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鴉劇場は、かつて華やかなレビューで名を馳せた場所だった。
しかし今は老朽化し、時折レンタル公演が開かれるだけの廃墟同然。
その暗闇に、まだ人の息が潜んでいた。
相沢蒼は、薄暗い舞台の上に立ち、ライトを一つだけ点けた。
永井沙織は応急手当の後、病院へ搬送され一命を取り留めたが、意識は戻っていない。
――彼女が最後に見た「火傷の男」は、どこへ消えたのか。
相沢は舞台袖を調べ始めた。
埃をかぶった大道具の裏には、古びた仮面と赤い布の切れ端。
そして床板の隙間には、細い針金のようなものが仕掛けられていた。
「……ワイヤー・トリック、か。」
それは照明を遠隔で落とすための仕掛けだった。
つまり、誰かがこの劇場で“演出”を行っていたということ。
そこへ、背後から低い声が響いた。
「探偵さん。夜の劇場に一人で入るのは、少し危険ですよ。」
振り返ると、黒いスーツに赤いスカーフを巻いた男が立っていた。
整った顔立ちに、不思議な笑み。
その男こそ――黒鴉劇場の支配人、篠原怜司だった。
「篠原さん、あなたが通報者ですか?」
「ええ。あなたが来ると聞いて、少し早めに待っていました。……それに、ここは私の劇場ですから。」
篠原は優雅に微笑みながら、ポケットから何かを取り出した。
それは一枚の舞台用ポスター――だが、奇妙なことに、出演者の名前の欄に“霧島翔”の名が印刷されていた。
「この公演は、二週間後に行われる予定だった舞台《真実の仮面》。
脚本は、かつて霧島翔が手掛けた未発表作ですよ。」
「……霧島翔の?」
相沢の目が鋭く光る。
篠原は静かに頷いた。
「ええ。そしてその脚本を持ち込んだのが、“火傷の男”でした。」
一瞬、劇場の照明がチカリと点滅した。
次の瞬間、二人の間に落ちてきたのは――黒い羽根だった。
相沢が顔を上げると、舞台の天井近く、照明の足場に誰かが立っていた。
仮面をつけ、右頬には赤黒い痕――火傷の男。
篠原が息を呑む。
「まさか……」
男は何も言わず、ゆっくりと片手を掲げた。
その手には、小さなリモコンのような装置。
次の瞬間――
劇場全体が真っ暗になり、天井から舞い落ちた羽根と共に、銃声が響いた。
数秒後、非常灯が点く。
そこに残されたのは、篠原の肩をかすめた弾痕と、舞台中央に落ちた“仮面”。
しかし“火傷の男”の姿は、もうどこにもなかった。
相沢は静かに仮面を拾い上げる。
その裏には、奇妙な刻印が彫られていた。
「M-03」
「……また、霧島の暗号か。」
相沢は独り言のように呟いた。
霧は、まだ晴れそうになかった。