数日後。
決められたレールばかりではない、という事を思い知った出来事があった。
今日は光貴がアウトラインの森やんに呼ばれ、急遽ギターの助っ人を頼まれた。人気のバンドのライブへ参加する事になったのだ。
聞くところによると、森やんのプッシュしているハードロックバンド『サファイア』が、メジャーデビューになるらしい。そのお祝いを兼ねて、シークレットライブをアウトラインで行うんだって。
ギターヴォーカルの山根さん――通称やまねんさん――がライブのためにギターを弾きすぎて腱鞘炎になってしまったらしく、急遽ライブオファーが森やん経由で入った。光貴とも仲がいい先輩なので、ふたつ返事でオーケーした。
やまねんさんはギターを弾かずに歌うだけにして、光貴にギターを弾かせるつもりのようだ。
サファイアは仲のいい先輩バンドで、曲も結構好きでよくCDを聴いているから、光貴なら難なく弾ける。
ライブの出演時間は午後七時。私は仕事が終わったらそのライブを見に行く。折角だから誰か誘って見に来て欲しい、と光貴に言われたけど……。急だから誰も誘える人いないけど、応援はしたいなぁ。
仕事の休憩中、誰を誘おうかとスマートフォンを弄んでいたら、新藤さんから電話がかかってきた!!
えっ。どうしよう!
ここ、心の準備が!!
新藤さんからの着信に脳内が大パニックになった。
「は、はいっ」
ディスプレイに出た『新藤さん(大栄建設)』という名前に、心臓がぎゅっと掴まれドキドキした。推しからかかってきた電話のため、焦ってしまい若干声が上ずった。
『お世話になります。大栄建設の新藤です。律さん、先日はありがとうございました。ご自宅の設計図面が完成したので、マンションまで図面をお持ちさせていただきますが、いかがでしょうか?』
「あっ、見たいです!」
正直、設計図よりも新藤さんに会える方が嬉しいって思ってしまった。
私。浮かれすぎ。流石に光貴に悪い。推しとはいえ新藤さんは現実社会で生息している男性だから。乙女ゲームの魔王キャラとはわけが違う。節度を持たなきゃ。
『承知致しました。律さん、お仕事はいつ終わりますか?』
「六時に終わります。あ、でも、今日は主人がライブに出演するので、それを見に行く約束をしています。ですから、今日は都合が――」
『ライブですか!』新藤さんに言葉を遮られてしまった。『光貴さんは、いつからご出演になるのですか? 因みに、どのようなバンドでしょうか?』
新藤さんは本物の音楽好きだ。光貴以上にオタクな気がする。興奮しているのが口調から伝わってきた。
光貴がライブに出演すると伝えた途端、豹変したもん。
「サファイアのヘルプでギターを弾くみたいです。何でもギターヴォーカルの……」
「やまねんさんですよね?」
また食い気味で答えてくる。
本当に博識だ。音楽のことで知らないことは無いのでは、と思うほどに。森やんと話してみたら、話がとても合いそうな気がした。サファイアはまだインディーズのバンドなのに、何故ここまで詳しいのだろうか。
新藤さんは本当に謎の人だ。プライベートとか、生き様とか、生活環のようなものが全く感じられない。
「そうです。やまねんさんが腱鞘炎になってしまったみたいで、主人に白羽の矢が当たりました。やまねんさんの代わりにライブでギターを弾いて欲しいと、直々に頼まれたのです」
『そうだったのですね。差し出がましいお願いではありますが、光貴さんがヘルプで出演なされるライブ、律さんとご一緒させていただくわけにはいかないでしょうか?』
「ええっ!?」
まさかの新藤さんからのお誘い!
断わる女性なんかいませんよぉっ!!
「それは願ってもないことです。主人も喜びますし、私も誰か誘って見に行こうと思っていたので、すごく嬉しいです!」
『それは何よりでございます』
「でも……新藤さん、確か終業時間、七時でしたよね? ライブの開始時間が七時なのです。途中入場ができるように言伝しておきましょうか?」
『ご心配には及びません』
新藤さんのはきはきとした低く美しい声が響いた。
『今日は休日ですので予定も特にありませんし、何時でもお伺いできます。荒井様邸の設計図を昨日の遅くに担当から預りましたため、少しでも早くお届けできたらと思い、お電話を致しました。ご迷惑でしたでしょうか?』
うわー。営業マンの鏡!
休日に担当の顧客の家にわざわざ電話なんて、普通やらない!
「わかりました。では、六時十五分くらいにソックズの前で待ちあわせにしませんか?」
ソックズというのは大型雑貨店のビルのことだ。靴下をモチーフにしたロゴが可愛くて、世界各国の面白い雑貨を中心に売っている店舗になる。
『その時間で結構です。楽しみにしております。それでは、失礼いたします』
電話が切られた。
ええーっ。なにがどうなったの??
新藤さんと、プライベートで約束しちゃった!
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!