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寺井の骨董品店を出た後、ひとまず人形を探すために目撃情報を聞いて回っていると、偶然八王寺瞳也と本屋の前で出くわした。
瞳也は丁度本屋から出てきたところで、少し驚いているようだった。しかしそれは浸も同じだ。
「珍しいですね。何か気に入った本があったのですか?」
「あー……いや、そういうわけじゃないんだけどねぇ」
瞳也はバツが悪そうに後頭部をかきながら言葉を濁す。
「まあ、ちょっと野暮用でね。二人はどしたの?」
「調査中です!」
「なるほどね。最近ようやく落ち着いたかと思ったのに、また変な噂が出回り始めたみたいだね」
「変な噂って、どんな噂ですか?」
噂に関しては、和葉も浸も初耳だ。
和葉が問うと、瞳也はすぐに話し始める。
「うん、なんかひとりでに動く人形を見たって話」
「え!? 詳しく聞かせてください!」
「おわ、食いつくねぇ……もしかしてソレの調査だった?」
コクコクと頷く前のめりの和葉をやんわりと押し戻しつつ、瞳也は浸へ視線をやる。
「ええ。差し支えなければ詳細を聞かせてもらえると助かるのですが」
「とは言っても、通報があっただけで実際にはおじさん達も見てないのよ」
瞳也の話によると、通報したのはこの町に住む女子高生らしい。
友達と下校中に視線を感じ、振り返ると電柱の陰から真っ白な顔の少女がこちらを見ていたという。その後、その少女はどういうわけか彼女達に襲いかかり、必死で逃げてから警察に通報したのだそうだ。
「関節が球体関節だったって話だよ。人形かどうかはさておいて、ひとまず不審人物には変わりないから、調査はしてるんだけどねぇ」
「探している人形の可能性は高いですね……」
「あ、例によって今回もおじさんが話したってのは秘密ね」
「心得ています」
浸と瞳也がそんな会話をする中、和葉は浮かない表情で考え込んでいた。
「よし、おじさんはそろそろ帰ろうかな」
「非番の時に捕まえてしまってすいませんでした」
「いやいや良いってことよ! それじゃあね」
朗らかにそう答える瞳也に二人で別れを告げ、立ち去っていくその背中を見送った。
「……襲ったって、本当なんでしょうか?」
そしてその後、すぐに和葉はそう言って再び暗い表情を見せた。
「わかりません。襲う気がなくても、相手が襲われたと認識すればそう報告するでしょうし、確証がない以上は何とも言えませんね」
「……私は、そんなことないと思います。だってあの家で感じた霊力の残滓、なんだか寂しそうでした」
和葉があの時霊力から感じた感情の中に、悪意や敵意、憎悪はほとんど感じられなかった。その時の感覚を思い出そうとすると、自然と紀彦との会話も思い出す。
***
「あすなろ……ですか?」
紀彦が口にした人形の名前を、和葉は問い返す。
「ええ。父はそう呼んでいました」
「差し支えなければ名前の由来を聞いても良いでしょうか?」
「あすなろというのは、木の名前なんです」
アスナロは、まな板などによく使われるヒノキに似た木のことだ。
「父が言うには、アスナロという名前には、アスナロが明日はヒノキになろうと思いながらヒノキに似た木になった、という由来があるらしいんです。どこまで本当かはわかりませんけどね」
いわゆる俗説というやつなのだろう。紀彦はこの話を、父から聞いて初めて知ったという。
「そういえばまだ、見せていなかった写真がありました」
紀彦は話の途中でそれに気づくと、すぐに妻に頼んで一枚の写真を持ってきてもらう。
随分と古い写真だが、写っているのは源三と一体の人形だ。背格好はあの人形とよく似ているが、それほど精巧には見えない。
「ここに写っている人形、あすなろなんです」
「これ、同じ人形なんですか!?」
「はい。信じられないかも知れませんが、この人形は少しずつ人間に近づいていったんです」
源三は人形を――――あすなろをとても大切に扱っていた。まるで人間であるかのように話しかけ、一緒に散歩していたことさえあったらしい。
そうやって過ごしていく内に、どういうわけか人形の姿はどんどん精巧になっていく。一番精巧に見えた最近の写真は、数十年かけた結果だったのだ。
「……それで、あすなろと」
明日は人間になろう、明日は人間になろう。そう願っているかのように少しずつ人間に近づいて行く人形に、源三はあすなろと名付けた。少しずつヒノキになろうとしたという逸話になぞらえて。
「……大切にされてたんですね」
もしかすると、あすなろは寂しがっているだけなのかも知れない。急に源三がいなくなり、彼を捜しているのかも知れなかった。そう考えると、和葉は少し胸が痛くなる。
源三の死を、あすなろに伝えなければならない。
***
瞳也から話を聞いた後、すぐに二人はあすなろを捜し始めた。その頃には既に日は暮れ始めており、二人にとっては最早お馴染みとなりつつある逢魔ヶ時だ。
しばらく捜している内に、和葉は微弱ながらもあすなろの霊力を感じ取る。浸はそのまま和葉の感覚に任せて後ろをついていく。
「すごく微弱ですけど、あすなろちゃんの霊力です」
「流石は早坂和葉です。私にはまるで感じられませんね……」
あすなろが放つ霊力は、極めて微弱なものだ。
和葉も、ある程度意識していなければすぐにでも見失ってしまいそうな程である。
人形に宿った霊力と、人間の霊魂が持つ霊力は、似て非なるものなのかも知れない。
霊力を追っていくと、少しずつ感じられる気配も濃くなっていく。
気がつくと、住宅街の中にある公園のそばまで来ていた。
「……ここですか?」
「はい、この辺りです」
公園ではまだ子供たちが楽しそうに遊んでおり、夕日に照らされた公園を見ているとどこかノスタルジックな気持ちに浸りたくなってしまう。
しかし和葉は、そんな感覚をすぐに振り払う。
「――――っ!」
あすなろの気配が最も濃いのはこの場所だ。
案の定、子供たちを木の陰から見つめる者がいた。
赤い着物を着た真っ白な肌の少女はゆっくりと木の陰から身を乗り出す。
その瞬間、和葉は血相を変えた。
「浸さん!」
和葉は全てを語らなかったが、すぐに浸はうなずいて駆け出す。
そんな浸の足音に気づいた子供たちが浸を見、そして浸の視線の先に気がつく。
「う、うわあああああああああ!」
夕日になじまない真っ白な顔の女が、球体関節の右手を伸ばして歩いてくる。
その不気味な光景に、子供たちはすぐパニック状態に陥り、蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ去っていく。
追いかけようとする女――あすなろだったが、その前に浸が立ちはだかる。
「どい……て……」
「……そういうわけにはいきません」
「どいてよ!」
次の瞬間、あすなろの右手の指が刃物へと変化する。
浸は一瞬驚いたが、すぐに距離を取り、腰のホルダーから青竜刀を引き抜いた。
「なるほど……やはり、こうなるのですね」
「あの手……!」
慌てて追いついた和葉が、あすなろの右手を見て目を見開く。
もう既に、あすなろの霊魂は悪霊化しているのだ。
半霊と同じで、霊魂だけが悪霊化している場合はその身体ごと変化させることが出来る。髪の伸びる人形もその一種と言えるのかも知れない。
「ここまで変化する人形は初めて見ましたね……」
「っ……!」
浸が人形、と口にした瞬間、あすなろは顔を歪めて襲いかかってくる。表情が変化するのも、変質している証拠だ。
浸は人形の右手を青竜刀で受け止める。大抵の場合はこの段階である程度霊の感情を理解出来るが、今回はほとんど感じられない。
(……人形の霊魂となると、私程度では感じられませんか……!)
力不足に歯噛みしつつ、浸は青竜刀であすなろを押し返す。パワー負けするあすなろだったが、再び素早い動きで浸へと襲いかかっていく。
あすなろの動きは比較的は速い方だったが、浸に見切れない速度ではない。あすなろの動きをことごとく回避し、受け止めていく。すんでのところで浸の攻撃はかわされているが、決着がつくまで大して時間はかからないだろう。
悪霊化している以上は決着をつけるしかない。あすなろを理解出来ない以上、浸には事態をなるべくはやく収束させることしか出来ないのだ。
「~~~~~っ!!!!」
まるで歯が立たないことに苛立っているのか、あすなろは一度距離を取ってから悔しそうに言葉にならない声を上げる。
「……何故人を襲うのですか!」
「人間のお前にわかるものか!」
浸の問いに乱暴にそう答え、あすなろは再び浸へ向かっていく。
怒りのせいか動きに隙が多い。次の一撃で決められる。そう判断して構える浸だったが、突如浸の前に和葉の背中が現れる。
「――――早坂和葉!」
「待ってください!」
和葉がそう叫んだ瞬間、浸もあすなろも動きを止めた。
「……あすなろちゃん」
「……」
和葉がそう呼ぶとあすなろは一瞬だけ寂しそうな顔を見せる。
「……源三さんはもう、いないんです」
「いないって何……!? どこにいるの? お前は知っているのか!」
「源三さんは……亡くなったんです。死んで……しまったんです」
「違う! 源三は私を捨てたんだ! ……人間じゃないから!」
泣き叫ぶような声音でそう言って、あすなろは和葉に対して身構える。しかし和葉は、引き下がるどころか少しずつ歩み寄り始めた。
「違います。源三さんは、あすなろちゃんを捨てたりしません」
「……じゃあ、なんで……」
あすなろは、力なくその場に膝から崩れ落ちる。
彼女に死という概念はない。人形であるが故に、人が死ぬということを理解出来ない。
だから彼女は、突然自分の前から姿を消した源三に、捨てられたと解釈したのだ。
自分を置き去りにしてどこかへ行ってしまった源三を捜し回っていたのだろう。
いつもより少しだけ時間がかかったものの、和葉はあすなろの気持ちをしっかりと理解していた。
彼女がどれだけ源三を大切に思っていたのか。
源三が突然目の前から消え、どれだけ悲しんだのか。
そしてそれが、どれほどあすなろの霊魂を澱ませてしまったのか。
「……浸さん」
ふと、和葉は浸の方へ向き直る。
「あすなろちゃん……傷つけずに祓うことは出来ませんか?」
それがどういう意味なのか、浸はすぐに理解する。
人形を壊さずに、あすなろの霊魂だけを祓って欲しいという意味だ。
恐らく、難しいだろう。
出来ない、と言われる覚悟で和葉が祈るような気持ちでいると、浸は和葉の予想に反して首を縦に振った。
「……ええ、わかりました」
そう言って浸は背中に手を回し、柄を握る。
そうして浸が取り出したのは、身の丈程もある大太刀、極刀鬼彩覇だ。
鬼彩覇は刀そのものがほとんど霊体に近い。霊力を纏ったまま長い年月を経て、刀そのものが霊化しているのだ。
そのため、霊能者以外には視認することすらかなわない。故に浸が鬼彩覇を背負ったまま歩いても、普通の人間には気づかれない。
そして鬼彩覇は霊体であるが故に、物質をすり抜けることが出来る。
「……祓いましょう。雨宮浸の名において」
呆然とするあすなろの元へ、ゆっくりと浸が歩み寄る。
「源三は……どこへ行ったんだ……?」
「……きっと、天国です」
「それは、どこだ……? 私も行きたい」
和葉を見つめ、あすなろは泣き出しそうな表情でそう呟く。きっと泣くことが出来ないのだろう。そう考えると、胸が苦しかった。
「……叶えましょう」
あすなろの目の前で、浸は鬼彩覇を振り上げる。
「私が人間だったら……源三と一緒に、行けたのか?」
あすなろの問いに、浸も和葉も答えられなかった。
「……良い旅を」
静かにそう告げて、浸は鬼彩覇を振り下ろす。霊体である鬼彩覇は物質をすり抜け、霊魂だけを斬りつけ、祓う。
あすなろの霊魂が、少しずつ昇っていくのが見える。それが消えるまで見つめている内に、和葉の頬を温かい滴が流れた。
***
あすなろは、人間に嫉妬していた。
源三がどこかへ行ったのが何故なのかわからないまま捜しても見つけられず、やがてそれは自分が人形だからだと結論づけた。
源三以外の人間が気味悪がったように、源三もまたあすなろを気味悪がってどこかへ行ってしまったのだと。
それは嫉妬へと変わり、あすなろの霊魂は急速に淀んで行った。
「……あすなろちゃん、もし寺井さんに譲ってもらえたらうちで預かっても良いですか?」
あすなろを抱えて紀彦の元へ報告に行く道すがら、ふと和葉はそんなことを言い出す。
「ええ、それは向こうが良ければ構いませんが……」
「……もう、一人ぼっちにしたくないんです。寂しい思いをしていたみたいなので」
ぎゅっと大事そうに抱きしめる和葉に、浸は表情を緩める。
「そうですね。その方が良いでしょう」
「ありがとうございます」
既に日は落ちており、空では月が満ちている。
暗い空を見上げながら、和葉はあるのかわからない場所に思いを馳せた。
「……あすなろちゃんも、天国に行けますよね? きっと、源三さんに会えますよね?」
あすなろは結局誰も傷つけていない。それは共感反応で全てを見た和葉にはわかっている。
人形の魂が人間と同じ場所へ行けるのか、そもそも天国や地獄が存在するのか、それは浸にもわからない。
それでも、優しい和葉と一緒に、信じたかった。
「……ええ、きっと」
抱きかかえたあすなろが、少しだけ微笑んだように見えた。