テラーノベル
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「母さん、言葉が過ぎるよ。……彼女は俺にとって、人生で一番大切な女性なんだ」
徹さんの声が、料亭の静かな個室に低く響いた。
私の肩を抱くその手には、震える私を守るような力強さがこもっている。
「大切、ねぇ……。徹、あなたは高橋家の跡取りなのよ。嘘で塗り固めた始まりを許すほど、うちは甘くないわ」
静江さんはお茶を一口啜り、私に冷ややかな視線を向けた。
「田中結衣さん。……高橋家が、代々続く格式ある家系であることは、この子から聞いていないのかしら?」
「…いえ、詳しくは……」
私は消え入りそうな声で答えた。
徹さんが仕事ができて、どこか品があるのは知っていたけれど
まさか「家系」なんて言葉が出てくるようなお家柄だなんて思いもしなかった。
「この子の父は、あの一族の関連会社の重役。親戚中がエリートで固められている。……そこへ、普通の会社員の、しかも『嘘』から始まったお嬢さんが入る。それがどういう摩擦を生むか、想像できないほど幼くはないでしょう?」
静江さんの言葉の一つひとつが、正論すぎて何も言い返せない。
私が黙り込むと、静江さんは懐から一枚の封筒を取り出し、テーブルの上で滑らせた。
「これは、来月行われる高橋家の親族の集まりの招待状よ」
「……そこで、あなたが徹の妻として相応しいかどうか、皆が判断することになるわ。もし失態をおかせば、この婚約は私が全力で握りつぶします」
「そんな、結衣を試すような────」
「いいえ、徹。これは試験ではなく、洗礼よ。…高橋家の嫁になるということは、あなたの『男』としてのメンツを背負うということなの。……田中さん、受ける勇気はあるかしら?」
私は、足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。
でも、隣で私を必死に守ろうとしている徹さんの顔を見たとき、胸の奥で小さな火が灯った。
この人の隣にいたい。
そのためなら、どんな洗礼だって受けてみせる。
「……私で務まるか分かりませんが、精一杯、努めさせていただきます」
「……いい返事ね。でも、覚悟なさい。当日はマナーから立ち振る舞いまで、一分一秒、親戚中の目があなたを監視するわよ」
静江さんはそれだけ言うと、優雅に立ち上がり、部屋を後にした。
料亭の外に出ると、夜風が冷たく感じられた。
「…ごめん、結衣、巻き込んじゃって」
徹さんが、私の両肩を掴んで申し訳なさそうに謝ってくる。
でも、私は首を振った。
「ううん。徹さんが高橋家を背負ってるなら、私もそれを一緒に背負いたい。……徹さんの隣に、胸を張って立っていたいんです」
「結衣……」
#ワンナイトラブ
おまる
徹さんは私を力一杯抱きしめた。
「……分かった。特訓、だね。俺も、全力でサポートする」
「本当ですか……!それなら心強いです…」
「……大丈夫、結衣ならできるよ。飲み込み早いし、俺が選んだ、最高に誇らしい女性なんだから」
「徹さん…っ」
「──それに、もしもの時は俺に任せて」
幸せな婚約から一転、今度は「家柄」という巨大な壁。
この恋は、今、親族という大群を相手にした最大の戦いへと突入しようとしていた。
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