コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「はい、今テンポずれたわよ。もう一回やり直し」
「は、はい!」
ピシャリと言い放つ月乃に、和葉は慌てて姿勢を正す。
場所は城谷低の道場。ジャージ姿の和葉は、降霊術に必要な”舞”を月乃から教わっていた。
「……と思ったけど、一旦休憩を挟みましょうか」
「でも、あまり時間もないですし……」
「おいしいお茶菓子があるんだけど」
「食べましょう!」
思わず即答する和葉に、月乃は苦笑しつつ使用人に指示を出す。
スパルタで教える、とは言ったものの、月乃が特別厳しくする必要はないくらい和葉は真剣だ。
むしろこうして月乃の方から休憩を促さなければ和葉が根を詰め過ぎてしまうくらいだ。
「お茶とお茶菓子を用意してくれる?」
「はい、ただいま。客間にご用意いたしましょうか?」
「うーん……ここで良いわ。お盆で適当に持ってきて」
月乃に指示を出された使用人はすぐに準備へ向かう。
和葉には休憩を促したが実際あまり時間はないと考えた方が良いだろう。院須磨町にあれから異変はないが、カシマレイコがこのまま大人しくしたままでいてくれるとは思えない。
程なくして、使用人がお茶とお茶菓子を用意して持ってくる。和葉と月乃は、並んで正座して一休みすることにした。
「それにしても驚きました。降霊術って踊るんですね……」
「今回の場合は神楽に近いわね。本来は高位の霊魂を降ろすための神楽舞なのよ」
カシマレイコは怨霊だが、極めて霊力の高い霊魂であることに変わりはない。半端な降霊術では呼び出すことが出来ないだろう。
神を降ろすつもりでやらなければ、カシマレイコクラスの霊魂は呼び出せない。
「本番までにきちんと出来るようになってもらうわよ。今回の作戦は、私達の降霊術にかかっていると言っても過言じゃない」
「……はい」
カシマレイコが現れないのには必ず理由がある。
もしそれが回復や何かの下準備であるなら、それらが不完全な状態で呼び出すことにこそ意味があるのだ。
「本番では舞以外にはどんなことをするんですか?」
「……そうね。お神酒も用意するし、舞のための演奏もしないといけないから少し大掛かりになるわ。あとは……巫女装束も着てもらうことになるわ」
「……巫女装束……」
「嫌?」
「いえ、むしろちょっと憧れてたくらいなので……。でも、状況が状況なので素直に喜べなくって複雑な感じです」
少し照れ笑いしながら和葉がそう答えると、月乃もクスリと笑みをこぼす。
「そうね。全部終わったらいくらでも好きな和服を着付けてあげるわ」
「え!? 良いんですか!?」
「和葉ちゃんには、感謝してるから」
「感謝……ですか?」
そう言われても和葉には何も心当たりがない。キョトンとする和葉に、月乃は目を細める。
「あなたがいてくれたから、浸は今でも戦える」
和葉の存在は、月乃が思っていた以上に浸にとって大きなものだった。
浸が立ち上がれたのは、和葉がいてくれたからだ。和葉が待っていてくれるからだ。
だがそれは、和葉にとっても同じことだ。
「……むしろ私の方こそ、浸さんに会えなきゃダメになってたかも知れません。あの時、浸さんが手を差し伸べてくれたから……」
何もかも諦めて、どうにもならないと投げ捨てそうになっていた和葉を救ったのは他でもない、雨宮浸だ。
和葉の力の使い方を、その本当の意味を、浸が教えてくれたのだ。
「……だからじゃないかな。お互いにとっての救いだったからこそ、あなた達は折れなかった」
「……そうかも知れませんね」
真島冥子との戦いで、和葉が折れなかったのは浸の存在があったから。
鬼彩覇を手にする過程で、浸が折れなかったのは和葉の存在があったから。
どちらにとってもお互いが必要で、救いで、支えだった。
師でありながら、浸にとっての救い足り得なかったことが少し悔しい。そう思ってしまったのを誤魔化すように月乃が微笑んでいると、それが寂しそうに見えたのか和葉は小さく首を左右に振った。
「浸さんが立ち上がれた理由は、私だけじゃないと思うんです。だって、浸さんを強くしてくれたのは、月乃さんでしょう?」
「……そうね。そうかも知れない」
いつの間にか弟子が遠くに行ってしまったようで寂しかったのかも知れない。確かに浸のきっかけは和葉かも知れないが、鍛えたのは月乃だ。
「だから私だって、月乃さんに感謝です!」
本当に、浸と出会ったのが和葉で良かったと月乃は思う。
気を張りすぎてしまう浸に寄り添い、冷えた心を温めて癒やしてくれる。
「浸さんだってきっとそう思ってますよ!」
「そう思っていてもらわないと困るわ。あの子死ぬほど手がかかったのよ!」
冗談めかしてそう言って、月乃は修行時代の浸を思い返す。
どれだけキツく言っても無茶をしようとする浸に稽古をつけるのは、普通とは違った意味で大変だったことをよく覚えている。それに比べれば、聞き分けの良い和葉に舞を一から教えるくらいどうということではない。
「私、さっき教えてもらったところもう一度やってみます! 月乃さんはもう少しゆっくりしててください!」
「あ、ちょっと……!」
いつの間にかお菓子も食べ終わり、お茶も飲み干していた和葉が素早く立ち上がって駆けていく。慌てて追いかけようとしたが、まだたっぷりと湯呑に残っているお茶を見て月乃は一息ついて腰をおろし直した。
「……まあ、わりと似たもの同士かな……」
お茶を飲みつつ、一人で舞をおさらいする和葉を見つめて、月乃は笑みをこぼした。
***
ここ数日、雨宮霊能事務所は静かだった。
和葉は連日月乃と降霊術の訓練に励み、露子もあれから顔を出していない。
絆菜のいなくなった事務所には今、浸だけが残っていた。
「……なんだか昔を思い出しますね」
まだこの霊能事務所を始めたばかりだった頃は、たった一人でこのデスクに座っていた。
それが和葉と出会ったことをきっかけに、どんどん賑やかになっていった。露子も最初の頃は頻繁にここに顔を出しておらず、よく来るようになったのは和葉と出会ってからだ。
懐かしい記憶に浸っていると、事務所のドアが不意に開く。
客かと思ってすぐに出迎えると、そこにいたのは八王寺瞳也だった。
「やあ浸ちゃん」
「八王寺瞳也……今日は非番ですか?」
「そそ。ちょっと誰かと話したくなってね、良いかな?」
「ええ、今日は暇でしたから」
すぐに浸は、瞳也をソファへ座らせてコーヒーを淹れる。
「そういえば和葉ちゃんは?」
「早坂和葉はお師匠の元で訓練中です。近々カシマレイコを呼び出すための儀式を行わなければなりませんので」
「……そっか」
呟くように答える瞳也の前に、コーヒーカップが置かれた。
そのまま、少し重い沈黙が訪れる。
カシマレイコとの戦いの後、夜海は瞳也の元へ帰らなかった。それが何を意味しているのか、浸も瞳也も理解している。
浸がどう声をかけたら良いのか考え込んでいると、瞳也はコーヒーを口にしてから無理に笑って見せた。
「いやあごめんね? 誰かと話したいって言っといておじさんが黙り込んじゃって」
「いえ、構いませんよ。話したくなった時に話せば良いのですから」
「……浸ちゃんは優しいねぇ。おじさん、泣いちゃいそうだよ」
調子はいつものように軽かったが、その言葉は軽口には聞こえなかった。
「……多分、一人でいるのがなんだか嫌だったんだよね、俺」
もうあの部屋に彼女はいない。
誰もいない部屋に一人でいることが、今の瞳也には耐え難かった。
「ずっと一人暮らしだったのにな。おかえりとただいまが当たり前になっちゃった後だと、案外きついモンだね」
「…………そういう時は、いつでもここに来てください。コーヒーくらいならいつでも出せますよ」
依頼とは関係なくても、そういう誰かを受け入れて寄り添える場所でもありたい。
瞳也はどこか寂しそうに笑みを浮かべて、もう一度コーヒーを口にした。
「多分、しばらく後悔だけしたまま動けないからさ。また世話になるよ」
「ええ、いつでも」
それからしばらくは、穏やかで心地良い沈黙だけが続いた。
***
もう九月か。
日の落ち始めた外を窓から眺めて、浸はそんなことを思う。
この数ヶ月は妙に過ぎるのが遅かったように感じられる。異様に密度の濃い日々だったなと思い返すと、よくもまあ無事でいられたものだと感心したくなる。
事務所を閉めるにはまだ少しだけ早い。時計を見ながらそんなことを考えていると、ドアが開いた。
「良かった! 間に合いました!」
「早坂和葉……」
驚いて目を丸くする浸を、和葉は笑顔で見つめる。
「今日の訓練はもう終わったのですか?」
「はい! ばっちりしごかれました!」
恐らく本当にばっちりしごかれたのだろう。
月乃は優しいがしごく時はきっちりしごく。しごかれた経験のある浸にはそれがよくわかる。
「疲れたでしょう。会いに来てくれたのは嬉しいのですが、いつも通り直帰して休んだ方が良かったのでは?」
「でも、ここ数日浸さんの顔を見てない気がして……。事務所を閉める時間まで、ここにいて良いですか?」
そんなことを問う和葉に、浸は穏やかに微笑みかける。
「確認するまでもないでしょう。ここはあなたの事務所でもあるのですから。時間が許す限り、いて良いんですよ」
「……ありがとうございます」
嬉しそうに微笑んで、和葉はすぐにソファに座る。
「……やっぱり、落ち着きます」
「それは良かった。何か飲みますか?」
「あ、自分でいれますよ!」
放っておくとそのまま用意してしまいそうな浸を止め、和葉は自分のコップを取り出して自分で冷蔵庫からオレンジジュースを取り出す。
「浸さんも飲みますか?」
「では、いただきましょうか」
デスクを離れ、浸は和葉と向かい合ってオレンジジュースを口にする。
のどごしの良い爽やかな甘みが心地良い。
「……ここで最初に飲んだの、オレンジジュースでしたよね」
「そういえばそうでしたね」
「だから好きなんです。オレンジジュース」
オレンジジュースの味は、もう和葉にとっては思い出の味だ。
あの日以来、日常の中でなんとなくオレンジジュースを選ぶことが多くなったように思う。
「またいつでも、何度でも一緒に飲みましょう」
「……はい」
感慨深くオレンジジュースを味わっていると、不意に浸がデスクへと戻っていく。
不思議に思って和葉が見つめていると、浸はデスクの引き出しからトランプを取り出して和葉に見せつけた。
「久々にどうですか? 強運のゴーストハンター雨宮浸、今日こそ負ける気がしません」
最初に勝負したのは、和葉がここに助手として働くようになった初日のことだ。
なんだかもう遠い昔のことのように思えて、懐かしさすら感じてしまう。
「望むところです! 私だって負けませんよ!」
「私を以前と同じだと思わないことですね! 覚悟してください!」
すっかり外が暗くなってきたところで、二人切りのババ抜き勝負が始まった。
***
「いや全然勝てませんね」
強運のゴーストハンター雨宮浸、全敗である。
相変わらず浸の弱さは壊滅的で、引きも異常なまでに悪い。
「やはりトランプの才能もありますね、早坂和葉」
「ふふふ……そのようですね……!」
「ですがこれで終わりではありませんよ! いずれ必ず、あなたをババ抜きで倒します!」
今の所全戦全敗だが、勿論浸は折れない。いつか必ず倒すと躍起になるくらいだ。
「私はいつでも挑戦を受けますよ!」
そうこうしている内に時刻は午後七時を過ぎていた。事務所が閉まる時刻は本来午後6時になっているため、とっくの昔に過ぎてしまっている。
「……時間、かなり過ぎちゃいましたね」
「……そうですね」
思わずはしゃいでしまったな、と反省する和葉だったが、そんな彼女をよそに浸は何かを思いついたのか楽しそうに微笑む。
「過ぎちゃったついでに、もう少し付き合いませんか?」
首をかしげる和葉に、浸は棚からあるものを取り出して見せた。
事務所の前で二人で蹲り、小さく弾ける炎を見つめる。
少し時期外れの線香花火は、思った以上に綺麗に弾けた。
「そういえばやってないなと思いまして」
「確かに……ずっとバタバタしてましたもんね」
盆に行われるハズだった院須磨町の夏祭りも、今は延期されたままになっている。
夏のイベントの代名詞とも言える花火は、見るタイミングもするタイミングも逃してしまっていた。
「その内やろうと思って用意していたのですが、中々タイミングが掴めませんでしたからね……」
出来ればもっと大人数でやりたいと思っていた浸だったが、二人切りというのもそう悪くはない。
「今年は花火、見てませんでしたね」
「そうですね。延期になっている夏祭りはもうやらないかも知れませんね……」
「だったら来年行きましょうよ! 私浴衣着ていきます!」
「お、良いですね! 楽しみにしていますよ」
縮む線香花火が、どこか切ない。
このままずっと燃えていたら良いのに。
そうなればこの穏やかで愛おしい時間が永遠になってしまうのに。
そんな和葉の思いは、小さく音を立ててアスファルトの上に落ちた。
「……ありがとうございます」
「改まってどうしました?」
「私、初めてかも知れません。こんなに楽しい花火」
花火をするのは必然的に夜になる。
霊が活発になる夜は、以前の和葉にとっては最も恐ろしい時間だった。
はやく終われば良い。昔はそう思っていた暗闇の時間を、こんなにも愛おしく思えたのは浸と出会えたからだ。
「だからまた、しましょうね!」
「……ええ、勿論」
小さな約束をして、二人は互いに微笑み合う。
燃え続ける浸の線香花火が、消えないように祈りながら。