発した声が引きつってしまったのは、彼のその髪も、顔も。全身のあらゆる箇所が、真っ黒に染まっていたから。
紫焔獣の残滓。
初めて見る、べったりと付着する黒の主張に、先ほどまで彼らが繰り広げていたであろう戦闘の激しさが伺え、思わず怯んでしまったのだ。
ルキウスの隣に立つジュニーも、他の隊員も黒を増やしていたけれど、ルキウスはその中でも異常なほどに染まっている。
私を抱えるアベル様の歩が、止まる。
「ご報告申し上げます」
黒に染まった姿とはそぐわない、凪いだ風のような爽やかな声はルキウスのもの。
その身体に傷はどれほどあるのだろう。痛みなど一切感じさせない調子で、
「城内より、紫焔獣の反応が途絶えました。ひとまずは、全て討伐したもののと考えられます。これより我ら遊撃隊も防策隊と連携し、発生源の探索に移ります。再び紫焔獣の発生した際には、発生源の確保よりも戦闘を優先させていただきますが、よろしいでしょうか」
「……許可する」
「ありがとうございます。では、我らはそのように」
恭しく一礼をしてみせたルキウスが、「それから」と頭を上げ、
「これより申し上げますは、隊の意向ではなく己が私情にございます。殿下、彼女を下してはいただけませんでしょうか」
「っ!」
ルキウスの瞳が私に向く。黒の中で、悠然と輝く金の眼。
彼は真っすぐな視線を柔く緩め、
「やっぱりこっちにいたんだね、マリエッタ」
仕方なさそうな笑み。
私は急いで瞳を下げ、
「申し訳ありません、ルキウス様。王座の間へ向かえとのことでしたのに」
「ううん。遅かれ早かれ、マリエッタはここに来ると思ってたよ。けれどもそうやって、アベル殿下に抱き上げられているのは予想できなかったけれど。合意の上かい?」
「! いえ、これは……っ」
「ルキウス」
ビリリとした憤怒を纏った声で、アベル様が口を開く。
「その口振りだと、マリエッタ嬢があれからこの場で治療にあたっていたのは知っているのだろう。ならば今の彼女にかけるべき言葉は、他にあるのではないか」
「そうですね。落ち着いて話をするためにも、まずは殿下に下していただかなければ」
「言ったろう! 彼女はずっと己が魔力を使って、慣れない怪我人の治療にあたっていたのだぞ!? 彼女の身体が心配ではないのか! お前は……お前は、彼女の婚約者なのだろう!?」
「ええ、殿下。ですから婚約者として、彼女を下して頂けるよう頼んでいるのです」
くっ、と。苛立ち交じりに歯噛みするアベル様。
(だ、大丈夫なのよね? この言い合いが原因で、ルキウスが罰せられたりなんてならないわよね?)
一抹の不安を抱えながら、私も行動せねばと、
「ア、アベル様。ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが私は本当に平気ですので――」
下ろしてください、と続けるはずの言葉を飲み込んでしまったのは、私を抱きかかえる腕により力がこもったから。
アベル様がルキウスを睨みつけたまま、忌々しげに眉根を寄せる。
「ルキウス。お前はマリエッタ嬢を、正しく愛しているのか。お前のその欲望は、彼女を茨で縛り付けるも同然なのではないか」
周囲が思わず息を呑むような低い声。
けれども問われたルキウスは、口端に笑みすら浮かべ、
「正しい愛、ですか」
「そうだ。恋しい相手ならば愛を持って慈しみ、深い情を糧に守るべきが道理ではないのか」
「……なるほど。それが殿下の、”正しい愛”ですか」
と、ルキウスは「マリエッタ」と私に視線を移し、
「は、はい」
「あと、何人の治療が出来そうだい?」
「ルキウス……ッ、貴様はこの期に及んでまだそんなことを……!」
「アベル殿下、今は少々お時間をくださいますよう」
ぴしゃりと言い放つルキウスに、アベル様が耐えるようにして口を閉ざす。
それでも私を下すという選択肢はないらしい。
私はおそるおそるながら、
「怪我の程度にもよりますが、皆さまに整列頂いた順に診るのでしたら、おそらくは十五程度かと」
本当は、協力いただいているご令嬢方すべての治療をしてあげたかった。
けれども私の魔力はそこまで維持できない。
悔しいけれど、残りは看治隊の方に委ねるしかないだろう。
(もっと、魔力の保持力を上げる訓練をしておくのだったわ)
「……不甲斐ないですわ」
知らずと零れてしまった呟きに、アベル様が驚いたようにして、
「マリエッタ嬢は多大なる貢献をしている。不甲斐ないなど――」
「アベル殿下」
ルキウスが、静かに歩を進めてきた。
私達の前で静止すると、アベル殿下を微笑みながら見つめ、
「僕の婚約者を、返していただけますでしょうか」
「っ!」
「マリエッタ、いいね?」
頷いた私に、アベル様が歯噛みしながらも下ろしてくれる。
ほっと小さく息をついた私の顔を、ルキウスは優しい眼で覗き込み、
「マリエッタ、こっちはもう少し、お願いね」
(ああ、やっぱり)
ルキウスはいつだって、私に優しい。
この優しさが唯一無二なのは、彼がずっと私を知ろうと心を配り、見つめ続けてくれていたから。
「マリエッタ嬢! これ以上その身を犠牲にする必要は――」
「アベル殿下」
ルキウスは私を愛おし気に見遣りながら、
「僕は彼女を、愛しております」
「っ」
「ならば、なぜ彼女に無茶を強いる……っ!」
「”無茶”ではないと、知っているからですよ」
ルキウスはたおやかに微笑んで、
「僕はマリエッタを、信じていますから。真心を持って互いを想い、敬意を胸に共に戦う。正しいかどうかなどわかりませんが、それが僕の、愛なのです」
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