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今日は、昨日よりもさらに一段と冷え込みが厳しい。
この間始まったばかりだと思っていた秋が、もう足早に終わりを告げようとしている。
そんな、冬の気配が混ざるフロントガラスの向こうを見つめながら、僕は小さく呟いた。
「今日、午後から雨が降るんだって」
『え、そうなの?じゃあ、仕事終わったら車で迎えに行くわ』
「えっと、大丈夫!今日ちょっと、仕事が遅くなりそうだし……」
『まぁ、久々の出社だもんな〜。俺も連休明けで仕事が山ほど溜まってんだわ。だからお前が帰る頃に一旦連絡ちょうだい?そっちの終わりに時間を合わせられると思うから』
「うーん……えっと、本当に何時になるか読めないし、今日はバスで帰るから大丈夫だよ」
夜にしゅんと会う約束をしている。
それを隠そうとすればするほど、僕の言葉は言い訳がましく、どんどん曖昧な返事になっていってしまう。
カチ、カチ、と規則正しく鳴り響くウインカーの音のなか、はやちゃんが不思議そうに僕の横顔をチラッと盗み見た気配がした。
都合よく彼の車に乗り込んでおきながら、いざとなれば嘘をついて彼を遠ざけようとする。
自分のなかにある、このどうしようもなくタチの悪い依存心が、酷く醜いものに思えて胸が痛んだ。
結局、はやちゃんに明確な返事を返せないまま、車は僕の勤務するビルの前に到着してしまった。
「はやちゃん、ここまで送ってくれてありがと。……仕事、頑張ってね!」
『おう! 柔太朗も初日から無理すんなよ?……なんか困ったことがあったら、すぐに呼べよ?』
「うん! ありがと!」
助手席のドアを閉め、僕は無理に笑顔を作って手を振りながら、はやちゃんの車を見送った。
はやちゃんは片手を軽く上げると、重低音の響く厳ついエンジン音を鳴らしながら、都会の雑踏へと走り去っていく。
あんなにゴツくて大きな車を、私服でもスーツ姿でも完璧にかっこよく乗りこなせるはやちゃんは、やっぱり流石だな……と、どこか他人事のように感心しながら視線を正面へと戻した。
その瞬間。
横断歩道の反対側、信号待ちをしている大勢の群衆のなかに、あの見慣れた姿を見つけて心臓がドキンと冷たく跳ね上がった。
……しゅんだ。
彼はきっと、僕に気づいている。
真っ直ぐに僕のことを見つめていた。
いつもなら、遠くからでも僕を見つけるなり「じゅう〜!!」とクシャッとした満面の笑みで大きく手を振り、大型犬のわんこみたいに全力で駆け寄ってくるはずなのに。
今の彼はまるで何かに怯えるように、僕を見つめたまま立ち尽くしていた。
やっぱり僕たちの関係は、もうあの頃のようにはいかないんだ。
それに僕自身、今の彼に対してどんな顔をすれば良いのかまったく分からなかった。
襲ってきた気まずさと張り詰めた緊張感に耐えかねて、僕は咄嗟に気づかないフリを決め込み、足早にオフィスの自動ドアへと逃げ込んでしまった。
「……待って、じゅうっ……!」
背後から、掠れた彼の声が響く。
それと同時に、ロビーの真ん中で僕の手首が大きな手で勢いよく掴まれた。
「っ、……!」
ガシッと肌に触れた手のひらの熱量に、昨夜叩かれた瞬間の恐怖が脳裏をよぎる。
身体が勝手に反応して、僕は条件反射でその手を思いっきり振りほどいてしまった。
冷たい風を切るようにして、拒絶されたしゅんの手が空間に力なく泳ぐ。
その瞬間、しゅんは今にも大粒の涙をボロボロと零しそうな、この世の終わりみたいに切ない顔をした。
その顔を見て、今度は僕の胸に激しい罪悪感が押し寄せてくる。
せめて、いつも通り挨拶を…。
「あ……、しゅ、しゅん……おはよ」
「……おはよ……っ」
「……、」
それ以上何を話せばいいのか分からなくなって、僕はただ罪悪感から俯いて下を向くことしか出来なかった。
「じゅう……昨日は、ほんまにごめんなさい。許してほしいなんて、思っとらん……。でも、……お願いやから、俺のこと、……無視だけはせんでよ……っ」
しゅんの声は細く震えていて、消え入りそうなほどに弱々しかった。
僕はその声に顔を上げると、彼も僕と同じように俯いていた。
俯く彼の顔を恐る恐る覗き込むと、涙をいっぱいに浮かべた彼の顔。
目の下には、オフィスの薄暗い照明の下でも分かるほどのひどい隈がくっきりと出来ていた。
顔色も土気色に青白い。
きっと昨夜から一睡もできずに自分を責め続けていたのだろう。
体調が良くないのは一目瞭然だった。
「しゅん、……昨日、ちゃんと眠れたの?体調、大丈夫……?」
「……ごめんなさい、……ほんま、ごめんなさい……っ」
僕が心配の声をかけるたび、彼は壊れた機械のようにそればかりを繰り返した。
さっき僕に振りほどかれた彼の手は、やり場をなくしたように今もポケットの横で静かにガタガタと震え続けている。
僕の好きな太陽みたいに眩しく輝いていた舜太の面影はどこにもなかった。
こんなにボロボロに弱り切った彼の姿は、見てられなかった。
ふと、周囲に目を向けると、出社してきた周りの社員たちが、怪訝そうな顔でこちらを見てヒソヒソと噂話をしているのが目に入った。
そりゃそうだ。
社内でもいつも明るく笑顔で、男女問わず誰からも慕われている人気者の営業部のエースである曽野舜太が、会社のロビーのど真ん中で、こんなに小さくなって震えているのだから。
この最悪なシチュエーションに居たたまれなくなった僕は、今度は僕の方からしゅんの震える手を引き、誰も使っていないフロアの隅の薄暗い会議室へと彼を連れ去る。
重い防音のドアを閉めてもなお、しゅんは肩を小さくすぼめて俯いたまま、何かに怯えるようにじっと床を見つめ続けている。
「しゅん、大丈夫だよ?ここなら誰も来ないし…。ね?」
「俺……ほんまに、ごめんなさい。……怖かったよな、?痛かったよな……っ」
「大丈夫だよ、しゅん。俺のほうこそ、しゅんをそこまで追い詰めるような無神経な行動とか発言ばかりして……本当にごめんなさい」
「ちゃうねん、俺が勝手に嫉妬して、焦って……。じゅうの部屋に突然押しかけて、あんな酷いことした…。世界で一番、大切やのに……大好きなんに、俺、最低や……っ」
しゅんの瞳から、堪えきれなくなった涙がポロポロと溢れ出して頬を濡らしていく。
「分かっているよ。しゅんが俺のことをどれだけ真っ直ぐに想ってくれているか、ちゃんと分かってるから。
だからこそしゅんは俺のせいで我慢の限界だったんだよね…?もう自分を責めないで?ごめんね」
「ぐすっ……、……じゅう……っ」
僕は泣きじゃくる彼を安心させるように笑って、その濡れた頬にそっと触れた。
指先に伝わる皮膚の熱が、彼の動揺の深さを物語っている。
「あー、ほら、もう泣かないで?もうすぐ朝のミーティングが始まっちゃうよ。とりあえず、今は仕事行こ?……話は今日の夜、ちゃんと聞くから」
「うん……。……なぁ、じゅう。俺のこと、……嫌いに、なってへん……?それだけ、それだけ今聞かせて……っ」
すがるように僕のスーツの袖を掴んでくる彼の必死な瞳に、胸の奥がキュンと甘く痛む。
「嫌いになってないよ。なるわけないじゃん。大丈夫だから……。ほら、もうあと5分もないよ、急ご?」
「うぅ…。じゅう……ありがとな、ほんまに……っ」
「うん。じゃあ今日一日、仕事頑張ろうね。またあとでね」
僕は彼の手を引いて営業部のフロアの前まで連れて行き、背中をぽん、と押して送り出した。
営業部のフロアのドアの向こうへ入っていく彼の目は真っ赤に腫れ上がっていて、誰が見ても「今さっきまで大泣きしていました」という顔をしていた。
……あんな状態で、本当に今日一日の仕事を乗り切れるのだろうか。
ミスをして上司に怒られたりしないだろうか。
自分の部署のデスクに向かう間も、頭の中はしゅんの心配ばかりだった。
午後からの雨予報を告げる重い暗雲が、都会のビルの隙間から、静かに窓の外を覆い始めていた。
to be continued…
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