テラーノベル
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篠原愛紀
#独占欲
「近道しましょう。裏の公園を抜けたほうが早いから」
主任の提案に、俺は「はい」と短く答えた。
公園に入ると、木々の静寂が俺たちを包む。ここを抜けきって大通りに出たら、もう「二人きり」は終わりだ。出口の白いアーチが近づくにつれて、心臓の音がうるさく鳴り響く。
(今、言わねえと……!)
手のひらに嫌な汗がにじむ。隣を歩く彼女の肩が、いつもより近く、そして遠く感じられた。
「……あの、雨宮主任。……俺、主任のこと――」
「王子谷」
勇気を振り絞った俺の声を、彼女の深い溜息が遮った。
彼女は俺を見ようとせず、公園の出口の向こう側にそびえ立つオフィスビル群を見つめていた。
「実はね……今日、三年前に離婚が成立した日なの」
「……え?」
「昨日からずっと落ち込んでて……。誰かに話したかったのかしら。でも、あなたと食事をして、この公園を歩いていたら、なんだか少しだけ、気が楽になったわ」
彼女がゆっくりとこちらを向く。その瞳には、一瞬だけ、上司でも母親でもない「一人の女性」としての孤独が滲んでいた。けれど、僕が何かを言う前に、彼女はふっと、すべてを包み込むような穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。……今日付き合ってくれて。本当に助かったわ」
その笑顔を見た瞬間、喉元までせり上がっていた言葉は、冷たい鉛となって胃の底へ沈んだ。
「……いえ、こちらこそ。すげえうまかったっす。ご馳走様でした」
俺はポケットの中で握りしめていた拳を、そっと解いた。
公園の出口を抜ける。ビルの間の強い風が吹き抜る。
(……危なかった)
背中に嫌な汗が流れる。
もし俺が想いを伝えていたら。彼女は救われるどころか、重荷を背負わされ、今の穏やかな気持ちすら奪われていたはずだ。
彼女が求めていたのは、ただ、隣を静かに歩いてくれる、安全な「部下」だったのだ。
一歩先を歩く彼女は、凛としていて、本当に姿勢がいい。
綺麗な人なら沢山いるはずなのに。どうして俺は、読み上げられることのない言葉を抱えたまま、あんなに遠い背中を追いかけてしまうのだろうか。
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