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チャイムの五分前。空気が熱を持って滞留するような、異様な静けさが教室を支配していた。
ざわめきはある──だが、笑いも私語も、すべて“見世物”の幕開けを待つ客席のざわめきにすぎなかった。
遥は立っていた。すでに。
机の脇、鞄の上に手を置いて、教壇の方を向いたまま。
だがその身体は、少し斜めに──まるで「呼ばれるのを待っている犬」のように──傾いでいた。
「──なに? まだ始めないの?」
先に口火を切ったのは、後ろの席の女子だった。
足を組み、スマホを回しながら笑っている。
「昨日あれだけ“調子乗って”たのに、今日はおとなしめ? 飽きた?」
「ね、なんか物足りないよね」 「さっきから立ってるけど、誰かが許可出すの待ってんの? 従順〜」
その言葉に、遥が少しだけ振り返る。
口元に、わざとらしい笑み。
「ごめんね、ちょっと空気読めてなかった」
そう言って、すっと膝をついた。
床に──何のためらいもなく。
女子たちが拍手をする。
「そうそう、やっぱこれだよねー」 「素直〜偉〜い、ほら“ご褒美”あげて?」
男子が笑う。
「じゃあ口で鳴いて。昨日のやつ、ちゃんと練習したんだろ?」
「どのパターン?」
遥が訊く。その目は、笑っていない。
だが声音だけは、完璧なまでに甘えた調子。
「おまえほんと、調整してくるよな」 「優秀すぎて引く〜、いやもう“調教済み”ってやつ?」 「マジで家で鏡の前で練習してそう」
教室の熱が上がる。笑い声が重なる。
「てか今日ってさ、どこまでやるか決めてないじゃん? 誰が仕切るの? じゃんけん?」
「え、私やりたい」 「でも男子のほうが“力仕事”得意でしょ?」
冗談のように言いながら、誰も本気で止めようとはしない。
「……ほんとさ、そういうの言われると、“もっとやんなきゃ”って思っちゃうじゃん」
遥がそうつぶやく。
床に這いつくばりながら、誰かの足元に頭を下げるように。
「だって、求められてるってことでしょ? だったら、ね?」
その声には、感情の一滴もない。
それが逆に、「完全に調教済みで壊れている」と錯覚させる。
「え、マジで壊れてんじゃん」
「えぐ〜……でもウケる。動画回してた?」
「もちろん。今週の“ハルカ劇場”はハイライト多いわ」
女子が動画にエフェクトをつけてる間、男子のひとりが言う。
「つかさ、こうやって先回りしてやってくれると助かるよな。手間かけなくていいし」
「なにそれ、マジで“社員”みたいな扱いじゃん」
「いっそ評価シートでも作る?」
「“やる気”とか“奉仕度”とか?」
大笑いが起きた。
だが遥は、うっすらと笑いながらも、目線を落としたままだ。
まるで、「そこにいること自体が当然」のように。
──それが、“生きるための姿勢”なのだ。
誰にも“される”前に、自分から“やる”。
それが、もう支配なのか服従なのか、自分でもわからなくなるほどに。
チャイムが鳴った。
教師が入ってきても、遥はそのまま“定位置”から動かない。
女子たちは笑いながら席に戻り、男子は動画の編集を続けていた。
教師は黒板の前で軽く咳払いをし──
何も言わなかった。
それが、“いつもの一日”の始まりだった。