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実花と別れた後の颯太の足取りは徐々に早くなっていた。
足元には真っ黄色のイチョウの葉がじゅうたんのように広がっている。
どんぐりもところどころ落ちている。公園では金木犀の香りが漂っていた。
やっと気持ちが吹っ切れた気がした。
直接、実花に話したことでスッキリと清算できた。
会わずにして離婚したことがずっと心残りでいた。
早く会いたい。今すぐ会いたい。
1秒でも1分でも長く一緒にいたい人がいる。
紬と美羽が待つ家に向かうのが楽しみだった。
早歩きだったのが、陸上選手なみの速さで走っていた。
玄関のドアを開けた。
何だか、いい匂いがしてきた。
朝ごはんを作ろうと思っていた颯太だったが、代わりに紬と美羽が台所で仲良く作っていた。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい。パパ!! 今ね、美羽さんとね目玉焼きの上手な焼き方を教わってたよ。ハムを下にして焼くと
ハムエッグになるよ!」
「あ、そうなんだ。……だろ? 目玉焼きだってこだわれば美味しくできるんだから」
「おかえりなさい。大丈夫だった?」
美羽は心配そうに伺う。答えを言う前に颯太は後ろから紬と美羽を一緒にぎゅうっとハグをした。
「え、なになに、急に」
「パパ、痛いよぉ」
「人間サンドイッチだぁ。紬はたまごね」
「えー、たまごサンドイッチってこと?」
嬉しそうにケタケタ笑いながら紬はノリノリだった。
「ちょっと、待って。今、食パン切らしてるからサンドイッチ作れないよぉ? 冷蔵庫空っぽだから」
ハグされながら美羽は真面目に答えた。
「いやいや、別に俺はサンドイッチ食べたいわけじゃなくてさ。こう、ぎゅうってしてみたかっただけ」
「………あ、そう」
クールに対応する美羽に残念そうにする。
「私はサンドイッチいいよ! もっとしてよ」
紬は続けてぎゅうを要求したが、しゅんと熱意が冷めた。
「何、作ってたの?」
「味噌汁」
「そっか、お腹すいたな。そういや、もう11時過ぎてたんだな」
「洗濯……干したよ」
「あ、ごめん。何から何まで任せて……。ありがとう」
「私もお手伝いしたんだよ」
「お、えらいな。助かるよ」
何だか不機嫌になる美羽に颯太は感づいた。
「……ごはんできたけど」
美羽はテーブルにおかずとごはん、味噌汁を並べて静かに座った。
「あ、うん。食べよう。紬も座ろう」
颯太の隣に紬が座り、颯太の向かい側に美羽が座った。みな、手を合わせていただきますを言う。
何も言わずに食べ始めて、微妙な空気が流れた。
「ねぇ、何か変なこと言った?」
「別に……」
「パパ、ママの話してないからでしょう」
紬は、ごはんをパクパクと頬張って言う。
「あ……」
「……」
何も言わないで美羽はそのまま食べる。
「実花が失礼なこと言ってごめん。あれが元嫁で、離婚手続きが完全にわってるのに新しい生活に不安があったらしく、
俺のところに来たみたいだけどさ。何もできないって言ったんだ。支離滅裂なこというやつでさ。本当、困るんだよね。
でも、もう大丈夫だから」
「《《大丈夫》》って?」
美羽は、食べていた箸をとめた。
「美羽には迷惑かけないってこと」
「ふーん」
なんとなく、納得できない返事にご不満な様子の美羽だった。
「うん。あと、これ、卵焼きも作ってくれたんだ。美味しいよ。俺、甘めがいいんだ」
「私も甘いの好きぃ。美羽さん、料理上手! パパみたいに砂糖と塩を間違わないよね」
「ありがとう。卵焼きって難しくてうまく固まらない時もあるのよね。今日はうまく行った方」
「そうなんだ。いつも美羽さんがご飯作ってくれるといいのになぁ」
紬はルンルン気分で卵焼きを頬張った。それを聞いた颯太と美羽は気まずさを増した。
「あ! 用事思い出した。やらなきゃいけないことあって、私ご飯食べたら、帰るね」
「えーー、一緒にトランプしたかったぁ」
紬は残念そうな顔をする。
「ごめんね」
「忙しいところ、時間取らせてごめん。本当助かったよ。ありがとう」
「どういたしまして。紬ちゃんと遊びの楽しいから」
「本当!? 嬉しいなぁ。また遊んでくれる?!」
「うーん……。ちょっと、仕事で立て込んでて……」
本当は会社を辞めばかりで個人でのクリエイターになっていた。未だ無職に近い。仕事依頼はまだなかった。
忙しくなど全然なかったが、美羽は嘘をついた。
「こら、紬、困るようなこと言わない!」
「ごめんなさい」
「ううん。いつか、また遊べるといいね」
腕時計を見て、時間を確認して食器を片付け始めた。美羽は、帰り支度をする。
その姿を見て、紬も颯太も猛烈に寂しさを感じた。もう行ってしまうんだと。
「えっと、そろそろ……行こうかな。電車の発車時間確かあと15分後だったかな」
「……あ、ああ。気をつけて。これ、本当、ごちそうさま。美味しかった」
「うん。それはよかった。ありがとう。んじゃ、お邪魔しました」
美羽の態度が急に冷たくなったのを察した颯太はなんでなのか不思議でなかった。
紬は美羽が帰るのがいやで何も言わずに涙を流した。
それを見て見ぬふりをして外に出た。
美羽は、玄関のドアに背中をつけてしばらくぼんやりした。
時間なんて縛られていない。自由に決められる。
でも、何だかモヤモヤした気持ちがおさまらなかった。
何を颯太に求めているのだろう。
分かっていたけれど、口に出すのが怖かった。
ヒールの音が通路に響いた。
すぐにでも手に入れたい幸せの青い鳥。
でも、まだ手に入れてはいけない気がした。
急に怖くなった。
仕事を満足にできていない自分にはもったいない。
出ていく美羽の足音をそのまま聞き入っていた。
颯太は、目をゆっくりとつぶってまた開いた。目の前のことは現実か確かめた。
「パパ、なんで?」
「え?」
「なんで美羽さん帰っちゃうの?」
「お家あるからでしょう。ほら、食器片付けるよ」
「美羽さん、一緒に住むんじゃないの?」
「……紬、一緒に住むって、美羽は、お母さんじゃないよ?」
「知ってるけど、けど!」
紬は、泣いて喚いた。仲良くなれたのに行ってしまう美羽に会えなくなるのが寂しかった。
「俺だって、一緒にいたいけどさ! ダメなんだって。ちくしょう」
持っていたコップを洗い場に置くとぱりんと1つ割れてしまった。
割れたコップのかけらを1つ1つ拾い上げた。
重ね合わせた未来のパズルはもうすぐ完成するんじゃなかったのか。
もう少しで繋がって幸せになるパズルは完成だと思っていた。まだ解けていない。
はっきり言えなかった自分が悪かった。思い直した。
燃えないゴミ箱に割れたコップのかけらを入れてから紬に問う。
「紬、留守番できるよな?」
「え?」
颯太は椅子にかけていたジャケットを羽織った。
「追いかけるから」
「大丈夫、見たかった映画見てるから!」
決心したのか、颯太は美羽の後を追いかけた。
紬は空気を読んで、留守番を引き受けた。
泣いていた顔は笑顔になっていく。
玄関のドアが勢いよく開いて、バタンと閉まった。
颯太の足が自然と駆け出していた。