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『では、この扇に桜の花が乗ったなら、一夜を共にして下さい』
貴方の言葉は、現実の苦しい時に優しく包み込んでくれる。
シンデレラに眠りの森の美女、白雪姫。
お伽話のお姫様たちは、苛められても王子様が助けにきてくれて、幸せな結婚をしているけれど、地味で『自分』がなくて可愛くない私には、王子様なんて現われない。
そんなの分かり切っていたのに。
一夜。一夜だけ甘い夢を見た。幸せだった。
甘い痛みを伴う、蕩けるような一夜。
それだけで良かったの。
「え?」
短大を卒業したその日。袴姿の私は、母に卒業証を見せに部屋に伺っていた。
舞踊の師範代にして、父亡き今、本家を取り仕切っている母は、一ミリも隙のない冷たく刺さる様な瞳で私を見ている。
凛と伸ばされた背筋。表情も変えないその姿はもう慣れてはいる。
明日から母の手伝いに奔走する毎日だと、覚悟を決めていた矢先だった。
母から言われたとんでもない言葉に私は耳を疑った。
「だから、私の跡は貴方が継がなくて結構です、と申したんですよ」
「……っつ」
くらりと座っているのに目眩がした。
どうして?
そればかりが頭を過る。
英語科の就職活動で英会話教室や塾の講師、OLなんてのも憧れて色々受けようと母に相談していた。
それを母は『私の下で働くんだから、就職なんてする必要はありません』と、『本当は短大なんて時間の無駄で、すぐにでも私の稽古を始めたかったのよ』そう強い口調でバッサリと言われて、私は自分の意見なんて言えなかった。
「貴方は、馴染みの和菓子屋に頼んでいます。明日から其方で働きなさい」
「――何で?」
言葉が出てこない私の後ろから、襖が開けられた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
廊下で土下座して謝っているのは、妹の美鈴だった。
私のように、地味で俯いてばかりの親の言いなりと違い、人目を惹くような大きな瞳に、小さな顔、器量よしで要領もよく母の言いつけなんて守ったことも無ければ、跡取りじゃないからと自由ばかり許されていた。
それでも甘え上手で、母も美鈴には優しくて羨ましかったのに。
「私が、お母さんの跡を継ぎたいって言ったの。お姉ちゃんみたいに今まで練習したことなんて無かったから本当に一からになるけど、お願いします。私にもやらせて下さい」
深々と頭を下げられ、こんなに真剣な妹を見たことがないので、私はうろたえた。
「やる気もない貴方より美鈴の方が跡取りに相応しい。貴方に望むことはもう何処かの次男とお見合いでもして体裁を取り繕う結婚ぐらいしかありません」
母からの言葉も私の胸を抉る。
母には『自分』なんて要らないと、跡取りになる為の教育しか受けさせて貰えなかった。
ピアノを受けたいと言えばお琴、バレエを受けたいと言えば算盤、英語を受けたいと言えば書道。
私の意見なんて通らないから、何も望んだ事はなかったのに。