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じゃあ例えば「本当にあった計画」が、現実化しなかった場合はどうなりますか。例えば「東大に絶対受かる」と言ってた受験生が、不合格になった場合とか。本人の気持ちに嘘はなかった。ところが、現実化しなかった。この人、真実の人どころか、嘘つきになっちゃいませんか。
現実世界では、そうなるかもね。
現実世界で嘘でも、真実世界では本当なんてこと、あるんですか?
その学生が決意を口にしたその瞬間は、その気持ちは真実だものね。
では、嘘が偶然に実現してしまった場合はどうでしょう。 例えば? 「給料をもっと稼げ」ってウチのがあんまりうるさいんで、わかったわかったってその気もないのに言ったことがありました。家計がうまくいってないのはあいつの浪費癖のせいだと私は思ってますから、内心は同意どころか、ムカッ腹が立ってました。ところがそのあと景気が回復して、会社の業績がアップして、給料が上がりました。結果として私は約束を守ったことになりました。そのとき、夫婦仲まで少し改善したんです。
ってことは、現実がいつでも真実の証拠になるとは言えないってことだね。結果、人は納得するかもしれない。でも、こういう言い方が適切かどうかは別として、「神」をだますことはできないね。真実は曲げることも変えることもできないんだから。
そうなると真実の存在って、3次元の私達からはちょっと曖昧に見えますよね。
そうだね。我々の感覚器で直接的にとらえたり計量したりできないものね。
それでも、この世が発想と関係してるらしいことは分かった気がします。