テラーノベル
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#創作BL
灯依
528
#世界が私を嘘という
EP.1 ズレゆく世界
朝の光が差し込むリビングは、いつも通り穏やかで、少し眠い空気に満ちていた。
「瑞希、おはよ。コーヒー淹れたてだよ」
キッチンから、トーストの香ばしい匂いと一緒に健太の声が響く。瑞希はあくびを噛み殺しながら食卓に向かい、自分の席に座ろうとして――ふと、手を止めた。
テーブルの上に置かれたマグカップ。
それは、鮮やかなシトラスグリーンのマグカップだった。
「……ねえ、健太」
「んー? なに?」
「このマグカップ、どうしたの?」
健太はトーストをお皿に乗せながら、不思議そうに瑞希を見た。
「どうしたのって……どうもしないよ? 瑞希のお気に入りでしょ」
「え? 私の?」
瑞希は眉をひそめ、そのカップを手に取った。
自分の趣味にしては、少し派手すぎる色だ。それに、瑞希がずっと愛用していたのは、去年の誕生日に健太からもらった、落ち着いたネイビーのマグカップだったはずだ。
「私のマグカップ、紺色じゃなかったっけ。ほら、猫のイラストがついたやつ」
「何言ってるんだよ」
健太は声を立てて笑った。その笑顔はいつも通り優しくて、何の曇りもない。
「紺色のやつは、先月落として割っちゃったじゃん。大泣きするから、その次の日に二人で駅前の雑貨屋に行って、このグリーンのを買ったんだよ。ほら、色違い」
健太が自分の手元を示した。そこには、瑞希が持っているものと全く同じデザインの、シトラスオレンジのマグカップがあった。
「……そうだっけ」
「もう、寝ぼけてるなぁ。瑞希、最近仕事が忙しくて疲れてるんじゃない? ほら、冷めないうちに飲みなよ」
健太に促され、瑞希は温かいコーヒーを口に含んだ。
確かに最近、仕事のプロジェクトが立て込んでいて、寝不足気味ではあった。
(私が忘れてるだけ……なのかな)
割ってしまったショックがあまりに大きくて、新しく買い直した記憶がすっぽり抜け落ちてしまったのだろうか。健太があれだけはっきりと覚えているのだから、自分が間違っているに違いない。瑞希は無理やり自分を納得させ、仕事へと向かった。
しかし、違和感はそれだけで終わらなかった。
その日の夜。
仕事を終えて帰宅した瑞希は、クローゼットを開けて、明日の服を選ぼうとした。
ハンガーに掛かった服をパタパタと掻き分けていく。その途中で、指が止まった。
見覚えのない、真っ赤なニットのワンピースが掛かっている。
瑞希は普段、モノトーンやベージュといった落ち着いた色の服しか着ない。こんな派手な色のワンピースを、自分で買うはずがなかった。
「健太、ちょっと来て」
リビングでテレビを見ていた健太を呼ぶ。
「これ、誰の服? 私、こんなの買った記憶ないんだけど……」
健太はクローゼットの中を覗き込み、一瞬だけ困ったような、痛々しいものを見るような目を瑞希に向けた。
「瑞希……冗談だろ?」
「え?」
「それ、先週のデートのときに瑞希が『たまには冒険してみたい』って言って、自分で買ったんだよ。一昨日もそれ着て、二人でイタリアン食べに行ったじゃないか」
健太の言葉に、瑞希の背中にすっと冷たいものが走った。
「嘘……。一昨日の夜は、私、家でレトルトのカレーを食べたよ。健太は会社の飲み会で遅くなるって……」
「何言ってるんだ、瑞希」
健太は瑞希の両肩をそっと掴み、まっすぐ目を見つめてきた。その瞳には、深い「心配」の色彩が滲んでいる。
「一昨日は僕の昇進祝いで、駅前のイタリアンを予約してくれたんだよ。美味しかったねって、二人でワインも飲んで……。スマホの写真見てみなよ。一緒に撮っただろ?」
瑞希は震える手でバッグからスマホを取り出し、写真フォルダを開いた。
最新の画面に表示されたのは――一昨日の日付。
そこには、あの真っ赤なワンピースを着て、嬉しそうにワイングラスを掲げる自分の姿が、はっきりと写っていた。隣では、健太が穏やかに微笑んでいる。
瑞希の頭の芯が、じわりと熱くなった。
行った記憶が、全くない。
着た記憶も、買った記憶もない。
「僕、最近の瑞希、ちょっと心配だよ。物忘れのレベルじゃないよ……。明日、お仕事休んで、一度病院に行ってみない?」
健太の優しい声が、まるで遠い奈落の底から響いてくるように聞こえた。
自分の頭がおかしくなってしまったのか。
それとも、この世界の方が狂っているのか。
瑞希には、もう何も分からなくなっていた。
ホラー系に手を出してみました!
もう少しで高校祭!
楽しみ!
コメント
1件
那月さん、ホラー新作お疲れ様です。日常のささいな「ズレ」から始まる不気味さがじわじわ来て、すごく好みでした。シトラスグリーンのマグカップの違和感、健太さんの優しい口調が逆に怖い…。あの写真まで出てくる展開は「自分の記憶か、世界のどっちかが狂ってる」感が増してゾクゾクしました。初ホラーとのことですが、この不安感の積み重ね方は巧いです。続きがとても気になります!