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僕はしがない脚本家だ。小さな劇団の舞台脚本をいくつか書きながらなんとかギリギリの状況で生計を立てていた。当然贅沢なんて出来るわけもなく、引っ越した先は隣の部屋の声が聞こえるくらいに壁の薄い、古びたアパートだった。
「この家、落ち着くねえ。畳の匂い、大好き。」「畳の匂い好きなの?今どき珍しいね。」
「そうかなあ?結構好きな人多いと思うんだけどなあ。なんかね、懐かしい気分になれるの。」
「懐かしい気分か。それはそうだな。俺も好きだよ。畳の匂い。」
「お!また共通点みっけた!ほんと私たちって、似たもの同士だねえ。」
今思い返してみると、懐かしいというのは亡くなったおばあちゃんの家を思い出していたのだろう。
引っ越してから数ヶ月が経った夜、劇団との打合せから帰ってきた僕は、玄関を開けた瞬間に部屋の様子がおかしいことに気がついた。棚や箪笥、さらには靴箱まで、ありとあらゆるものが外に放り出されて床に散乱している。
まさか空き巣でも入ったのか―――?
いや、そんなはずはない。部屋では君がしっかりと留守番をしてくれていたはずだ。
まてよ…?ということは…!?
突然君のことが心配になった僕は、慌てて君を探して声を荒げる。
「大丈夫!?どこにいるんだ!?いたら返事をしてくれ!!」
すると、部屋の隅から君の声が聞こえてきた。「大丈夫…いるよ。ここに。」
珍しく元気がない。やはり何かが起こったんだろうか。
「どうしたの?泥棒さんでも入ってきた?」
「ううん…違うの。私がやったの。」
君が…やったのか?これを一人で…?
「薬がね…どこにも見当たらないの。それで…不安になっちゃって。部屋中探したんだけど…見つからなくて…」
次第に君の声が震えだす。泣いているんだ。
「ごめん…散らかしちゃった…」
「ううん。いいんだよ。お兄さん張り切って片づけちゃうぞ!ついでに模様替えでもしちゃおっかな!ちょうど飽きてたんだよね!この配置!」
少しわざとらしくしすぎただろうか…?ふと君の顔へ目を向ける。
「ありがとう。」
そう言って君は眼に溢れた涙を拭いながら微笑んだ。
「私ね、小さい時からPTSDっていう病気なんだ。」
“PTSD”
話程度には聞いたことがある。辛い過去や生死に関わる経験をしたことのある人が発症する疾患だ。君に何があったかはわからない。本音を言うと、知りたい気持ちでいっぱいだった。でも、僕にはその勇気がなかった。
「そうだったんだ。それでいつも薬を飲んでいたんだね。」
「うん。薬がなくなっちゃうと、いつもパニックになっちゃうんだ。」
「じゃあ、明日2人でお医者さんに薬をもらいにいこっか。」
「うん!明日お医者さん行こう!」
君は急にケロッと元気になった。これも症状のひとつなのか?そんなことはどうでもいい。やっぱり君は笑っている姿が一番だ。
「ふたりで、一緒に乗り越えていこうね。」
一緒に頑張ろう。と言いかけたが、言葉を変えた。君はもう充分頑張っているんだから。
「ありがとうね。君が側にいてくれたら、乗り越えられる気がするよ。」
君が側にいてくれたらそれだけで充分だ。他には何もいらない。君が何を抱えていたって構わない。僕が側で支えてさえあげられれば、きっと君は少しでも楽になれる。
月の灯りが照らす部屋の中で、僕は君とふたりぽっちで生きていくことを決意した―――。