を取り除いて有限の数で覆えるようにできる、という事だ。 所で、人間の精神は様々な嗜好や経験で構成される存在であると言える。 勿論ある人間の中である要素が完結しているという事は、人間が社会的生物である以上絶対にありえず、ある巨大なものの一部がその人間の精神に覆いかぶさっているとみることもできるのではないだろうか。 無限に近いそれら要素の中でも『最悪無くてもいいか』と思える奴を取り去っても、その人間はその人間のままである。 故に、人間にコンパクト性を見出すこともできるのではないだろうか。WhamやS・キングをたしなむ人間が果たして僕ヤバを読むのかは疑問であるが、有限部分被覆まで切り詰めると妙なものばかりが残るのかもしれない。 そして残ったものの中に『あの人』がいるという事を、人は恋と呼ぶのだろう。
まだ理想じゃない恋文反復法n+1はもっと素直に
(詳説)
この世には数多の関数が存在するが、その中には代数的に解くことが出来ない物も多い。そのようなものの近似解を求めるアプローチの一つに、反復法がある。 これはある漸化式を用いて、1ステップ前の値から現ステップの値を求める方法の総称であり、代表的なものにNewton法、固有値問題に関するべき乗法、数値線形代数における共役勾配法、常微分方程式の数値解法におけるRunge-Kutta法などが挙げられる。プログラムにより実装されることも多く、数学を学び、活用するにあたって避けては通れない。 恋文に限らず、文章の推敲も修正した物に修正を重ねていくという点でこいつに近い性質を持っているように思える。 唯一の違いは、収束条件がない事だ。 こだわりはほどほどに。
常微分方程式と同じぐらい身近でそして素直に解けない
(詳説)
大学数学、そして物理で最もしつこい概念が常微分方程式である。 そもそも、微分方程式とは未知関数とその導関数の関係式として書かれる関数の事である。 その中でも変数がただ一つであるものを常微分方程式と呼び、物理現象の解析などでは本当に鬼ほど目にすることになる。しかしながら、それが解析的に解けるのは非常にまれな場合に限り、基本的には先述のような数値解析法を以て近似値を得る。 人間の心もまた同様であり、一般的には経験則を基にした推測を基に解を出すことになる。
2月14日がゴールの単一始点最短経路問題
(詳説)
離散数学の中でもグラフ理論と呼ばれる分野は、節点と枝の集合で構成される『グラフ』に関する理論である。ここで言うグラフは一般の関数のグラフとは異なり、列車の路線図のような点が線で結ばれた図の事を言う。 その究極の目標の一つがゴールに到達するまでの最小コスト(最短距離)を求める最短経路問題である。 現在主に使われるのはダイクストラ法と呼ばれる方法であるが、オーダーがO(V^2)であるために、節点の数が増えると計算量が加速度的に増加するため、工夫が必要になる。 バレンタインチョコに至るまでのグラフを何とかして設定した場合、この最短経路は何を意味するのだろうか? チョコの数が最も多くなる為の言動か、『あの子』からチョコをもらえる確率を最も高くするための言動か。
非決定でごめんね同じ言葉でもおんなじ想いは伝えられない
(詳説)
言語理論において、有限個の状態と遷移、そして動作の組み合わせで表現された状態のモデルを、有限状態オートマトンと呼ぶ。 例えばある複数の文字(アルファベットと呼ばれる)の組み合わせで表せられる文字列を出力するためには、アルファベットの一つ一つを遷移に設定して、条件に合うように状態を設定する必要がある。 有限状態オートマトンは決定性有限オートマトン(DFA)と非決定性オートマトン(NFA)に分けられる。 詳しくは省略するが、後者では受理された文字列から状態の遷移が一意に決定できないという特徴がある。 人間の言葉という物もそうで、口に出た言葉が同じだからと言ってそこに至る心の動きは必ずしも同じではないのだ。
意外とさ変わったやつが好みじゃない?心はGauss分布じゃないし
(詳説)
確率変数に対して、各々の値を取る確率全体を表したものを、確率分布と呼ぶ。その中でも連続性を持つ物を連続分布と呼ぶ。 この中でデータの最頻値と中央値が一致し、平均値を中心に左右対称な形をとる確率分布をGauss分布と呼ぶ。 平均値が0であり、分散が1であるものは特に標準ガウス分布と呼ばれる。 その他、二項分布、Poisson分布,
カイ二乗分布、無数の名もなき確率分布が存在する。 人間の受容するものの大きさは多分連続的なので、心が動く確率を確率分布に広げることはできそうである。 つまり受容G(x)で心が動く確率の分布をX(x=r)とすればよいのだ。 よっぽど変なところが最頻値である場合も結構あるだろう。 因みに、すべての確率分布は試行回数を増やしていけばGauss分布に近似できる(中心極限定理)ので、やっぱり普通が一番安全、に帰結しうることは留意すべきである。