韓国での別れと期待:光るさくらんぼ
ソウルの街は、日本の春とは違う、どこか湿った空気を纏っていた。仁川国際空港のゲート前。さくらは、涙で顔をくしゃくしゃにしている親友、イェリと最後のハグを交わした。
「ちぇりぃぃぃ、本当に日本行っちゃうの。うちのクラス、もう『ちぇりロス』だよ…。卒業まで一緒にいれると思ってたのに…」イェリは韓国語で泣きながら訴えた。
さくら(ちぇり)は、このエリアの中学では「かわいい子」として知らない生徒はいないほどの有名人だった。その明るさと、ちょっとおっちょこちょいだけど面倒見のいい性格から、彼女の周りにはいつも人が集まっていた。
「心配ないってば、イェリ!さくらんぼ(ちぇり)はどこでも可愛く弾けるの!それに、私、日本でまた新しい『親友』、作るんだから!イェリはオンラインで遊ぼうね!」
さくらは明るく答え、少し湿っぽくなった空気を吹き飛ばした。この「ちぇり」というニックネームは、彼女の韓国語での愛称であり、さくらんぼのように「ちっちゃくて甘くて元気」な彼女の代名詞だった。
(日本か。ドキドキするね。お父さんの仕事で急に決まったけど、新しい生活、超楽しみ!今度こそ、ただの中学生として、日本のJKライフをエンジョイするんだ)
さくらの心の中には、アイドルへの憧れも、芸能界への興味も全くなかった。韓国で何度も芸能事務所からスカウトされてきたが、「学業優先!」と全て断ってきた。小学6年生、までは大手事務所の練習生だったけれど。
彼女の願いは、ただ一つ。日本の制服を着て、友達とおしゃべりしながら、ごく普通の青春を送ることだった。
日本の中学へ:隠せないオーラ
東京郊外の公立中学校。その入学式から数日後、春の陽光が差し込む廊下で、さくらは少し緊張しながら教室のドアを開けた。
「日向さくらです。韓国から来ました。んー、日本は初めてに近いから、皆、近くで優しくしてね!よろしくおねがいします!」
さくらは少し照れたように、しかし満面の笑みで挨拶した。
その瞬間、クラスの生徒全員の視線が、まるで強力なスポットライトのように彼女に集中した。
黒髪の生徒たちの中で、彼女の自然な明るい栗色の髪、そしてすらっと伸びた手足、整った顔立ちは、完全に浮いていた。韓国で培われた、知らず知らずのうちに人を魅了する「タレント性」が、制服を着ていても隠せない。
担任の先生が「日向さんは、あそこの窓際の席ね」と指示した。さくらがその短い距離を歩く間にも、ひそひそ声は大きくなっていった。
「え、ハーフ?顔ちっちゃいしスタイル良すぎじゃない?」「なんか…女優さんみたい」「オーラがもう一般人じゃないよ。何者?」「アイドルかなんかかな?」 さくらは内心でため息をついた。
(あれ…?普通の中学生、ちょっと難しそうかも…)
樹と鈴との出会い:二つの静けさ
席に着いたさくらを囲むように、クラスメイトたちは興味津々な視線を送る。そんな中、さくらの右斜め前、最前列の席に座る男子生徒だけは、微動だにせず、ただ静かに窓の外の校庭を眺めていた。
青葉 樹(あおば いつき)。
(何あれ?すごい集中力…?それとも私に全然興味ないのかな?)
彼は教室の騒ぎとは無関係であるかのように、全くさくらの方を見ようともしない。さくらは逆に、その「無関心」に不思議な安心感を覚えた。
休み時間になると、今度はクラスのムードメーカー的存在、**七瀬 鈴(ななせ すず)**が、さくらの席に一直線にやってきた。
「ねー、さくらちゃん!私、鈴!七瀬鈴っていうの!ねぇ、マジで韓国から?ヤバい!めっちゃ可愛い!ねぇ、K-POPアイドルとか好きなの?韓国語教えてくれる?もう、質問攻めでごめん!」
鈴はマシンガンのような勢いで話しかけてきたが、その笑顔は嘘偽りのない、純粋な好奇心と好意に満ちていた。
「うん!鈴ちゃん、よろしくね!私もちっちゃい頃からK-POPは聴いてたよ!言葉も、もちろん教える!」
鈴と話している最中も、周囲の生徒たちの視線は熱い。ふと樹を見ると、彼はまだ窓の外を見ていたが、微かに、彼の耳がこちらを向いているような、そんな繊細な気配をさくらは感じ取った。
この二人だけが、クラスの熱狂とは異なる「静けさ」をさくらに与えてくれている。さくらは、この環境で、自分が心底望む「普通の友達」になれるとしたら、それはこの二人だろうと直感した。
衝撃のスカウト:最強アイドルへの誘い
放課後。さくらは鈴と別れ、母に頼まれた買い物のため、賑やかな駅前を歩いていた。日本の都会の雑踏は、韓国とは違う、どこか洗練されたエネルギーに満ちている。「きれいね…」
その時、急に後ろから、低く、しかし熱を帯びた声が響いた。
「ちょっと待ってください、そこの君!」
さくらが振り返ると、黒いスーツをパリッと着こなした細身の男性が、全力で駆けてきていた。彼の眼光は鋭く、まるで獲物を見つけた猛禽類のようだ。
「私は『スターライト・プロダクション』のスカウトです。頼む、少しでいいから時間をくれ!君、韓国帰りだね?そのオーラ、その立ち姿、本当にすごい…」
男性は息を切らせながら、さくらの顔を食い入るように見つめた。
「君、韓国でスカウトされなかった?いや、されただろう。でも、君の才能は、うちの事務所で見事に花開くんだ!
さくらは戸惑った。「え、あの、私…芸能活動は考えてなくて…」
それでも攻めてくるスカウトマン、「お名前だけでも…!」(あーあ、とりあえず)「さくらです、韓国から来ました、では、」
「だよねだよね、韓国の名前、ちぇり、だったりしない?」どうやらこの人はさくらを知っているようだ。「ちぇり、ですけど…」
見つめられすぎて顔に穴が空きそう。周りからの視線も本当にスポットライトのよう。写真を撮る人もいるくらい。
「奇跡だ…!私の友達の韓国の大手事務所のスカウトマンが君はスターになれる!そう言ってた!私も思うよほんとに!」
はあ、どの人が言ったのだろう…
「ごめんなさい、興味なくて。」ではー、と買い物に戻ろうとするがそれで諦める者はいない。
「待て!君は自分で気がついてないだけだ。君が持つのは、日本人にはないストリートの躍動感と、韓国で磨かれた『光』だよ。歌って踊れて、この美貌!うちの事務所には、今、君のような最強の中学生の原石が絶対に必要だ!」
男性は名刺を差し出し、さくらの目をまっすぐに見つめた。
「芸名は『ちぇりー』だ。さくらんぼのように可愛らしく、弾けるような元気で、世界中の人に愛される。それが君の未来だ。学校生活を普通に送りたい?いいよ、両立させてやる。でも、君の運命はもう決まっているんだ。私に、君を最強のアイドルにするチャンスをくれ!」
その言葉を聞いた瞬間、さくらの心臓がドクンと激しく脈打った。
(最強のアイドル…?世界に愛されるさくらんぼ…)
平凡な日常を願っていたはずの彼女の心は、芸能界という強烈な光に、抗うことなく引き寄せられていた。スカウトマンの情熱的な言葉と、自分の奥底に眠っていた「目立ちたい」「輝きたい」という本能が、一気に噴き出した瞬間だった。
さくらは、渡された名刺を、ぎゅっと握りしめた。







