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「きっと、疲れが出てしまったのね。」
伯母のクラフティと侍女のミエルが、枕元で顔を覗き込んでいる。
ショコラは今朝、熱を出したのだ。
昨日はあの後、彼女が帰る時にシャルロットがまたぐずってしまった。
「や~~、ちょこら、かえっちゃだめー!まだあそぶ、あしたもあそぶー!」
「こらこら、ショコラは忙しいのだよ。困らせてはいけない。また今度にしなさい。」
「ヤ!!おとおさまきらいぃー!」
そう言って床にひっくり返り、手足をばたつかせて泣きわめき出す。そんな幼子に、ショコラは優しく諭すように声を掛けた。
「ごめんなさい、シャルロット殿下。わたくしはお勉強をしなければならないのです。」
「おべんきょ、しなくていい~~!」
駄目だった。そこで父親のガレットデロワが、やれやれと困りながら娘に尋ねる。
「では、ショコラが公爵になれなくても、よいのだね?お前が女王になった時、臣下として手伝う事は出来なくなる。」
「‼やだ!!いーやーあああ!!!」
父の言葉を聞き、シャルロットはますます泣き声を上げた。まるで逆効果。もはやお手上げである。
どうしたものかと困り果てる人々を前に、彼女は駄々を捏ね続けていた。
わんわんと泣き叫ぶシャルロット。ショコラはその側にしゃがみ込んだ。そして、今度は静かに声を掛けた。
「殿下。わたくし、必ず立派な公爵になって、殿下をお支え出来るようになりますわ。そのために、お勉強しなくてはなりません。」
シャルロットはその声に反応する。大声で泣く事にも、そろそろ疲れ始めて来たらしい。
「…うぐ……そしたら…ほんとに、なれる……??」
「はい!もちろんです。お約束します。」
「ゆび…きり…。」
まだしゃくり上げながらも、彼女は小さな小指を差し出す。ショコラはそれに笑顔で応じた。
どうやら、指切りはシャルロットを宥める手段の一つになったようだ。まだ少し不満そうな顔をしてはいたが、一先ずその癇癪は収まった。
ガレットデロワは娘の頭を撫でてやる。
「いい子だ。では明日は私と舟に乗ろう。近くで魚が見られるぞ。」
「おさかな……?みる!」
泣きべその残る顔が、ぱあっと輝いた。ようやく王女の機嫌が上向いたところで、ショコラの帰れる目処も付いた。
そして、国王夫妻とその腕に抱きかかえられたシャルロットに見送られ、王室の別荘を後にしたのである。
…………長距離、長時間の移動をした翌日からの二日間。ショコラは朝からバタバタと忙しく過ごしていた。
こうして、シャルトルーズに着いてからの三日はあっという間に過ぎて行き――
今日の朝、目が覚めてみると体が重く、起き上がる事が出来なかった。
「少し熱が高いけど、今日は様子を見てみましょうね。まずはゆっくり休みなさい。それでも下がらないようなら、お医者様に診て貰いましょう。」
「……はい、おばさま…」
それからクラフティは部屋を出て行き、看病はミエルが任された。
「ショコラ様。何かございましたら、すぐにおっしゃってくださいね。」
うつらうつらとしながら寝具に埋もれ、ショコラはこくりと頷く。
「うぅ……外歩き……今日こそは…したかったのに……」
「体調が戻ったら、なされば良いのですよ。今は治す事に専念しましょう。」
情けない声で嘆く彼女へ、ミエルは穏やかにそう答えた。
「……お姉様……いつもなら、いてくれるのに……」
「あらあら、お淋しくなってしまわれましたか?」
ショコラはまた、こくりと頷いた。熱のせいだろう。里心が付いてしまったようだ。
健康そのものの彼女は滅多に風邪など引かなかったが、数年に一度くらい、こうして寝込む事もあった。そんな時は必ず、心配した姉のフィナンシェが側に付き添ってくれていたのだ。それを思い出した。
弱っているためか、無性に甘えたい気持ちになってしまう。
「…うぅー…さみしい……」
「わたくしが代わりに、ずっとお側におりますわ。安心してお休みくださいませ。」
「……ちゃんと、いてね……」
「はい。」
「…うん…」
そうしてようやく気持ちが安らぐと、ショコラは眠りに落ちて行った。
――その頃、ファリヌは別の部屋にいた。難しい顔をした彼は、広げた地図を睨むようにして見詰めている。そこには、いくつか付けられたばつ印が……。
そんなところへ、コンコンと扉を叩く音が聞こえて来た。返事をすると、それはシャルトルーズ伯爵家の使用人であった。
「公爵家から、使者がいらしています。」
ファリヌは驚きもせず、通すようにと伝える。すると男が一人、部屋の中へと入って来た。
「ご苦労様です。では、調査の首尾を。」
そう言われると、男は懐からサッと折り畳まれた数枚の紙を取り出す。それをファリヌに渡しながら口を開いた。
「こちらが各地の報告書です。あまり進展はありませんね。騎士団もまだ詳細は掴めていないようで。」
その報告書に目を通しながら、ファリヌは眉間に皺を寄せた。そして溜息を吐く。
「……そうですか。分かりました。元より、騎士団にも分からない事が、私たちでどうにか出来るとは思っていませんでしたが。――引き続き、調査をお願いします。」
「かしこまりました。地域はどうします?」
尋ねられ、彼は地図上のばつ印の付いている箇所を指し示す。
「そうですね……この辺はとりあえず、もう結構。我々の目的は、事件の解明ではありませんから。次、情報が欲しいのはここと…この辺りですね。」
それから、今度はだいぶ離れた場所の地域を指定した。使者の男は頷く。
「分かりました。急ぎ屋敷へ戻り、人を派遣します。何か変更があれば、早馬を。」
短い会話を終えると、彼はすぐに踵を返し帰って行った。
……本格的なショコラの旅先について、ファリヌは悩んでいた。ガトラル国内で現在、不穏な話が出始めていたからだ。
三つの騎士団の団長を集めた会議でも問題になった、若い女性の失踪事件――…
『――…正直、本来ならばこの件が解決するまで、旅を控えて頂きたいところだが……。いつそうなるか、先が見通せない。このまま長く掛かってしまえば、その分ショコラ様が人前に出て行かれる機会も増えてしまう。そうなれば、旅の計画は意味を為さなくなる……。やはり、これは“今”でなければ――』
テーブルに広げた地図の上で両肘を付き、彼は改めて青色吐息を吐いた。
――…ここは、どこだろう?ショコラは白いもやの中にいた。
遠くに、人影が見える……。何となく、そこへ向けて歩き出した。
段々近付いて行くとその人影ははっきりして来て、それがフィナンシェであると分かった。
『お姉様!』
ショコラはフィナンシェに向かって走り出す。だが、なかなか思うように近付けない。なぜだろう……
もどかしく感じていると、その隣にまた別の人影が現れた。ああ、あれはきっと義兄だ。そう思った。
やっとの事で側まで行くと、何だか違和感がある。姉の隣にいるのは――…義兄ではない。フィナンシェに寄り添っていたのは……
何と、グラスではないか。
『お姉様?どうして、グゼレス侯爵様と一緒にいらっしゃるのですか⁇』
『あらショコラ。だって私、侯爵様と結婚する事にしたのだもの。』
にっこりと笑って、フィナンシェが答える。ショコラは焦った。
『ま、待ってください!それでは、クレムお義兄様はどうなさるのですか⁇』
『クレム……ああ、あの人とはお別れしたわ。』
『なぜですか!?』
ショコラは混乱して叫んだ。
姉と義兄の仲は悪くなかったはずだ。……そうだ、姉はこの間、幸せだと言っていたのだ。それなのに、なぜ――…
『なぜって、あの人と違って、侯爵様は強いもの。これから陸上師団の団長になる方よ?その方がいいに決まっているじゃない。』
『それは……お義兄様は武人ではありませんもの。それは確かにそうかもしれませんが……』
するとグラスが答えた。
『ショコラ嬢、私ならフィナンシェ様をお守りする事が出来ますよ。』
二人はにこやかにしている。
美男美女で、並んだ姿は絵に描いたように似合いの二人だ。そんな相手の方を、姉は選んだ……。
だが、違う。これは違うのだ‼
『でも…でもそれでは、クレムお義兄様がお可哀想です!』
『あの人の事が気になるの?それなら……貴女が彼と結婚したらいいわ。』
『そうですよ。貴女、伯爵の事がお好きなんでしょう?』
…――そうじゃ、ない!!
「ちが……」
ハッと気付くと、ショコラは汗びっしょりで天井に腕を伸ばしていた。周りに、白いもやは無い。ああ……
あれは夢。夢だったのだ。
「ショコラ様、大丈夫ですか?だいぶうなされていたようですが…。」
ミエルが心配そうな顔でこちらを覗き込んでいる。ショコラは少しだけ体を起こした。
「なんだか、嫌な夢を見てしまって……。」
「それは、お熱のせいですね。よくある事ですわ。」
ああ、そうだ。忙しくてすっかり忘れていたが、「グラス」という厄介な存在をそのままにして来てしまったのだった。
心の奥にあった嫌な記憶が、高熱で妄想と共に呼び起こされたらしい。
それが分かると、俄然、心配になって来る。
『お屋敷にお姉様を置いて来てしまったけれど、大丈夫かしら……。お義兄様とは、仲良くなさっているかしら??……約束をしてはくださったけれど、私のいない隙に、侯爵様がお姉様に近付いたりは――…』
というところまで考えて、はたと気付いた。
……そういえば、自分がここへ来ている事、それ以前に屋敷にいない事すら内密になっている。外には伝わっていないはずだ。もしかすると、国王らと王都へ戻った後の近衛師団員がふと漏らしてしまうかもしれないが……今のところはまだ、彼らもここに留まっている。という事は、隙を狙ったグラスが公爵家に突撃して来る、という心配は少ないだろう。
ショコラは正気を取り戻し、ホッと胸を撫で下ろした。
「ずいぶん汗を掻かれたようですね。お着替えいたしましょうか。――お熱の方も……おかげで下がったようですわ。」
ミエルはショコラの額に手を当て、熱を測る。言われてみれば確かに、体がだいぶ楽になったような気がする。思考もはっきりとして来たのが、さっきの事からも自分で分かった。
「お腹も空かれたでしょう。お食事をご用意して参りますね。」
着替えた後、しばらくして出された軽めの食事をベッドの上で取る。体調が戻って来ると、その分色々な事もしたくなって来た。
「ねえミエル、お姉様にお手紙を書こうと思うの。用意してくれる?」
「あら……まだ病み上がりですよ、明日にいたしましょう。」
「うーん、残念……。あぁ、今日は大事な一日を無駄にしてしまったわ……。」
ショコラは口惜しそうにしている。今朝はあんなに弱々しかったのに、ずいぶんと元気になったものだ……。と、ホッとしたミエルはクスクスと笑いながら見ていた。
「では、明日はまずお手紙を書かれてから、少しだけ。お散歩にでも参りましょうか。」
「!!明日も本格的な外歩きは出来ないのね……。熱なんか、出すものじゃないわ!」