推しとライブデートなんて、乙女ゲームそのものだ。
これで仕事が押したりしたら一生後悔する。わき目もふらずに仕事を片付けたおかげで定時に帰ることができた。
待ち合わせ場所に急いで行くと新藤さんはもう到着していた。長身でモデルみたいに格好いいから、遠目からでもよくわかる。
ああっ。コートの下から見えている、白のデザインポロシャツが、超お洒落!
恰好いい人はなにを着ても似合う。黒色のトレンチコートもキマっているし、濃ベージュのスリムなボトムスも長い脚にフィットしていて、とても素敵だった。
普段のスーツもいいけれど、私服も素敵なんて罪すぎる。
目の保養になるぅー。しかも装備、眼鏡。最高に萌えてしまう。
でも、正直言うとスーツの方が好き。
新藤さんはコスプレしても似合いそう。白衣なんかもイイ!
そうなったら…鬼畜医師に変身しちゃうよね!?
――これは危険すぎる。現実にアニメキャラみたいな男性がいるとは思わなかった。
新藤さんの魅力が人外すぎて、私の脳内がパニック寸前だ。
「お待たせしました」
新藤さんの前に走って行って頭を下げた。
ああ、今日もっとお洒落な服を着て来ればよかったと後悔した。昼休みに服を買いに行こうか本気で悩んだけれど、財布と相談した結果、諦めた。マイホーム建設を決めたのに、無駄遣いはできない。
「私が勝手に早めに来ただけで、律さんは遅れていませんよ。謝らないでください」
優しい笑顔を見せてくれる新藤さん。光貴(おっと)がいる私でも、グラっとしてしまう。
私がフリーだったら、絶対に顧客の特権を行使して、図々しく腕組みをお願いしているかもしれない。
あああー。どうしてこんなハイスペックな男性が、独身なわけ!?
「律さん、今日はどこのライブハウスに行かれるのですか?」
「アウトラインというライブハウスです。新藤さん、ご存じですか?」
「はい、知っています。ただ、行った事はありません。廃盤機材ハウス――お宝の巣窟として、通には有名なライブハウスですよね」
にこやかに言う新藤さん。音楽について博識すぎる。マイナーなライブハウスの名前を知っているだけでなく、そのハコ(※バンド用語でライブハウスのことをハコと言う)がどんなものか、ということまで知っているのだ。
「私も主人も、アウトラインの店長の森重さんという方と懇意にしているのです。きっと新藤さんとも話が合うと思いますよ。すごく音楽のことに詳しいですし、機材のことも……。音楽オタク店長ですから」
「そうですか。素敵な方なのでしょうね」
そう言うと、新藤さんはどこか懐かしいような、そうでないような、不思議な視線を空に向けた。しかし一瞬でそれは消えてしまった。
「あ、新藤さん。コンビニへ寄っていいですか?」
「ええ、構いませんよ」
「差し入れを買って来ますね」
目についたコンビニへ立ち寄り、差し入れとして適当なおつまみとビールの六缶セットを購入し、下山手通を西に歩いた。
五分ほど歩いて路地裏に入ったところがアウトラインだ。駅から近くて立地もいい。但し、収容人数五十人が限界の小さなライブハウスだから、神戸で有名な他のライブハウスに比べると、メジャーなアーティストは殆ど来ない。ライブハウスの音響は日本一だと思うけど、キャパシティが少ないために大物アーティストは利用ができないのだろう。それだけが残念だ。
新藤さんとお喋りしながらアウトラインへの道を歩いた。道中が短くて、あっという間に着いてしまった。
ああ、残念。もっとお話したかった。
新藤さんと音楽の話をしていると、本当に楽しい。澱(よど)みなく出て来るバンド名やアーティスト名前、更には名曲の細部に至る感想――ここまで私の好きなジャンルで合う話は、光貴でもできない。
更に彼は、洋楽も邦楽も様々なジャンルに詳しく、特段ジャズに精通しているようで、曲名や歴史の背景まで知っていた。
新藤さんは、CDショップかライブハウスで働いていた経験がありそうだ。一般人が知らない音楽の知識を豊富に持っているのだ。聴き専というからには、学生の頃から好きな音楽をたくさん聴いて育ったのだろう。更に音への拘りが半端ない。音楽関係者だったのではないかとさえ思う。
あっ。音響にもこだわるし、スピーカーにはお金をかけるって言っていたから、もしかして、PA(Public Addressの略で音響全般のこと・この場合、音響を操作する人のこと)をやっていた経験があるとか?
……謎だ。でも、ミステリアスな新藤さんの背景を考えるのは、結構楽しい。
どんな過去を生きてこられたのかな――それにしても私は、どうしてこんなに新藤さんのことが気になるのだろうか。光貴と結婚しているのに、他の男性が気になるなんて、おかしいよね。こんなの初めて。
うーん……これってやっぱりよくないよね。気を付けなきゃ。
二次元の乙女ゲームキャラのような人が、三次元にうっかり現れてしまった感じがするし、私の好き・推し要素を全て具現化したような人だ。
ただ、新藤さんは、私が顧客だから親切にしてくれるのだと思う。それはわかっている。
でも、彼と一緒にいると、本能というか……なにかこう、うまく言えないけれど、心の底が震えるような謎の感覚があるのだ。不思議な気分になる。でもそれがなになのか、自分でもよくわからない。表現のしようがない気持ちになるのだ。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!