これは、彼女と彼のないしょのはなし。
幼かったあの日のおはなし。
夜空はテレビの画面のように小さく四角く切り取られていた。
少女の背よりずっとずっと高いビルやマンションが、にょきにょきと空に伸びて彼女の視界を阻んでしまったのだ。
首が痛くなるのを我慢して上空を見上げても、街灯や家の窓からの明かりの方が色濃くて、夜空はぼうっと白く霞んで見えるだけだ。
「お星さまが見えないや」
少女はプゥと頬を膨らませる。
「星歌、何してるの。もう暗いんだから早くうちに入りなさい」
扉の隙間から顔を出す母。
玄関灯の下、薄いピンク色の口紅がキレイに見えた。
こっちに越してきてから、母はいつも化粧をしている。
田舎ではいつも「すっぴん」だったし、まだ小学生の星歌が夜遅くまで家の前やお隣りさんの庭で遊んでいても文句なんて言わなかった。
金平糖をこぼしたみたいにキラキラ輝く夜空が好きで、星歌はよく家の前のあぜ道で寝転んでいたものだ。
手を伸ばせば届きそうな輝き。
当たり前のように目の前にあった星空が奪われたのは、母の再婚がきっかけである。
早くに夫、つまり星歌の父を亡くした彼女は仕事の都合で都会に出張することが多く、そこで「かれし」ができたのだと娘に説明をした。
有り体に言えば再婚をした母は、娘をつれて相手の住む都会へ越すことになったのだ。
新居は駅から徒歩二十分かかるという一軒家だが、主要駅からわずか二駅という好立地で母の転勤先にも近かった。
つまり、わずか九歳の星歌は母親の再婚に伴い環境が激変したのである。
新しい「おとうさん」ができ、引っ越しをして、転校をした。
「星歌ちゃん、ごはんができてるよ。入っておいで」
「星歌、何やってるの。早く家に入ってらっしゃい」
再びの呼びかけ。
優し気な男の人の声と、母のそれが続く。
母の声にすこし苛立ちが混ざっていることが、幼い星歌を頑なにした。
「お母さんもおじさんもうるさいよ!」
「星歌、あんた……」
まぁまぁと宥められながら、母は腕組みをして玄関に仁王立ち。
冷たい風が星歌の小さな身体を震わせたが、彼女はその場を動こうとしない。
プックゥ──。
これ以上ないくらいに頬を膨らませているではないか。
引っ越しなんてしたくなかった。
友だちと離れるのはイヤだったし、忙しない都会のタイムテーブルにも馴染めそうになかった。
何より今まで星歌ひとりだけのものだった母親が、そうではなくなってしまったのだ。
義父は優しかったが、星歌から母親と住み良い環境を奪った男だ。
面白いはずがない。「おじさん」と呼んでやることが、せめてもの抵抗だ。
とはいえ、それはまだ我慢できる。
一番の問題点は──。
「お母さん、星歌ちゃんはだいじょうぶ?」
「あら、行人くん」
家の中からひょこっと顔をのぞかせたのは、ひとりの少年であった。
──コイツが、一ばんのモンダイなんだ!
背中に聴覚のすべてを集中させながらも、星歌は素知らぬふりをして夜空を見上げていた。
突然できた弟。
可愛い顔をして、星歌の母親のことをすぐに「お母さん」と呼びだした。
学校の勉強もできるらしい。
家事を手伝ってポイントを稼ぐ要領の良さもある。
母はこの行人という新しい息子を見るたびに目尻を下げているではないか。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!